18

文字数 4,832文字

「お前、俺の家族から『最低』のレッテルを貼られてるから」
 朝、旭と駅で待ち合わせすると、トキを連れてきた彼に冷たく睨まれた。
「俺んち実家だって、言っただろ? トキちゃん連れてったら、『どっから誘拐してきた!』って、大騒動。だから、『浩介の従姉妹が来てるんだけど、彼女を部屋に連れ込んでるから預かってきた』って言った」
「何でそういう誤解を招くような発言するんだよ……」
 今度から旭の家に遊びに行くと、俺はそういう冷たい視線を浴びせられることになるのか。頭を抱えてうずくまっていると、駅の改札からプリン頭が出てきた。
「浩介! ……と?」
「あ、こっちは旭で、小さいのがトキ」
 手短に説明すると、人見知りする旭は硬直して、何回もかみながら自己紹介した。トキは相変わらず「佐藤トキだ」と名乗った。
 今日、完二伯父さんはいない。すでに新幹線で上越方面へ向っているはずだ。美佐子には一人で東京見物をしたいと嘘をついてもらい、残ってもらったのだ。
 昨日、ホテルに帰る前、俺は美佐子に告げた。「どんな姿になっててもいいなら、ばあちゃんに会わせる」と。その代わり、伯父さんや他の親戚には秘密だということも。
「トキって……」
 美佐子の顔が引きつる。俺はとどめの一言を美佐子の胸に刺した。
「ばあちゃんだよ。子供に戻っちまったんだ」
「え、えええ?」
 美佐子はトキの顔や手、腕をべたべたと触る。それをくすぐったそうに笑うトキの声が、駅の構内に響いた。
 一通りトキをいじりまわした美佐子は、ひとつ溜息を落とすと、俺のTシャツの首を引っ張った。
「あのね、人が若返るなんて、漫画じゃあるまいし。おばあちゃんに会えないなら、私帰るよ」
 ちょうど俺の首辺りに頭のてっぺんが来る美佐子に、俺は落ち着くように言った。
「落ち着けって。それにどっちにしろもう今日もホテル泊まっていくんだろ? それなら一日付き合ってくれよ。一日付き合って、ここにいるトキがばあちゃん本人かどうか、調べていけばいい」
「でも」
「俺とトキは、今日動物公園に行くんだ。せっかくここまで来たんだし、お前も遊んで行けよ」
 無言で頬を膨らませていた美佐子は、少し考えて渋々うなずいた。
旭が改札外で手を軽く振る。トキと孫である俺、美佐子の三人は、切符を握りしめ電車に乗り込んだ。

 新宿から大宮まで出て、そこから約一時間。埼玉県にあるさいたま動物公園に到着したのは、すでに正午を回ってからだった。西ゲートから入ると、さっそく記念撮影隊につかまって、カバの銅像の前で三人並んで写真を撮る羽目になった。帰る頃に記念グッズになっているらしい。それを売りつけるという寸法か。俺は写真を撮ったあと、周りを見渡した。トキに風船を買ってやりたい。そう思っていたのに、風船売りはどこにもいない。もしかしたらもう販売をやめてしまったのかもしれない。あのとき俺が買ってもらった風船は、戻ってこないのか。時間は残酷すぎる。人をおいて過ぎ去っていく。おいていかれた人間に戻ってこない思い出だけを残して。今のトキもそうだ。時間においていかれて、周りに誰もいない。友達も親も違う世界へ旅立ってしまった。トキは旅立つことなく、現在にいる。それは俺にとってはいいことだったのかもしれない。老いて死に逝く人間に何もせず、ただ別れだけを言うのではなく、何かしてやれるチャンスができたのだ。でも、トキはどうだ。何も分からない世界にひとりぼっちになってしまった。俺のわがままで旅立ちを先延ばしにさせた気がして、俺は胸が痛くなった。
そんな俺の気持ちを知らないトキは、案内地図を広げた。西ゲートの周りは遊園地エリア、反対側の東ゲートの周りは動物園エリアとなっている。俺たちは、中央エリアまで走っているミニSLに乗って園の中心まで行き、東の動物園エリアを一周したのちに遊園地エリアに向うことにした。
