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文字数 7,113文字

「ばあちゃんの居所、正直に話すよ。だから、みんなを阿部家に集めてくれないか」
「やっぱり、あんた! ……まあいいわ。明日、みんなに集まるように連絡する。はあ」
 お袋の大きな溜息がわざとらしいくらいに聞こえた。「庇ったりはできないからね」と一言つけ加える。お袋や親父が、何度ばあちゃんのことを調べたってわからなかったんだ。俺を庇いきれないことは最初からわかっている。すべて、俺自身のせいだ。
 明日の時間を決めると、すぐに電話を切った。明日、トキだったばあちゃんの正体をばらす。完二おじさんや他の伯母さんたちに何を言われるだろう。ばあちゃんの顔も、少し緊張のせいかこわばっている。ともかく今は、どんな攻撃にも耐えられるように、よく眠ろう。ばあちゃんにおやすみを言って、電気を消す。ばあちゃんも「おやすみ」と返事して、眠りにつく。俺は布団に入ってから、何度も寝返りをうった。明日のことが不安だ。ばあちゃんはそれに気づいたらしく、小さな声で「眠れないのか?」と訊いてきた。素直に肯定すると、聞き覚えのある歌が流れてきた。
 この歌は。俺が小さいときに誰かがよく歌ってくれたものだ。そうか。ばあちゃんだったんだな。
 歌は自然に俺を眠りに誘ってくれた。安心しきった俺は、けたたましいアラームが鳴るまで目覚めることはなかった。

 翌日土曜日。ホテルでの軽い朝食を済ませると、ちょうど美佐子が迎えにきた。
「本気なの? おばあちゃんがトキちゃんだって、みんなに言うの。信じてもらえるわけ、ないと思うよ」
「美佐子。これはあたしが決めたんだよ。浩介はそれを手伝ってくれるだけだ。信じてもらえなくても、それはそれでいいさ」
 前回あったときとまったく違う、落ち着いた物言いに美佐子は目を白黒させた。もう『トキ』ではない。『ばあちゃん』に戻ったのだ。
「ほ、本当に、おばあちゃん?」
「ああ、そうだよ。美佐子はよくお見舞いに来てくれたね。ありがとう」
 そういうと、自分と同じくらいの身長の美佐子の頭をぽんぽんと撫でた。すると、驚いていた美佐子の目が、今度は涙を湛え始めた。泣きそうなのを堪えると、ばあちゃんの手に自分の手を重ねた。
「本当だ。しわもない柔らかい手だけど、温かい。おばあちゃんの手だ」
 にかっと笑うと、手をつないだまま車まで移動する。これからばあちゃんの子供たち、伯父さんや伯母さんに会う。ばあちゃんの死を待っていた人間たちの元へ行く。みんなどんな反応を示すだろう。ばあちゃんが生きていてよかったと涙を流すだろうか。それとも、この少女がばあちゃんであると意地でも認めないだろうか。後者はありえるが、俺はどうしてもこの少女がばあちゃんであると認めさせたかった。ばあちゃんの生の言葉。今まで喋れなくなってから、伝えたくても伝えられなかった言葉。トキの姿なら、すべて言うことができる。その言葉を聞かせたいのだ。
 正午。時間通り、美佐子の車は阿部家の駐車場に入った。母屋は静かだが、中に大勢の人の気配がした。縁側の戸は開いている。みんなあの広間に集まっているようだ。
「ただいま。浩介連れてきたよ」
 美佐子が玄関で声を上げると、まずお袋と親父が広間から出てきた。
「お義母さんのことを知っているなんて、何で最初に言わなかったんだ」
「理由があったんだ。ともかく、上がるよ」
 俺と美佐子が靴を脱いで上がると、ばあちゃんも続こうとした。それに目ざとく気がついたお袋は、さっそく俺に探りを入れた。
「浩介、このお嬢さんは? これはうちの問題でしょ。あんたとどういう関係なの」
「祖母と孫、だけど?」
「は?」
 唖然としているお袋と親父を置いて、俺と美佐子、ばあちゃんは広間へと進んでいく。障子を開けると、上座の久子伯母さんを始め、親戚一同静かに正座していた。そこで俺たちに気づいた完二伯父さんが、さっそく突っかかってきた。
「おい、浩介。お前が俺たちを呼び出すなんて、どういう了見だ。母ちゃんの居場所を知ってたってことは、俺をたばかってたってことじゃねえか」
「お父さん、今から説明するから。ちょっと黙ってて」
 美佐子がけん制しても、伯父さんの文句は止まりそうにない。それをいともたやすく黙らせたのが久子伯母さんだった。
