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文字数 1,324文字

 東京まで出ると、スイーツの看板が目に入る。今回トキはそれには目もくれなかった。幼いトキとは明らかに違う、しっかりした自我を持って新潟に向う。真剣な眼差しで新幹線のホームに向うトキは、自分の祖母ながら美しかった。
「でも、何で新潟に?」
 なぜか自分もバカンスだ、とついてきた旭がトキに問いかけると、トキは柔らかい髪を耳にかけながら、自分が小さくなった場所に戻ってみたいことを打ち明けた。
「気づけばお父様もお母様もいなくなって、お屋敷もなくなっていた。あたしが記憶を取り戻して、コウスケと出会った場所。病院に行けば何かわかるかもしれないと思って」
 俺は賭けだと思った。トキは高校生くらいの容姿だし、伯父さんや伯母さんに気づかれることはまずないとは思う。しかし、もしトキの記憶が残ったら。若い体のトキが、ばあちゃんだった頃を思い出したら苦痛だろう。寝たきりだったときの記憶が戻るんだ。寝ている間の伯父さんや伯母さんの声も思い出すかもしれない。「早く死ね」と言わんばかりに、みんなで喪服を持って集まったあの日。ばあちゃんは眠っていたのだろうか。それとも。
 
 車のクラクションが二回なった。美佐子だ。普段美佐子は運転しない、ペーパードライバーだが、今回は特別だ。「運転、代わるか?」と訊ねたが、運転の楽しさに目覚めたらしく、首を横に振った。こちらは逆に恐怖だ。
 俺たち三人は美佐子の乗ってきた車に乗ると、美佐子はトキの姿に驚いた。
「おばあちゃ……トキちゃん? 年齢が違うじゃない」
「それには理由があってな。多分、言っても信じてもらえないかもしれないけど」
 俺は霊の話を美佐子にしたが、やっぱり半分美佐子は信じていなかった。でも、成長したトキはここにいるんだし、信じるしかない。難しい表情がバックミラー越しに見えた。確かに俺だって信じられないが、現実がここにあるのだから受け入れなくてはいけない。霊だって、若返りだって、すべて目の前で起こっているんだから。
 美佐子はばあちゃんがいた病院に俺たちを連れて行った。外来の時間だということで、入院病棟には案外簡単に入り込めた。ばあちゃんのいた個室には、現在違う人が入っている。
 トキは入院していた部屋の外側をじっくり眺めたが、何もピンとくるようなものはなかったらしく、困って泣きそうな顔をしていた。トキはすっかりばあちゃんだった頃の記憶を失っているというのか。俺は励ますつもりで「思い出さなくてもいいこともあるよ」と言おうとしたが、やめた。俺が知っているトキの――ばあちゃんの記憶。苦しいことだらけの記憶。それでもトキはその記憶を探そうとしている。必死に何かを思い出そうとしているトキを見ると、何も言えなくなってしまった。
 三十分ほど、病室の前に立っていたが、看護師さんに変な目で見られたので一時退散を余儀なくされた。トキは自分の記憶を探そうと懸命で、俺はそれに付き合うつもりだった。だが、旭と美佐子はそれに賛成しなかった。二人とも気持ちは俺と同じだったのだと思う。思い出しても苦しいことを、わざわざ思い出す必要はない。だったら、楽しい思い出を増やした方がいい。二人は俺とトキを無理やり車に積んで、デパートに向った。
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