 七月上旬のプール営業前ということもあり、園は休日なのに空いていた。俺たち三人はさっそくミニSLの最前列のシートに腰かける。トキは初めての乗り物に、目をきらきらと輝かせた。やる気のない運転手の出発のアナウンスが切れると、ミニSLは二回汽笛を鳴らし出発した。
中心の駅に着いてから、動物園初心者でも驚かないようにと、俺は鳥や猿、リスのような小さい動物から見ようと提案した。が、それは久々の動物園でテンションを上げた美佐子に却下された。そのためトキは、来て早々ライオンやトラなどの猛獣に挨拶することになり、美佐子の後ろに隠れながら、恐る恐るあくびする猛獣たちを見ていた。
「わあ、ホワイトタイガーだ! 珍しい!」
「白い……トラか? すごいな、日本にこんな動物がいるなんて」
「トキ、これはもともと日本にいたんじゃないよ。他の国から連れてきたんだ」
「見て見て! 肉球がピンクで大きい!」
 トキはおっかなびっくりしているだけだが、美佐子も年甲斐もなくはしゃいでいて、俺は連れてきたことを少し後悔した。正直、うるさい。疲れる。だけど彼女がいることで、誘拐犯や変質者に見られないところだけは感謝できた。
 猛獣コーナーで興奮した二人――主に美佐子だが――をクールダウンさせるために、俺は近くにあったふれあいコーナーに入ろうと提案した。ふれあいコーナーは、うさぎやモルモット、やぎや羊、豚がいて、触ることもできる。門を開けて入ると、手を洗ってから、ベンチに座ったトキにうさぎを抱かせてやった。美佐子はここでも勝手にフィーバーして、逃げ惑ううさぎを追いかけ回している。溜息をつきながらトキの隣りに座ると、彼女は膝の上に乗せたうさぎの背中をなでて呟いた。
「こんな世界があるなんて、想像もつかなかった」
 俺はトキの顔を見ずに、その呟きに自然と答えていた。
「もっと色んな場所に行こうな。元の姿に戻るまで、俺が付き合うから」
 トキがいつばあちゃんに戻るかわからない。戻ったら、きっと死が待っている。だから、それまで。ばあちゃんに、何もしてやらなかった俺が唯一できることだから。
「何しんみりしてるの?」
 茶色い小さなうさぎを抱っこしたプリン頭は、満足したように座った。トキは俺と美佐子に挟まれる。他の家族連れが「カップルと妹さんかしらね」と笑う声が聞こえた。誰もこの真ん中の小さい少女が最年長だとはわからないだろう。
 ふれあいコーナーを出ると、ちょうどアシカショーの時間だった。アシカが手をあげたり字を書いたりするごとにトキは目を丸くして拍手を送る。ショーが終わると、今度は遊園地エリアへ移動して、軽く食事を取った。ハンバーガーとから揚げを買うと、わきに風船がいくつか売っていた。入り口で売り子を探してもいなかったのは、販売場所を変えたからだったのか。俺は三人分の食事を運ぶと、すぐに赤い風船を買った。
「トキ、これ」
 そう言ってトキの左腕に糸を巻いてやる。トキは浮かぶ風船を見るとにっこりと笑って「ありがとう」と言ってくれた。その笑顔が俺にはまぶしくて、なんだかわからないが泣きそうになった。それをじっ、と見ていた美佐子が、変な顔をする。
「浩介、何で涙目になってるの?」
「め、目にゴミが入ったんだよ」
 指摘されてしまい、すぐに目を擦る。ひとりセンチメンタルになっていたのが恥ずかしい。トキも不思議そうな表情で、俺の顔をのぞきこむ。俺はごまかすようにハンバーガーの残りを一口で食べた。
 ここの動物公園は、夏、冬の長期休み中以外は夕方の五時で閉まってしまう。俺たちが食事を終えたのは午後三時。これから閉園時間まで、遊園地エリアで過ごすことにした。
「トキちゃん、絶叫マシーンいっぱいあるけど、何乗る?」
 絶叫マシーンとすでに限定している美佐子は、俺と手を繋いで歩いていたトキの肩を叩いた。トキは周りをきょろきょろと見る。あるのは木製のジェットコースターやら、一回転するコースター、急降下するマシーンがある。トキが返事に窮したところで、俺は近くのゲームコーナーの方をこっそり指差した。