「完二、黙り。今浩介が説明する言っとるね」
 伯父さんは腹立たしげに座布団の上にあぐらをかくと、「さっさと始めろ」と言い放った。
 俺たち三人は、ばあちゃんを真ん中にして、一番上座に陣取った。久子伯母さんはそれを静観している。俺は立ち上がって、まずは挨拶した。
「皆さんに今日集まっていただいたのは、ばあちゃんのことです。皆さんに謝ることがあります。俺が、ばあちゃんを匿っていました」
 その言葉に完二伯父さんは「やっぱりな!」と膝を叩く。久子伯母さんはまだ何も言わない。幸子さんと俊夫さん夫婦はこそこそ話をするし、綾子さんは呆気に取られていた。このために呼び出された若者、徹と玲子は相変わらず我関せずといった姿勢を崩さない。玲子は携帯をいじっているし、徹は睡魔と格闘していた。
「それで、母ちゃんはどこにいるんだ! 今日連れてきたんじゃないのか? それともやっぱり死んでるのか?」
「完二!」
 久子伯母さんが再び伯父さんを叱る。ばあちゃんを目の前に、「死んでる」なんて。俺はちらりと隣りに座るばあちゃんを見た。それでも凛とした表情で完二伯父さんを見据えている。
「伯父さん、ばあちゃんは死んでないよ。姿を変えて、ここにいる」
 みんなの視線が一斉にトキ――ばあちゃんに集中する。ざわざわしていた空間が、雪が降ったあとのようにしんとする。それから第一声を上げたのは、やはり完二伯父さんだった。
「高校生くらいの女の子じゃねえか! 母ちゃんが若返ったとでも言うのか? どうせ、この子だって、浩介、お前が勝手に連れてきただけだろう。信じられるか!」
「お父さん! 信じられない気持ちはわかるけど、彼女は本当におばあちゃんなの!」
「美佐子まで、何言ってやがんだ。母ちゃんが若返ることなんて、ありえないんだよ!」
「浩介くん、本当のことを言ったら? おばあちゃんはどこにいるの」
 今まで発言をほとんどしていなかった幸子さんまでが、俺の言葉を信じない。考えてみれば当たり前だ。俺が言っていることは、非科学的でありえない夢物語。俺が妄想にとりつかれて、知らない少女を連れてきている。
「待つね」
不意に久子伯母さんが静かに、重い口を開いた。立ち上がって、ばあちゃんの顔をじっと見つめる。目を細めて遠くから。パーツを見定めるように至近距離から。しばらくすると、小さく息を吐いて目を丸くした。
「はぁ、驚いた。昔見たお母ちゃんの若い頃の写真にそっくりだ」
「え?」
親戚一同が久子伯母さんの発言に驚く。俺はばあちゃんの顔を見た。ばあちゃんは久子伯母さんを見て、笑顔を浮かべている。それでも納得いかないのが完二伯父さんや他の面子だ。
「写真が似ているからって、本人なわけがない! 若返るなんて、小説の中だけにしてくれ!」
「そうよ、久子姉さん。この子がお母ちゃんだって、証拠はないのよ?」
 綾子伯母さんもそれに同調する。お袋と親父も、どちらの味方をすればいいのか困っているようで、俺とばあちゃんを交互に見ては、親戚の顔色をうかがっている。だが、若返りなんて夢物語を信じろと言う方が難しい。きっと、現実的な二人は、心の中では完二伯父さんや綾子伯母さんの味方をしているだろう。
 誰も彼もが好き勝手批難するものだから、俺は発言の機会をすっかり失ってしまった。そこで声を上げたのは、ばあちゃん本人だった。
「黙り! いい年した大人がみっともない。綾子もだが、完二! あんたをそんな風に育てた覚えはないよ!」
 クーラーの設定気温は二十七度のはずなのに、もっと気温が下がった気がした。いつも横柄な完二伯父さんが、十代の小娘相手に怯んでいる。それほどばあちゃんには迫力があった。伯父さん、伯母さんは言葉をなくし、幸子さんと俊夫さんは目を白黒させている。その中でいたって冷静だったのは、徹と玲子だった。
「いいんじゃないですか。その子がばあちゃんだろうがそうでなかろうが。実際、若返りなんてありえないんですから、浩介がどっかから連れてきた子でしょう。やっぱりおばあさんは亡くなってるんですよ」
「お兄ちゃんの言う通りだと思うよ、私も。そうじゃなかったら、確実におばあちゃんだってさっさと証拠を見せればいいんじゃない? それができないってことは、この子はおばあちゃんじゃないってこと」
 二人の感情のこもっていない、興味のない冷静な声に、一同はしんとする。的を射ていることを言っているのに、本人たちはまったく無関係だと主張しているかのようだった。
