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文字数 2,030文字

 学さんが家を去ったこの日は、今までいた人間がいなくなった寂しさがどことなく残った。真夏の日差しが強くなった七月下旬。梅雨は終わったとニュースはいうが、入れ替わりに夏独特のアスファルトの焼ける香りがする。
 今日は久々にトキとのんびり過ごすことにした。正午の照りつける日差しが外に出ることを阻んだし、俺自身も少しテスト疲れしていたというのもある。トキと話し合って、明日からどこに遊びに行くかを相談する日にしようということになった。夏休みだから、遠出することだってできる。温泉のような渋いところよりも、やっぱりお台場や汐留といった若者が集まるところがいいだろうか。トキはどこのパンフレットを見せても目を輝かせるもんだから、どこがいいのか俺も迷った。
 別れは不意打ち。それと同じくトラブルも突然おとずれた。
 おやつにバニラアイスを食べていたときである。ドアを乱暴に叩く音が聞こえた。インターフォンを押さずにわざわざドアを叩く不届きものは、数少ない。トキを部屋の奥へやって、のぞき穴を見ると、そこには完二おじさんと美里の姿があった。
 ――最悪の組み合わせだ。俺はクーラーが聞いているとはいえ暑い押入れにまたトキを隠し、ドアを開けた。
「おう、突然来てすまなかったな」
「久しぶり。学校じゃ話してくれないから、来ちゃった」
 だからといって、二人いっぺんにくることはないじゃないか。少し早めの台風ふたつは、家主である俺の了解も得ずに、勝手に部屋へ入り込んだ。
「美佐子から聞いた。お前はやっぱりばあちゃんを隠していないって。でも、俺は信用していない」
 早く帰ってもらいたいために、麦茶に氷は入れていない。伯父さんはそれをぐいっと一気に飲み干し、部屋を見回した。
「……とはいえ、この部屋に誰かを匿っているようには見えないがな」
 その言葉を聞いてホッとした俺だったが、それを美里は否定した。
「よくわからないですけど、女の子ひとりくらいだったら隠せるんじゃないですか?」
 俺は美里を瞬時に見た。すまし顔で麦茶を飲んでいるこの女は、何を考えている? 伯父さんは不思議そうな顔で、美里にその話の続きをうながす。こくりとお茶を飲み干すと、美里はにっこりと笑って伯父さんに言った。
「浩介くん、学校に女の子連れてきたんですよ。親戚じゃないんですか? だとしたら、変ですよねぇ」
 言い終えると俺に挑むような目を向ける。ぎくりとした。どこからそんな話を持ってきたんだ。思考を察したのか、美里は他の男が見たらころりと落ちそうな笑みで答えた。
「下の鳥飼さんと仲良かったから、教えてもらったんだ。どうやら浩介は小さい子を住み着かせてるようだって。何度か部屋に来た時ね。留守だったから」
 相変わらず鳥飼さんは余計なことをしゃべる。そんなに上の部屋の俺が嫌いか。階下の住人に殺意を抱いていると、伯父さんの顔は一気に青くなる。
「お前、まさか誘拐でもしたのか」
「そんなわけないです。美里と鳥飼さんの誤解だ。それより美里、何で俺に構う? もう別れただろ」
「言ったでしょ、やりなおしましょうって」
「浮気したやつとやり直す気はない」
 美里はぐっと唇を噛んだ。俺はこの女の思考がわからないし、わかろうとも思えない。人の心をぐちゃぐちゃに踏みつける、最低な女だ。
 伯父さんはぽかんとした顔で、俺と美里の顔を交互に見る。伯父さんもタイミング悪くきたもんだ。こんなケンカを見るハメになったんだから。
「伯父さん。ともかく俺は美佐子の言う通り、ばあちゃんは匿っていないし、女の子も匿ってない。俺のことを信用しないのは勝手ですけど、そんなだから学さんも家に帰るタイミングをなくすんですよ」
「学? 来たのか?」
 伯父さんはテーブルに両手をついて、俺の顔をじっと見た。それを俺は冷たくあしらう。
「今日出て行きました」
 がっくりと今度は肩を落とす。この人は面倒くさい人だ。心配なら、勘当みたいな真似なんかしなければいいのに。学さんの話を普段するときは不機嫌になるくせに、「来た」と話すと途端態度を変える。むしろわかりやすい。
「成田まで追っかけていけばいいじゃないですか? どこに行ったかは知りませんけど」
 言い放つと、伯父さんはすっと立ち上がり、無言で部屋を出て行った。行くところはわかっている。成田空港だろう。多分、この親子は今会わなければ一生すれ違ってしまうだろう。伯父さんもそれはきっとわかっているんだ。
 伯父さんが去ると、美里もお茶を飲み干し、ドアへ向った。
「もう来るなよ」
 玄関で叫ぶと、「またね!」と懲りない声が返ってきた。女は本当に面倒くさい生き物だ。
 台風一過。二人が何しに来たか結局よくわからなかったが、俺はすぐに押入れのトキを冷房の聞いた部屋に出した。彼女は汗だくでぼーっとしていたので、急いでスポーツドリンクを飲ませる。かわいそうなことをしてしまった。夏の間、不意の客が来た場合どうするか、今後は考えないといけない。
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