「あ、あれ! 輪投げしたい!」
「ええっ、輪投げぇ?」
「美佐子、譲ってやれよ」
 俺が言うと、ぶうたれつつ美佐子も輪投げコーナーについてきた。
「もし行きたいなら、ひとりで行ってきてもいいんだぞ」
「いや」
 美佐子は首を振ると、トキを見すえた。
「トキちゃんが本当におばあちゃんか、浩介の嘘を見破らなきゃ」
「だから嘘じゃ……」
「大当たり!」
 輪投げコーナーの従業員が大きくベルを鳴らす。隣りのトキは手を挙げて大喜びだ。何事かと思い、輪投げを見ると、見事一等のところにわっかがひとつ引っかかっていた。
「トキがやったのか?」
「あたし、こういうの得意なんだ」
 嬉しそうに笑うトキは、従業員から大きな犬のぬいぐるみをもらった。トキひとりじゃ、抱えられないほどの大きさのぬいぐるみは、俺が持つことにした。
「浩介、あんた本当に変だよ? あの子がばあちゃんなんて、信じられるわけないでしょ」
「それなら、信じなくてもいいよ。俺はトキ、いや、ばあちゃんと思い出を作りたい。だから今こうやって遊園地にも来てる」
 手元のコーラを飲むと、メリーゴーランドに乗っているトキが手を振る。振り返すと、また反対の方向へ馬は回っていく。
「どこの子か知らないけど、あんな小さな子連れまわしていいと思ってるの?」
 メロンソーダをストローで吸い、美佐子が騒ぐ。俺はもうちょっと声のトーンを落とすように指示すると、仕方ないと言いたげにそれに従った。
「だから、あの子はばあちゃんなんだ。だから行く場所も、帰る場所もない」
「それが本当だとしたら、伯母さんたちには相談するのが筋ってもんでしょ? なんで何も言ってないのよ」
「信じてもらえるわけ、ないだろ」
「それなら、何で私には打ち明けてくれたの?」
 ずずっとメロンソーダを吸い終わると、メリーゴーランドの回転も止まり、ベルがなった。トキはメリーゴーランドが気に入ったらしく、下りるとすぐに入り口へ向って再度乗ろうとしている。
「お前なら、味方になってくれると思った。もしばあちゃんが若返ったとしても、研究者やマスコミに売ったりしないと思った」
 再びベルが鳴り、メリーゴーランドが動き出す。俺はコーラを飲み終わると、美佐子に訊ねた。
「で、どうだ? トキがばあちゃんだって信用する気にはなったか」
「なるわけないじゃん」
 ストローを加えてメリーゴーランドの方を向いていた美佐子は、何度も何度も目の前に来るトキを細い目で見つめていた。


「最後に観覧車に乗ろうよ」
 絶叫系をあきらめた美佐子は、西ゲート近くの大きな観覧車を指した。あれならゆっくり乗れるし、上から園全体が見渡せる。今日のシメとしてはいい選択だ。トキは気づくとすでに乗り場に並んでいた。
 トキが乗り場で少しもたついたせいで、俺が乗り込むのは地面を離れるぎりぎりのところだった。向かいにトキと美佐子が座り、ゆっくりと観覧車は上へ向っていく。脚をばたつかせて窓の風景を見ていたトキが、ふと呟いた。
「お母様……」
 俺と美佐子は、トキの視線の先を追って、窓から下の景色を見た。そこには小さい子供をおんぶして、片手はその兄と思われる子供の手を引く母親の姿があった。
「お母様も、あんな風にあたしをおんぶしてくれたんだ。だからあたしも、自分の子供をあんな風におんぶできる、力強い背中が欲しいな」
 トキの台詞に、美佐子は体をわずかに振るわせた。俺は見なかったことにして、反対側の窓をのぞく。観覧車はてっぺんに向っている。観覧車では空の上まではいけないが、空を突っ切ったその先には何があるのだろう。科学的に宇宙とか、そんな答えを求めているんじゃない。死後の世界。天国とか霊界とかそういったものは本当にあるのだろうか。人はいつか死ぬ。死んだらどこに行くのだろう。空はオレンジに静かに染まっていくだけで、答えを教えてはくれなかった。
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