 俺と美佐子はばあちゃんの方を向いた。俺たち二人は、今までの付き合いでトキとばあちゃんが同一人物だと確信していた。そうでなければ、観覧車で美佐子は体を震わせたりしない。俺が駄菓子屋までの道のりのことを思い出したりしない。ただ問題なのは、この少女がばあちゃんがあるという明確な証拠がないということだ。ばあちゃんと同じくらいの迫力があっても、ばあちゃんだと認めることはできない。
「それだったらさ……おばあちゃんしか知らない、みんなの秘密を言ってもらったらどうかな」
 ナイス。俺は美佐子の案に指を鳴らした。ばあちゃんと本人しか知りえない秘密なら、きっとみんな納得するはずだ。
「じゃあ、まずは一番疑ってるお父さんから」
 美佐子が指名すると、一瞬完二伯父さんはたじろいだ。まさか自分が一番手にくるとは思わなかったのだろう。それでもあぐらをかいて、堂々としている。まるで自分の秘密なんて言えないだろうと高を括ったように。
「完二か。そうだな。鶏小屋から一匹鶏を逃がしたことがあったな。完二が遊んでいたせいで逃げたんだが、『父ちゃんには言わないでくれ』って泣くもんだから、勝手に脱走したってことにした」
 伯父さんが、ぎょっとした顔でばあちゃんを見る。どうやら身に覚えがあるようだ。知らなかった親戚一同からは「あれが一番卵を産むから、お父ちゃんが大事にしてたのに」という小さな声が聞こえた。時間差の羞恥心が、彼の心に湧き出て、顔が真っ赤になる。
「それより、他のやつはどうだ! 綾子とか、真澄とか!」
 久子伯母さんには頭が上がらないので、妹二人に話題を振る。お袋と綾子さんも困惑の表情を浮かべる。ばあちゃんは二人をじっと見つめると、少し考えて口を開いた。
「綾子はお転婆で、蛙を箱詰めにしてびっくり箱を作っていたっけね。途中であたしが見つけて拳骨を食らわせたよ。真澄は末っ子だから甘やかしすぎたな。スイカ畑でモグラを見つけたときに腰を抜かしてしまって、スイカと真澄を抱えて帰るはめになった」
 綾子伯母さんとお袋があんぐりと口を開ける。こちらも当たりのようだ。それでも完二伯父さんは引き下がらない。「浩介と美佐子が教えたかもしれないだろう!」と大声を上げる。しかし、綾子伯母さんが「蛙箱のことは浩ちゃんにも美佐子ちゃんにも言ってない」と呟くと、はっとしたようにばあちゃんを見た。
「俺は……、俺は認めんぞ!」
 言いたいことだけ残すと、完二伯父さんは乱暴に障子を開けると、勝手に家を飛び出してしまった。残った親戚は黙ってそれを見送った。玲子の携帯をいじる音だけが響く。眠そうな徹は、それでも他人事のようにぼそりと言った。
「それが本当にばあちゃんだとしても、今更何しに出てきたっていうんですか。ばあちゃん本人だから、遺言書の中身を変えたいとか、そんなことが目的でしょ? 残念だけど、いくら互いしか知らない秘密を証拠にしても、世間じゃ若返りなんて誰も信じない。遺言は変えられないんだから、浩介や美佐子がこの子を世話するメリットなんてない」
「そ、そうね。どこの子か知らないけど、本当におばあちゃんだとしても、誰が世話をするの? この子を養うとしても、誰が養うっていうの。本当のご家族に返すべきだわ」
 幸子さんも徹も、やはりばあちゃんだということを信じようとしない。その上、また同じことの繰り返しだ。「誰が世話をするか」。ばあちゃんが施設に入ったときと一緒。若くなっても、老いていても、阿部家の邪魔者。自分の親、祖母なのに。俺は目の前の親戚一同をにらんだ。でも、ばあちゃんの目的は、自分が生きていると主張することじゃない。ばあちゃんはみんなの疑惑の視線を無視して、自分の希望を伝えた。
「あたしが『阿部トキ』と信じようが信じまいがどちらでも構わない。今回ここに来たのはミツ子さんのことだ」
 ミツ子さんはまだ病院で、意識を取り戻していない。お袋と綾子さんは、このあと病院へ行くと言っていた。すべてミツ子さんのことは後回し。自分の血筋ではない他人である彼女のことはどうでもいい。結局、どんなきれい事を並べたってそうなんだ。今まで義理の母であるばあちゃんを世話してきた、唯一の人間だというのに。
「ミツ子さんの面倒を、あたしに看させて欲しいんだ。できれば、彼女が回復に向うまで」
