第18話:初男の橫浜国大入学と東日本大震災

文字数 3,039文字

 2010年、日本は、暑く、特に、梅雨のない北海道では6月26日に各地で季節外れの猛暑日「この年全国初」を記録するなど、最高気温が平年を15度以上も上回る異常高温も観測された。その他の地域でも平年よりも温暖な6月になった。7月に入り、梅雨明けの17日頃から、太平洋高気圧の勢力が強まり全国で猛暑に見舞われた。7月18日に全国11地点で猛暑日を観測した。

 それ以降、猛暑日を記録した地点は、7月19日には42地点、20日には73地点、21日には106地点、22日には144地点と一気に増え猛烈な暑さは全国へ広がった。結果、7月下旬の平均気温は東日本で平年比プラス2度となり、1961年以降で史上最高となった。7月全体でも平均気温は北日本でプラス2度、東日本で平年比プラス1.6度と、それぞれ観測史上4位、6位となった。全国でも平年比1.3度と高かった。

 8月に入り再び猛烈な暑さに見舞われた。3日には88地点、4日には100地点、5日には全国177地点、6日には全国179地点で猛暑日を観測した。8月下旬になっても気温は高温のまま推移し、大阪市、岡山市、広島市などでは歴代連続猛暑日記録が更新された。結果として各地の8月の平均気温は154地点中77地点で史上最高を記録。

 北日本は+2.6度、東日本は+1.9度、西日本+1.7℃で8月の平均気温が史上最高となった。また全国の8月の平均気温も平年比+2度となり、史上最高を記録した。一方、南西諸島では気温はやや高めで推移したものの曇りの日が多く6月、7月、夏の日照時間が記録的短さとなった。9月に入っても、1日には242地点、2日には62地点、3日には90地点、4日には144地点で9月としての最高気温を観測するなど、厳しい残暑となった。

 9月5日には京田辺市でこの年最高となる39.9℃を観測。台風9号の接近・上陸の影響で8日以降は気温が低下したものの、結果、9月上旬の平均気温は北日本+3.1度、東日本+3.4度、西日本+3.1度で1961年以降最高を更新した。特に東日本ではそれまで最も高かった1961年よりも1.4℃高かった。。過去50年で最も厳しい残暑だった。

しかし、北日本は2012年に再び更新された「9月上旬は+3.3度、中旬は+5.5度」9月21日に全国11地点で、22日に全国20地点で猛暑日を観測し一時的に気温は上がったが、22日から23日に秋雨前線が全国を南下して北日本・東日本を中心に気温が低下した。気温の変化は急激で、22日に東京で32.7度、名古屋で33.度、大阪で33.3度だった最高気温が24日には東京で20.2度、名古屋、大阪で22.6度と、2日で10度以上低下した。

 9月24日には北日本・東日本・近畿が平均気温が10月中旬から下旬並みの低温となった。前線の通過によって猛暑は影を潜め、北から本格的な秋が到来した。一方南西諸島は太平洋高気圧に覆われ、下旬は1961年の観測以来最も日照時間が多かった。東京で夏の降水量が205ミリと平年値「481ミリ」の半分以下となり、135年の観測で3番目の少なさとなるなど、太平洋高気圧の影響で東日本で雨が少なかったことも猛暑に拍車を掛けた。

 なお、雨は少なかったものの大きな水不足は起こっていない。9月の降水量は東日本太平洋側で平年並みと、小雨はおおむね解消された「東京では小雨の夏から一転し、428ミリと平年値208ミリの2倍以上の雨が降る多雨の9月となり、135年の観測で6番目の多さとなった。

 初男は、橫浜国大に入って、投資サークルに入って、経済の勉強を始めた。その他、学校から買えると家庭教師のアルバイトに出かける日が多くなった。この頃、パソコンで家庭教師のアルバイト募集をして、夏休みには、空き時間を減らして、自転車で自宅近くの家に家庭教師に出かけた。一方、佐織の方は、橫浜国大経済学部に入りたいと宣言した。

 そして高校2年4月から、兄の通った橫浜の予備校に入る予定して、父から許可をもらった。夏が過ぎて10月を迎え、初男は、橫浜信用金庫に通帳を作りアルバイトした、お金をせっせと貯金し、大学2年生からの夏季、アメリカ留学の時の小遣いにしようと考えていた。佐織は、平沼高校に入って成績が中程度まで下がり、ショックを受けていた。兄に相談しても、それが、お前の真の実力だと言い頑張るしかないと言った。

 そのため最低でもクラスベスト10を目標に夜遅くまで勉強し、苦手の理数系の効率的な勉強の仕方を聞いていた。それに対しての兄は、とにかく問題集をやることだと言うアドバイスをしていた。しかし、わからないところを聞きに来ると、懇切丁寧に教えていた。やがて12月となり、佐織が冬のテストでクラス9位になったと、うれしそうに、両親に話していた。

 そして2011年を迎えた。北川家の5人も今年も全員で初詣に行き、それぞれの願いを祈ってきた。4月、暖かくなってきた頃、初男が父に相談があると言うので、初男の部屋へ行くと、投資をしたいので、就職して金が入るまで100万円貸して欲しいと語った。それに対して、わかったと答え、20歳の誕生日前に送金すると約束してくれた。そして、具体的に、なにに投資するのと聞いた。

 2011年3月11日、午後14時47分、宮城県沖で国内観測史上最大のマグニチュード9.0の巨大地震が発生、同3時半前後には大津波が次々と沿岸部を襲った。宮城、岩手、福島の3県を中心に死者は約1万5800人、行方不明者は約3500人。東京電力福島第1原発では電源が止まり、原子炉は冷却機能を喪失。核燃料が溶け、1、2、3号機は炉心溶融が起きた。

1.3.4号機は水素爆発により原子炉建屋が大破。放射性物質が大量に放出される最悪の事態となった。青森から千葉までの6県の浸水面積は561平方キロ。津波はすさまじいエネルギーで家屋や港湾、工場施設などを破壊。政府の試算では、地震・津波による住宅などの直接的被害は16兆9000億円に達すると試算された。ピーク時には約47万人が避難した。

 その後、国内外から支援の手が差し伸べられた。原発事故に見舞われた福島県では警戒区域「半径20キロ圏内」への立ち入りが制限されたほか、各地で除染作業が行われた。放射性物質に汚染された農産物が関東などでも見つかるなど、農林水産・畜産業も大打撃を受け他。政府・東電は「冷温停止状態」を宣言する見通しだが、廃炉までには数十年かかると言われた。

 東日本大震災による東京電力福島第1原発事故などの影響で、各地で電力供給不足となった。東電管内では震災直後、地域ごとに送電を一定時間止める「計画停電」を実施。電力需要が高まる夏場の7月1日から9月9日には、政府が東電と東北電力の管内で37年ぶりに「使用制限」を発動し、対象企業だけでなく、個人も節電するように、具体的な方法もニュースで流されたほどだ。

 一方、定期検査で運転を停止した原発の再稼働に地元自治体が同意しないケースが続出。地震・津波の危険性が指摘された中部電力浜岡原発は5月、政府の要請で運転停止に追い込まれた。全国54基の原発のうち、年末時点で稼働しているのはわずか6基。原発依存度の高い関西電力と九州電力の管内では、供給不足をカバーするため冬場の節電目標を設定した。
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