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文字数 4,195文字

「トキちゃん、このゲームうまいなあ」
「そうか? 初めてやるんだが、旭の教え方もうまかったからだと思うぞ」
 聞き覚えのある男の声と、トキの高い声が耳に響く。寝ぼけ眼で時計を見ると、午後六時を過ぎたところだ。俺はソファーに寝転んだまま伸びをすると、ぼやっとした頭で声のする方を見た。トキと思われる少女と、細くてひょろっとした男が肩を並べている。俺ははっとした。鍵は閉めたはずだった。なのに、どうしてうちに部外者が入ってくるんだ!
「お、浩介、起きたか」
「コウスケ、起こしても全然起きないんだもんな」
 二人は俺を批難する。ひょろっとしためがねの男の正体は、大学の悪友、旭だった。
「旭、どうして俺の家に入ってきてるんだよ。鍵は閉めてたはずだが」
 合鍵を持っているのは、彼女である美里だけだ。俺は親にも鍵を渡していない。お袋たちに渡すと、いつ家捜しされるかわかったもんじゃない。無論、旭が持っているなんてことはありえない。
「美里さんから預かってきた。『今までありがとう』だって」
 手錠型のキーホルダーを指でくるくると振り回して、にやっと笑う。この間、美里が浮気したことでけんかになったのは覚えているが、一方的に振られてしまったというわけか。怒りを通り越して、脱力した。
「で? このトキちゃんはどこの子だよ? お前、振られた腹いせに、子供を連れ込んだんじゃないだろうな?」
「『幼女最高!』とか言ってるお前と一緒にするな」
「バカ、オタクを差別すんな。本気でそんなことしねえよ」
「旭、ゲームの続き!」
 トキはマイペースにゲームの続きをしようと旭に持ちかける。旭はそれに笑顔で答えながら、俺に「腹減ったから、メシ!」と催促する。まったく、ずうずうしいやつだ。台所に立つと、米をとぎ、ほうれん草とベーコンを炒め、その上に卵を落とした。メシが炊けるまで時間があるので、俺も二人のゲームを見ることにした。二人で対戦できる、落ちものパズルゲームだ。普段俺と対戦するときは、常に本気で絶対負けない旭だが、小さい子供相手だとさすがに手加減してくれているようだ。また今回もトキの勝ちだ。何戦か繰り返しているうちに、メシが炊けてアラームが鳴った。
「お膳で食べるんじゃないのか?」
 テーブルに、ご飯茶碗とほうれん草の巣ごもり卵を大皿にのせるとトキが首をかしげた。確かに、昔の良家だったらこんな風におおざっぱに皿を並べることなく、小皿に一人分ずつのせ、お膳で食べていたのかもしれない。『東京のお屋敷』と言っていたところからも推測できるように、トキは良家のお嬢様なのかもしれない。だからといって、俺がお嬢様扱いできるくらいの金を持っているわけもないし、それ以前にトキの素性を何も知らないのでどうすることもできない。でもトキは、逆にこのおおざっぱな皿の並べ方や、食べ方を口うるさく言うような人間もいないことが楽なようで、正座は崩そうとはしなかったが、おかずをもりもりと食べていた。
 食べ終わって、麦茶を出すと、旭とともにごくごくと喉を鳴らして飲んでいた。それからは再びゲームだ。今度はパズルゲームではなく、RPGを始めた。テレビ画面に映るグラフィックに驚いているらしく、口をあんぐりと開けて、目をまんまるくしている。その様子を見ていた旭が、再度俺に訊ねた。
「なあ、本当にこの子、どこの子なんだ?」
 俺はその質問にどう答えるか迷った。カーテンの閉まった窓を見つめる。あのマネキンたちを思い出す。――この部屋も、もしかしたら病室と同じなのかもしれない。それとなく閉められた緑のカーテンを見る。そう思うと、急に恐くなった。自分だけがこの秘密を知っているのが辛い。誰か仲間が欲しいという強い気持ちが、旭に秘密を打ち明ける決心をさせた。旭なら、信じてくれるかもしれない。そういった淡い期待が、俺の胸に溢れる。
「……なあ、『若返り』って、信じるか?」
「はあ?」
 突然訊かれた旭は、理解しがたいという表情を作っていた。それでも構わず俺は続ける。
「例えば、一〇三歳のばあちゃんが、十歳くらいに若返るとか」
「そんな漫画、あったかもなあ。でも、それがどうした?」
 旭は完全に空想の世界の話だと思い込んでいる。それも仕方ないことだが、これは現実の話だ。俺ははっきりと旭に言った。
「漫画じゃなくてさ……俺、一○三歳のばあちゃんがいるんだよ」
「ふうん」
 興味のないような返事。目はトキのやっているゲーム画面に向けられている。まだ、これだけじゃわからない。回りくどい言葉じゃ伝わらない。俺は、旭に直球を投げた。
「一○三歳のばあちゃんが、そこにいるトキだ」
「……お前さ、俺がオタクだからって、バカにしてんのか?」
 呆れ顔と溜息のダブルコンボ。完全に旭は信じていない。しかもその口調はにわかに怒りをはらんでいる。
「アニメとか、そりゃあ大好きよ? できれば二次元の世界に行きたいさ。それでもな、俺は三次元の人間なの。それは変わらないわけ」
「嘘じゃない」
「じゃあお前は、この可愛い女の子が一○三歳のばあさんだって、本気で思ってるの?」
「……多分」