 ばあちゃんの言葉に、一同騒然とする。ばあちゃんを名乗る十代の少女が、自殺未遂を図った、阿部家の鼻つまみ者の看病をしたいと言い出すなんて、誰が想像できただろうか。
 俺も最初、ばあちゃんからその申し出をされたとき、正直戸惑った。当初俺は、ばあちゃんに楽しい思い出を作ってやることに必死だったし、記憶を取り戻したなら、尚更若い頃にできなかったことをやって、悔いなく過ごしたいと言うと思っていた。が、ばあちゃんは、ミツ子さんの面倒を看ることを選んだ。
「あたしのやり残したことは、ミツ子さんの面倒を看ることだ。お前たちは大事なことを忘れている。ミツ子さんは阿部家に嫁いでから、ずっと阿部家の人間だった。『嫁』というだけで除け者にされて、面倒ごとだけは押し付けられる。ミツ子さんは阿部家の召使ではないんだ」
「でもお母ちゃん」
 口を出したのは久子伯母さんだった。久子伯母さんが何か言おうとしたところを、ばあちゃんは首を振って遮った。
「寛一とのことだったら、もう充分償ってるよ。あたしの世話をずっとしていてくれたんだからね」
「それでも!」
 さっきから久子伯母さんが何か言おうとしている。それも全部お見通しのように、ばあちゃんは笑顔を浮かべるだけだ。
「あたしもわかってるよ。それでもミツ子さんの世話をしたいんだ」
 久子伯母さんが親指の爪を噛む。その仕草を見たばあちゃんは、今度は鋭い目で久子伯母さんをにらんだ。
「久子。久子だけじゃない。綾子、真澄も自分の家庭や都合があることはわかってるし、あたしの世話をしなかったことを責めたりはしない。だけど、知っていたならミツ子さんを止めて欲しかった。まあ、あたしが言えた義理はないけれどね」
 熟年女性陣が、頭を垂れる。俺にはばあちゃんの話がまったくわからなかったが、隣りにいた美佐子は、しゅんとした表情を浮かべていた。
 俺はやっぱりばあちゃんのこと、親戚のことを何も知らない、単なる若造でしかなかった。

 親戚会議が終わると、俺たちはホテルから久子伯母さんの家に荷物を運んだ。しばらく、というか、少なくても俺が夏休みの間は伯母さんの家で過ごすことになった。ホテルに何週間も滞在する金は、さすがにない。バイトもマスターの好意でずっと休みをもらえているが、さすがに九月になったら出なくてはならない。ありがたいことに、夏休みが開けたあとは、唯一トキ=ばあちゃんと信じてくれているらしい久子伯母さんが面倒を見てくれると言っている。
「狭いところだけど、勘弁してね」
 同居している幸子さんと俊夫さんに頭を下げて、俺は物置に使われていた部屋を借りた。客間の方はばあちゃんがいる。俺たち二人は、ここからミツ子さんの病院に通うことになった。
 お袋たちは、ミツ子さんの病室を訪ねたあと、駅前のホテルに今日は泊まるらしい。阿部家から帰る前にそう告げられた。それと「本当にこの女の子がお母ちゃんなら」という前置きをいれて、「お母ちゃんを頼んだよ」とお袋にばあちゃんを託された。基本的に、新潟にいる間はばあちゃんの面倒は俺が見て、俺の責任は久子伯母さんが取るという形になった。だから、ミツ子さんの様子を見に病院へ行くときは、俺が一緒だ。久子伯母さんも協力すると手を挙げたのだが、ばあちゃんに「介護は嫌々やるもんじゃない」と突っ返されてしまった。俺はミツ子さんの介護というよりも、ばあちゃんのお付きのような役目をもらった。
 何もわからない俺だけど、新潟に来て少しわかったことがある。親戚がミツ子さんを毛嫌いする理由。昔、ミツ子さんと死んだ寛一伯父さんの間に何かがあった。その『何か』が原因で嫌われているということ。それともうひとつ。ばあちゃんは口にしないけど、ミツ子さんはばあちゃんに対しても何かした、ということだ。
 夕食には、焼き鮭と小松菜の胡麻和え、大根の味噌汁が出た。全部ばあちゃんの好物だ。久子伯母さんと幸子さんの気遣いが見て取れた。ばあちゃん本人はというと、「気を遣わなくていいのに」と困り顔だった。そのわりに、食卓は気味が悪いほど静かだった。みんな、ばあちゃんの一言一句に注目し、ずっとじろじろ見られているようで、俺も食事した気にならなかった。やはり人が若返るというのは、にわかには信じられないのだろう。風呂に入ってやっとひとりになれたときだけ、一息つけた。
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