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文字数 2,791文字

「これは……肌が出過ぎじゃ……」
 白いビキニにハイビスカスのパレオを身につけたトキが、美佐子に連れられて海に現れた。旭はトキと美佐子の水着姿を見て、にやにやしている。俺はどちらも親類だからどうも思わなかったが、そういう目で見られるのがやはり不快だ。チョップをくらませておいた。
 デパートに連れられたトキと俺は、そのまま水着コーナーへ連れて行かれ、水着を買わされた。それから有無を言わさず海に連行だ。二人は「トキを元気付けるため」とか「夏の思い出はやっぱり海!」なんて浮かれている。海パン姿で説得力のない俺だが、今日は浮かれた二人がトキを引きずりまわさないか心配している。溜息をついていると、さっそく旭はトキと一緒に焼きそばを買いに行ってしまった。トキが少し成長してから、やたら旭はトキを構うようになった気がして、心がざわつく。まさか旭がトキを恋愛対象として見ていたりして。見ていたとしても、正体は一〇三歳のばあちゃんだ。まさに報われない恋。それは本人だってわかっているはずだ。
 俺の心労を悟ったかのように、隣りでビニールシートを引いていた黄色い水着の美佐子が俺の頭をシャチの浮き具で殴った。
「旭くんがトキちゃんを襲ったりしないって。それよりパラソル立てるの手伝ってよ」
 すっかりバカンスモードの美佐子に従い、レンタルの大きなパラソルを立てて土に埋める。
「なんか、すっかり兄妹じゃない?」
 パラソルの下で途中買ったドリンク類を出す美佐子が、笑いながら俺を見た。本当は祖母と孫だが、俺とトキとの関係は、はた目兄妹そのものかもしれない。
美佐子が遠くから焼きそばの入ったビニール袋をぶら下げてくるトキたちを見て、懐かしそうに呟いた。
「私も昔はお兄ちゃんと海に来たな。お兄ちゃんが大学生の頃。私はまだちっちゃくて、浮き輪つけてたけど」
「学さん、すごい元気だったぞ。痩せてはいたけどな」
 先日まで居候していた学さんを思い出す。ひげを剃れば、鋭い目つきのすらりとした細身の男は、結局家族誰にも連絡をせずに日本を発ってしまった。俺も美佐子に連絡を入れようとはしたが、彼が嫌がった。書き置きを残していなくなってしまった日、成田空港まで完二伯父さんは追っていったが、やっぱり行き違いになってしまったようだ。当然、美佐子にも会うことはなかった。
「いいか、元気なら。お兄ちゃんはきっと好きなことをやって人生を謳歌してるんだ。それを応援してやるのも妹だよね」
 大きく伸びをすると、空の雲を引きちぎるように勢いをつけて手を離す。美佐子は何かを吹っ切ったように、「今日は遊ぶよ!」と甲高い声を上げて景気をつけた。
 焼きそばを食べ、生ぬるくなった炭酸飲料を飲むと、俺たち四人は砂浜でビーチバレーを始めた。美佐子は昔から運動神経がわりとよいので、男子チームに速球を打ち込んでくる。俺が何とか返すが、トキも譲らない。細い腕をしなやかに使い、トスを上げる。美佐子がアタックすると、一点入れられてしまった。こっちのチームの弱点は、旭だ。旭は運動オンチで、大学の体育の授業もできる限りサボっている。球を拾おうと地面に転がったが腕は届かず、ただ砂だらけになっただけだった。それを見た女性陣はお腹を抱えて笑う。今度は旭が顔を真っ赤にして、トキや美佐子にボールをぶつける。おにごっこに急遽変更だ。女の子たちはキャーキャーいいながら、旭から逃げる。トキも美佐子も笑っている。旭もなんだかんだ言って、笑顔だ。今日は来てよかったな。感慨深く海を見つめていると、顔面にボールが当たった。
 旭が女性陣に埋められると、俺たち三人は海の方へ繰り出していた。美佐子はまさに水を得た魚のようにすいすいと泳いでいく。俺は少し怯えているトキの手を引いて、段々と深いところへ向う。トキは「絶対放すなよ!」と不安げだ。泳げないわけではないと思うが、若くなってから初めての海で緊張しているのだろう。俺は笑うと、ゆっくり片手を離す。すると「放すなって!」とトキが懸命に追いかけてくる。そのうち両手を放すと、トキは脚をばたつかせ俺に追いつこうと必死だった。
 砂浜を見ると、埋められた旭が見える。今夜は顔が真っ赤に日焼けして痛いだろう。そう思い、笑いを堪えながらトキの方を向くと、彼女がいない。美佐子の方ももちろん、砂浜に上がった形跡もなさそうだ。まさか。俺は潜ると、海中で目を開け、トキの白い水着を探した。
「なんだ、これは……」
 トキは見つかった。が、少女の脚には、髪の毛のような、触手のような、黒いものが巻きついている。俺はそれを引きちぎってはトキを海面に上げようとするのだが、いつまでも脚に絡み付いてきて取れない。それでも無理やりトキの頭を海面に出すと、そのまま髪の毛と戦いながら、浅瀬まで泳いだ。近くにはまだ、髪の毛がうごめいている。まるでそれは海で死んだ死者の魂が、トキをあの世へ連れて行こうと手招きしているようだった。
 陸に上がると、トキの状態を見た。ゴホゴホと咳と一緒に海水も吐き出す。軽く頬を叩くと、それに反応するかのように手を動かした。
 遠くで見ていた美佐子と、浜辺に埋まっていた旭が何事かと駆け寄ってくる。俺は事の顛末を二人に話すと、二人は俺を責めた。
「泳げない子の手を離すなんて、最低だよ」
「そうじゃなくって! ついてたんだよ、トキの脚に……髪の毛みたいな、触手みたいなのが。海に引っ張りこもうとしてて」
「まさか、霊? 海には死者の霊が集うっていうけど」
 旭が薄々考えていたことを口にする。トキは霊に狙われている。これで三度目だ。一回目は病院で、ばあちゃんのときに年を吸われた。二回目は俺の家。無縁仏が壊され、今度は若さを吸われた。三度目は今だ。霊はどういうわけか、トキを狙っている。
“普通の人間じゃない”
“どこにも行けない魂だ”
 この間聞こえた声は、そう言っていた。トキは不自然に若さを手に入れている。若さだけではない。生きていること自体が不自然なのだ。だから霊はこの子の年や命を手に入れたがっているのかもしれない。
髪の毛がまとわりついたところは、赤くあざになっている。何度かトキの名前を呼ぶと、トキはようやく目を開けた。少し休憩して、トキが動けるようになると、俺たちは海から離れることにした。
「コウスケは泳げるんだな」
 海を去る車の中で、窓の風景を見ながらトキが呟いた。
「まあ、俺も小さい頃は泳げなくて溺れたことがあったけど、さすがに練習したからね」
「そう言えば、ここの海じゃなかった? 溺れたのって。お父さんと私と伯母さんたちと遊びに来たとき。五歳くらい、だったかな」
 運転している美佐子が言うと、俺は頭を捻った。
「そうだっけ?」
 覚えていなかった俺を、トキが遠くを見るような、切ない表情で見つめていたことに、そのときは気づかなかった。
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