第37話:初男セブン銀行へと佐織のボストン留学

文字数 2,872文字

 2014年4月1日、初男に、セブン銀行の本社、人事部に9時までに、出社するようにと書いてあった。この話を両親にすると、おめでとうと、祝ってくれた。2014年4月1日に、セブン銀行の本社、人事部に行くと今年入社の男女、合計28人がそろっていた。そして、これからの社内研修のスケジュールを人事部の人から聞かされた。約1ヶ月研修し、5月1日に配属が決まると言われた。

 初日は、再度、会社の仕事の内容の勉強を3日間やってもらうと言われた。そして、大きな部屋に移動して講義が始まった。就職が決まった初男は、実家に食費と部屋代として月3万円を入れると言うと両親が喜んでくれた。その後、初男は、研修を終えて、5月1日から東京丸の内の本社のお客様相談室に配属され、電話応対をする事になった。

 勤務時間は、8時45分から17時半と決まり、朝の渋滞を避けるために、家の6時半に出るようにして、丸の内で7時から開いてるカフェに入って8時過ぎに出社するようなスケジュールにした。通勤時間は約1時間で、丸の内のカフェに7時半に着いた。

 佐織は、2014年7月31日、12時に、新横浜の成田空港行き高速バス乗り場に、車で送ってもらった。午後14時に成田空港に到着し、JALの登場口で手続きをとって、遅い昼食をとって、17時過ぎ、搭乗開始が始まり、飛行機に乗り込んで、ボストンへ飛んだ。飛行時間は13時間で、最初、映画を見て、眠くなったところで、寝て、食事が出て、起きた。

 そんな事を繰り返してるうちに、あと1時間でボストン空港に到着しますとのアナウンスで起きた。ボーットしているうちに空港に着いた。現地時間、18半過ぎに到着し、ホストファミリーの家に、着きましたと連絡して、その家のお父さんの指示で、バスの行き先と、降りるべきバス停の名前を聞いてメモした。20時に、ホストファミリーの家に到着して、今後4週間、宜しくと挨拶した。

 その後、軽く、食事をして、シャワーを浴びて、22時にベッドに入ったが、時差のせいか、なかなか寝付けずに、物思いにふけっていた。今回、ケイトが、同じ留学先、同じ時期に来ることになっていて、それが楽しみだった。いろいろ考えているうちにいつの間にか寝ていた。翌日、7時の目覚ましで起きて、珈琲とトーストを食べた。

 そして、翌、8月1日、金曜日、ニューイングランドスクールオブイングリッシュ「NESE」へ行くバスとバス停をホストファミリーのお父さんに、教えてもらいメモした。そして、8時に登校して、8時半から、最初は、クラス分けをして、12人1クラスに別れ、各教室で自己紹介と今回の留学で、得たいものについて、発表することとなった。今回もラッキーなことに、ケイトと同じクラスになった。

 そしてケイトと、3回の小旅行について、話し合うと、1回1泊旅行で他は、日帰りという事に決めた。1泊旅行は、ケイトがシカゴへ行きたいと言ったので、佐織も了解した。次に、ニューヨークも外せないと佐織が言い、列車「アムトラック」で行く事にした。

もう1回をどこにしようかと話すと、佐織は兄から聞いた、「赤毛のアン」の故郷、プリンスエドワード島へ行きたいと言うと、ケイトもOKと言った。これで、8月9、10日の土日にシカゴ1泊2日、8月16日土曜は、ニューヨーク日帰りで、8月23、24日の土日は、プリンスエドワード島へ1泊2日の旅行と決まった。

 2014年8月2日土曜、ボストン茶会事件船と博物館へ行った。朝9:30からのツアーに参加するため9時に会場へ向かった。建物に入った瞬間から1770年代の装いをした案内人に羽根とカードを渡され、タイムスリップした気分になる。入口で日本語の小冊子がもらえます。

 しかし、ガイドの説明は、全て、英語だけなので、英語が出来ないとわからないと感じた。船上でのアトラクションを楽しんだ後、映像を見ますが、単なる説明の映画ではなく、ガイドさんと映像の登場人物がやり取りしたりして、飽きさせません。ガイドに従って博物館を巡り、アメリカの歴史を変えた有名な出来事であるボストン茶会事件へ、タイムスリップの旅に出る。

 しかし、歴史的な遺物を見て回るだけではありません。1時間のツアーの後は、ティールームと充実したお土産物が待っています。この博物館はボストン市で最も評価の高い博物館の1つです。体験型の展示や本格的に復元された茶箱運搬船、五感を刺激する魅力的なドキュメンタリーなど、見逃せないものがあります。特に、美味しい紅茶をしんできたのが良かった。

 その後、ボストン・フリ-ダム・トレイルに出かけた。フリーダムトレイルとは、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン中心部の道路に描かれている赤いレンガの線の入った歩道の事。ボストンコモンからチャールズタウンのバンカーヒル記念塔まで全長2.5マイル「4キロメートル」にわたり、これをたどれば、アメリカ合衆国の歴史に関わる市内の主要な観光地16ヶ所を巡ることができる。

 トレイル沿いの名所には歴史的あるいは著名な地標、墓地、境界、建物、船が含まれる。その多くが入場無料または寄付推奨だが、オールド・サウス集会場、旧マサチューセッツ州会議事堂、ポール・リビアの家は有料である。ボストン市のフリーダム・トレイル委員会が管理し、様々な非営利団体や基金、民間の慈善活動家、ボストン国立歴史公園の支援を受けている。

 1951年、地元ジャーナリストのウィリアム・スコフィールドにより考案され、ジョン・ハインズ市長がこの案を実行に移した。1953年には年間4万人がこのトレイルを歩いた。アメリカ合衆国国立公園局はファニエル・ホールの1階に観光案内所を設置し、ツアーの実施、地図の無料配布、書籍の販売をしている。ただしボストン茶会事件やリバティ・ツリーなど歴史的に重要な所が含まれていないとの指摘もある。

 今回のボストン・フリ-ダム・トレイルの最初は、クインシー・マーケット。ここは創業190年の歴史あるマーケットで、中央棟で食事ができ、その周辺の棟では買い物ができる。特に中央棟の左右に、ずらっと並ぶ食品店には、圧倒されるはず。そしてボストンと言えば、やはりシーフード、特に、ボストンのロブスター・ロールは最高だった。

 普通、ロブスター・ロールは、マヨネーズ・ベースの冷たいものが多い。しかし、ポストンのロブスター・ロールは、溶かしバターがからめてあるので、特長で、美味しさの秘密となっている。その中でも特に有名な「ネプチューン」は、ボストンの人達が「絶対、お奨め」と言う程の人気だ。

 予約不可で、2から3時間待ちますが、名前を店の人に伝えておけば順番に、ロブスター・ロールが出来たと電話してくれる。店の近くを観光していて、電話が入り食べる事ができた。その後、夕方になったので、ホストファミリーの家に帰り、土曜日のボストン市内観光は終了した。
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