 詰問されているうちに、だんだんと自信がなくなってくる。自分の見たものが本物だと再確認しながら、旭に説明する。病院で眠っていたばあちゃんの周りに、子供の霊が現れて歳を吸って行った。金縛りが解けたら、トキがいた。自分で再確認しながら説明しているくせに、だんだんそれが嘘臭く感じてくる。やっぱりこれはただの夢、若しくは幻覚で、自分でも知らないうちに、トキを連れてきてしまったのではないだろうか。だとしたら、自分は病気だ。
 頭を抱えながら吐露する俺を見て、旭は尋常じゃないと感じたらしい。「大丈夫か?」と声をかけてくるが、大丈夫なわけがない。こんな意味がわからないことが実際にありえるもんか。
「それなら本人に確認すればいいじゃないか」
「どういうことだ?」
「トキちゃんに聞くんだよ。今、彼女の中で何年かって、元号をさ」
 そうか。年代を訊けば、もしかしたら何かわかるかもしれない。現代っ子ならば、平成と答えるはずだ。トキが本当に過去の人間なのであれば、大正と答えるだろう。ばあちゃんが十歳頃の時は、ちょうど大正時代だ。
「トキ、いいか? 今、何年かわかる?」
 ゲームの操作に四苦八苦していたトキが顔を上げた。指を折って少し考えてから、彼女は満面の笑みを浮かべ、答えた。
「大正六年、だ」
 旭と俺は顔を見合わせた。やっぱり、彼女はばあちゃんなのだ。

 トキにユニットバスの使い方を教えて、先に入ってもらっている間、俺と旭はお互い難しい顔をして黙り込んでいた。時計の進む音だけが聞こえる中、沈黙を最初に破ったのは旭だった。
「マジかよ……。漫画みたいなことが、本当にあるなんて」
「俺だって信じられないよ。ばあちゃんが十歳の女の子になるなんてさ。しかもそのせいで警察はくるわ、両親には疑われるわ」
「確かに、寝たきりだった老人がいきなり消えたんだもんな。しかも変わりにお前は小さな女の子を連れてる。どっちも不審に思われて当然だ」
「なあ! アニメでも漫画でもいいから、どうにか丸く解決する方法ってねえの? 旭、お前だけなんだよ! 頼れるのは」
 旭はあごをさすって難しい顔をすると、「だいたいこういう話のラストは……」と口に出して、黙った。
「ラストは? どうなるんだよ!」
「ヒロイン、この場合、お前のばあちゃんだな――が、死ぬ」
 死ぬ。その言葉に俺は凍りついた。なぜ、今更死ぬことを恐れる? 凍りついた自分自身を不思議に思った。そもそもばあちゃんは死にそうだった。だから、俺は新潟に行った。でも、今の、少女のばあちゃんはどうだ。元気に飛び跳ねて、色んなことに興味津々の普通の子供だ。死なんてものとはまったく無縁に見える。それが、ばあちゃんに戻った途端、死ぬなんて。じゃあ、どうすればいいんだ。ずっと子供のまま、俺が面倒を見ればいいのか? そんなわけにはいかないじゃないか。結婚もしていない、二十歳になったばかりの自分が、十歳の女の子をひとりで面倒見ることなんて不可能だ。それなら両親に助けを求める? それだってできない。この少女がばあちゃんだって信用してくれるかすらわからない。それに、お袋をはねつけたばかりだ。ばあちゃんは生きている。少女として。生きてはいるが、自分の孫ぐらいの年齢になった親を世話することができるだろうか。気持ちの整理はできるのだろうか。
「ばあちゃん、元に戻っても死が待ってるだけなのか? どうにかして、生き延びることはできないかな」
 俺は涙を堪えて旭にしがみついた。涙が落ちるのを我慢する自分に違和感を持ちながら。俺は何で涙が出そうなんだ。ばあちゃんが死ぬことは最初からわかっていたことだ。それに、死なない人間はいない。いつかはみんな死ぬんだ。ばあちゃんだって、俺だって。当たり前の理から今更逃れられないことは知っている。それを受け入れられない自分は、ただの駄々っ子なのかもしれない。
 しがみつかれた旭は、鼻で息を大きく吐くと、俺を引き剥がしてテーブルに腕を置いた。カップに入っていた麦茶をごくりと飲むと、時計をちらりと見やってテレビをつけた。つけたはいいが、画面を真剣に観るわけでもなく、心ここにあらずといった感じだ。俺がじっと旭を見つめていると、ぼそっと呟いた。
「まだどうなるか、全然わからないだろ。トキちゃんがすぐにばあちゃんに戻るとも限らない。それなら悔いなく過ごさせてやるのがいいんじゃないか? 俺もまあ……協力、できることはするし」
「悔いなく過ごす、か」
 ぶっきらぼうな旭の言葉は、今の俺を救うのに充分の威力を持っていた。悔いなく過ごさせてやる。トキがばあちゃんに戻って、トキであったときの記憶をなくしてしまっても、少しでも楽しく生かしてやりたい。
「しかしここの家のお風呂は厠と一緒なんて変わってるな。しかもその厠も、まるで洋風のイスのようだ」
 タオルで髪を拭きながらトキが風呂から出てきた。俺は目に溜まっていた涙を手で拭い、トキを引き寄せた。
「髪、濡れっぱなしだと風邪引くぞ。乾かしてやる」
 ユニットバスのところに置いてある、ドライヤーのところまでトキを連れて行く。旭は俺たちの様子を見て、めがねの奥の目を細めていた。
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