第44話:「最終話」おばあちゃんの痴呆と逝去

文字数 3,011文字

 2019年、北川米子、おばあちゃんは、85歳となり話すことが少しずつ、おかしくなってきた。そこで、初男が、おばあちゃんに、橫浜の海が見える素敵な老人マンションを見に行かないかと誘った。すると、自分がボケてきたと感じていたのか、言って見ようかと言い、初男夫妻と両親の5人で出かけた。その老人施設について、見学させてもらうと、橫浜港が一望でき、夜景は最高ですよと言われた。

 その後、入所費用を聞くと、入所一時金が1Kの部屋で3千万円で、1ケ月の家賃が20万円と言われた。それを聞いても、おばあちゃんは、良く理解できず、高いかなと言った。すると、初男が、大丈夫だよ、それくらいなら出せるよと、おばあちゃんの肩をたたいた。お前が出してくれるのかいと言い何でだと質問した。そこで、昔、一緒に海外旅行へ連れて行ってやると言ったからと答えた。

 すると、おばあちゃんの顔が崩れて、何て優しい孫だろうと言い、大粒の涙を流した。それを見ていた両親も奥さんも涙を流した。そして、そう言ってくれるなら、お言葉に甘えて、入ろうかと言ったので、初男が、そうすれば良いと言い、ここなら、家からも近くから、頻繁に来られると伝えた。そして2部屋、空いてるので、直ぐ入居できますというので、お願いしますと初男が言った。

 その後、入所手続きの書類を書いて、4日後、おばあちゃんの家財道具を運び込んであげた。そして、入所始めると、同じくらいの人が多く、数人の親しい人ができた様で、明るくなった。そして、入所一時金の3千万円を初男が入金した。これに対して、両親は、何も言わず、ありがとうよとだけ言った。その後、初男夫妻と両親が交互に、おばあちゃんの所に来るので、2日に1度で十分だよと言った。

 やがて、秋を迎え、涼しくなって、おばあちゃんの顔が、家にいる時より、穏やかになった様な気がした。そして、両親も初男夫妻も安心した。やがて、12月を迎え、12月24日、おばあちゃんを実家に呼んで、クリスマスパーティーを開くと、ここは、どこだと言い、初男が、ふざけて、俺の家だと言うと、そうか、お前も1人なり、嫁さんをもらって家も建てたのかい笑顔になった。

 クリスマスケーキを見て、お前が小さい頃、ローソクを吹いて消したねと、遠くを見るような眼で言った。その後、私も年取って、昔の事は、思い出すのだが、今、何したら良いかわからなくなるのだとぼやいた。そして、小さな声で、そろそろ、お迎えが来るのかねと言い、その時も、初男、頼むよと、静かな声で言った。

 それを聞き、目に涙を浮かべ、大丈夫だよ、あれだけ、苦しい目にあったのだから、神様も、もっと長い間、楽な暮らしをさせてくれるはずだよと言い、男泣きした。それを聞いて、みんなも涙を流した。すると、おばあちゃんが、私は、悲しい顔は、嫌いだよ、苦しいとき時こそ、笑顔になるんだ、そうすれば、少し、楽になるんだと大きな声で言った。そんな、問答をした後、おばあちゃんがロウソクを吹き消して、拍手が起きた。

 しばらくして、おばあちゃん施設に戻ろうと、初男が言うと、あそこに戻ると、もう少しで、戻ってくられなくなる気がするのだよと、悲しい顔になった。でも、仲良しになった人もさみしがるからと言うと、そんなに言うなら、帰るよと寂しげに言い、車に乗って帰っていった。そして2020年があけ、おばあちゃんの施設に両親と共に4人で行くと急に老けて、痩せたような気がした。

 2019年12月に中国の湖北省武漢市で「原因不明のウイルス性肺炎」として最初の症例が確認されたニュースが日本でも話題になり始めた。そして2019年1月1日、中国政府は、湖北省武漢市江漢区にある華南海鮮卸売市場を突如、閉鎖した。そんな2020年1月22日、早朝4時に、北川米子さんが入所してる老人施設から北川家に電話が入り、すぐ来るように言われた。

 北川家の5人が、その老人施設に到着すると、ちょっと前に、近くのけいゆう病院に救急搬送されたと聞き、その病院へ向かった。病院では、その患者さんは、CCU「冠疾患治療室」に入院したと言われ、現在、延命治療中と聞かされた。そして、5時半過ぎに、危篤ですと知らされ、病室に入った。おばあちゃんは、もう既に、意識がなく、先生の問いかけにも反応しない。

 しばらくして、先生が脈拍を取り、目を開かせてペンライトで目を見て、2000年1月6日、午前5時25分、ご臨終ですと言った。父が、何故だと言うと、施設の人が、見回りに行った時、手が冷たいのに気づき、調べると、呼吸もしてないようで、病院に搬送したと言った。先生の話を聞くと、80歳以上になると、突然、原因不明の意識喪失になることがあり、それで、運良く、直ぐ見つけられれば、蘇生できる、

 しかし、今回のように、意識不明の状態が長引くと、手遅れになると説明した。初男が、病名はと聞くと、急性心不全となりますと語った。この話を聞いて、何も言えず、皆、黙りこくった。やがて、夜が明けてきて、葬儀社に電話して、葬儀の手配をお願いし、霊柩車に棺を載せてけいゆう病院に来て下さいと言った。その後、1時間くらいで、葬儀社の人が数人でやってきた。

 そして、ご遺体を移動しますと言い、おばあちゃんの遺体を運び出し、霊柩車の中の棺に納めた。斎場は、久保山斎場で、1月12日、午前11時と言った。そこで、葬儀の日程が決まった。しかし、おばあちゃんの親戚は、おらず、友人位であり、家族葬で、執り行うしかないと北川天一が言った。そして、病院の死亡診断書をもらい、自宅に帰った。

 その後、初男が、老人施設に行くと、入所してまもなくなくなったのですねと言い、契約書に書いてあるように、入所一時金は、全額、返却されますが、1月末迄の部屋代だけ、いただきますと言われると、了解しましたと言った。そして、お荷物は、できるだけ早く、持ち帰っていただけ増すかと言われ、明日中には、全部引き上げますというと、よろしくお願いしますと言われた・

 実家の近くの同年代のお茶のみ友達3人に知らせ、親族5人の合計8人の小さな、家族葬となった。しかし、初男が、実家の近くのお寺と話合い、早急にお墓の手配をした。そして、きれいで立派な墓石を使ったお墓を作って、弔う事にした。せめても、きれいな死化粧と、おばあちゃんが一番好きな淡い紫色がかった白装束を着せて、旅だっていただいた。

 1月12日、小さな部屋に、立派な花で飾った祭壇に小さい頃、うれしそうに、孫の初男の手を引くおばあちゃんの写真を遺影としたが、そのうれしそうな笑顔は、かえって、葬式にい参列人達の涙を誘った。友人の3人が、身寄りがなく、強く生き抜いてきた米子さんには、こんな立派で逞しい子孫ができたと言い、涙を流しくくれた。初男は、葬式の間中、涙が止まることはなかった。

 荼毘にふされて、初男と父が拾って、骨壺に入れた、その後、霊柩車で墓地に8人全員で行った。すると、立派な墓ですねと、驚いた様に言った。これなら、成仏できますねと、言ってくれた。それまで、どんよりとしていた空が、ほんの少し、空いたと思うと、そこから一筋の明るい日射しが刺した。これを見て、米子さんが、ありがとうと言ってるのよと女性達が口々に言った。そして、初男が、今迄、本当にご苦労様でしたと、手を合わせた。「終了」
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