第30話:ワシントンからNYへ

文字数 2,696文字

 戦場をバージニアの外に移し、合衆国連邦軍を劣勢に追い込むのが狙いだった。リー将軍の兵士は、ジョージ・ミード将軍率いる合衆国ポトマック軍と戦った。戦いが7月3日に終結した時、双方は4万5000人以上の死傷者を出しており、この戦闘を今日に至るまで最も悲惨なものの1つにした。

 南部連合軍は1863年7月4日、バージニアに撤退した。多くの学者は、ゲティスバーグの戦いが南北戦争の転換点となったと見ている。いざまれてる2分間の演説の英文の内容を日本語に訳すと以下のようになる。

 7年前、われわれの父祖たちは自由の精神にはぐくまれ人はみな平等に創られているという信条にささげられた新しい国家を、この大陸に誕生させた。今われわれは一大内戦のさなかにあり戦うことにより自由の精神をはぐくみ、自由の心情にささげられたこの国家が、或いは、このようなあらゆる国家が、長く存続することは可能なのかどうかを試しているわけである。

 我々は、その様な戦争に一大激戦の地で相会している。われわれはこの国家が生き永らえる様にと、ここで生命を捧げた人々の最後の安息の場所として、この戦場の一部を捧げるためにやって来た。我々がそうする事は、まことに適切であり好ましいことである。しかし、さらに大きな意味で、われわれは、この土地をささげることはできないし、清めささげることもできない。

 聖別する事もできない。足す事も引くこともできない、われわれの貧弱な力をはるかに超越し生き残った者、戦死した者とを問わず、ここで闘った勇敢な人々が既に、この土地を清めささげているからである。世界は、われわれがここで述べることに、さして注意を払わず、長く記憶にとどめることもないだろう。しかし彼らがここで成した事を決して忘れ去ることはできない。

 ここで戦った人々が気高くもここまで勇敢に推し進めてきた未完の事業にここでささげるべきは、むしろ生きているわれわれなのである。われわれの目の前に残された偉大な事業にここで身をささげるべきは、むしろわれわれ自身なのである。

 それは、名誉ある戦死者たちが、最後の全力を尽くして身命をささげた偉大な大義に対して、彼らの後を受け継いで、われわれが一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、われわれがここで固く決意することである。”以上、和訳文が終了。

 目の前に広がるリフレクティング・プールには、ワシントン・モニュメントが移り美しく、絶好の写真を撮る場所になっている。また、近くの公園には、朝鮮戦争で戦い、亡くなったアメリカ兵の慰霊碑がある。その後、タクシーで、アーリントン・ナショナル・セメタリー「アーリントン国立墓地」へ向かった。そこには、驚くほど、多くの墓標が建っていた。

 夕方になり夕日が差し込み始め他。この中には、あのジョンF・ケネディとジャクリーン・ケネディ夫人のお墓が丘の上にある様だ。その後、一番上の高い丘まで登ると、ワシントンDCを見晴らせる。無名戦士の墓では、衛兵交代式が行われている様だったが時間が合わず見る事はできなかった。とても緊張感が漂う感じのする場所だった。その後、タクシーでホテルへ帰った。

 リンカーン記念館とワシントンモニュメント、アーリントン墓地を見学し終えた。明日は、イントレピッド航空宇通博物館を見学する事になる。翌朝、8時に起きて、朝食後、9時にホテルを出て、タクシーで5分のイントレピッド海上航空宇宙博物館に到着した。ニューヨーク・シティパスを購入していたので、それで入場できた。まず、ハドソン川へ行き、伝説の米国海軍空母USSイントレピッドのフライトデッキを見学した。

 イントレピッドは、アメリカ海軍の航空母艦。太平洋戦争に参加し、日本の神風特攻隊の攻撃を受けた空母です。その後マーキュリー計画やジェミニ計画で宇宙船の回収母艦を務め、ベトナム戦争にも参加したそうです。船内には当時の船員たちの船室や、各時代の展示、様々な戦闘機、スペースシャトルが展示してあり、興味深く見る事ができた。飛行甲板は、各種艦載機、ヘリコプターが展示してある。

 また、空母と、関係のないロッキードSR71ブラックバードも甲板にあった。それが、それによって、空母らしさが失われたような気がする。艦橋の操舵室や指揮所の見学もできるが、艦橋内は非常に狭く急な階段もあるので足腰の弱い方は、注意が必要でしょう。甲板の後方の飛行甲板にはスペースシャトル試験機エンタープライズの展示もあったが、これの格納庫を飛行甲板に設置したため、空母らしさが失われたような気がします。

 甲板下の格納庫にも各種航空機の展示ある。格納庫下に降りると艦内食堂などの展示。フードコートはピザなどのファストフード、食べたいものをトレーに載せて最後にまとめて会計でクレジットカード使用可能だった。埠頭上にブリティッシュエアウェイズのコンコルドの野外展示もあった。潜水艦内の展示は艦内混雑事故防止のため、一度に入る人数を制限しているので、少し待つ場合がある。

 潜水艦内は非常に狭く防水隔壁のドアはくぐり抜けるため身体が硬い方は要注意。さらにスペースシャトル1号機「エンタープライズ」と誘導ミサイル潜水艦「USSグロウラー」を間近に見ることができた。インタラクティブな展示と体験談を通じて歴史と改革を体感できた、あまりにも多くの展示物を詰め込みすぎて最初の戦艦を見学しているという緊迫感、わくわく感があまりない。

 見学が終了の頃になると、なんだテーマパークかよと思う程になった。それでも見学を終えるとフードコートで自分達の好きな食べ物をトレーにのせてきて飲み物を選んで、まるでマクドナルドのように席に座って食べら、便利だった。その後タクシーでニューアーク・リバティー空港へ向かい30分弱で到着した。その後、搭乗手続きを取って、近くのカフェで待った。

 15時30分発のトロント行きの搭乗手続きが始まり飛行機に乗り込み飛び立たち、約2時間後トロント空港に到着した。タクシーで家に着くと17時、少ししてホストファミリーと一緒に夕食を取った。その後シャワーを浴びて床についた。翌朝、8月20日、月曜日になり、3日後の水曜日に、4週間のトロント留学を終えることになる。月曜日は、休日の出来事について、各自は発表した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み