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文字数 1,741文字

 大学の大教室で、俺は関東近県のガイドブックを広げていた。バイト先の、個人で経営している喫茶店のマスターには「従姉妹がしばらく来ていて世話をしなくてはならない」としばらく休みをもらったので、今度学校がない日にでもトキを遊びに連れていってやろうと思ったのだ。
 トキは今、旭に預けている。ちょうど講義が俺と入れ違いになるので、それまで相手をしてもらっている。
 やっぱり王道の遊園地か。千葉のテーマパークは混んでいるから、都内にある都市型遊園地にしようか。それとも近場でボウリングやゲームセンターでもいいな。お金もかからないし、トキだったら喜びそうだ。映画館や水族館も捨てがたい。
 ガイドブックを見ていると、影ができた。上を向くと、よく知ったロングヘアの女が俺を見下していた。
「別れたばっかだっていうのに、もう次のデートの下準備?」
「そっちから別れたんだろうが」
 そっけなく返すと、何を思ったのか美里は俺の隣りに座って、講義の準備を始めた。俺は少し体を離した。それでも美里は寄ってくる。
「なんだよ」
「やっぱりあなたが一番私のことをわかってくれてたんだなあって」
「今更」
「そうかしら」
 人目をはばからずに腕を組もうとする美里を思いっきり突き放すと、俺は荷物を全部持ち、他の席に移動した。
 周りがにわかにざわつく。そんなの無視だ。大体、向こうが一方的すぎるんだ。勝手に浮気して俺を振ったくせに、今更復縁? 合鍵だって返してきただろう。ふざけるな。
一番後ろに陣取ると、再びガイドブックを広げた。きっとトキならどこへ連れて行っても新鮮な反応を見せてくれるだろう。表情を想像するだけで、何だか楽しくなる。迷子にならないように俺の手を取って、あっちに行こう、こっちに行こうと子供の好奇心に一日中連れ回されるんだ。新幹線に乗ったときは、正直頭が痛かった。振り回されると考えるだけで勘弁して欲しいと思った。でも、今は違う。トキとできるだけ楽しい思い出を作ろう。そういう気持ちが強くなっていた。
「コウスケ!」
 そう。今みたいに大きな声で俺を呼んで、早く来いと急かすトキが簡単に想像できた。
「……コウスケ!」
 いや、幻聴じゃない。確かにトキの声だ。入り口を見ると、旭とトキが一緒に俺を待っていた。教室にいるはトキに注目している。そりゃそうだ。子供が大学に入り込んでいるのだから。
 俺は足早に入り口へ向い、旭に理由を聞いた。
「おい、一体どうしたんだ? トキ、俺は大学だから旭と一緒にいてくれって言ったよな」
「大学が見たいって、トキちゃんが言うもんだからさ。俺も次の講義、レポート課題が出てるって忘れてたもんだから連れてきたんだが、お前の勉強してるところも見学したいって」
「でもコウスケ、あなたは阿部家で勉強するんだとてっきり思っていたけど、大学に通ってるんだね」 
そうだ。書生は通常、世話になっている家の手伝いをしながら勉強するもんだ。大学に行っている書生って、どうなのだろう。だからって今それを考えている場合じゃない。すごく注目を浴びてしまっている。俺は仕方なく今回の講義をサボることにして、トキに大学見学させてやることにした。
講義開始のチャイムがなると、ほとんどの学生は教室に入ってしまい、静かになった。とはいえ、見学するようなところは、ここの大学にはない。とりあえ課題をやるという旭と別れて、俺はグラウンドでやっているサッカーや体育館の剣道をトキに見せてやった。あとはほとんどイスと机しかない教室で、しかも講義中だ。邪魔になるといけないので、見学せずに学食へ向うことにした。
「わあ」
 肉じゃがに味噌汁、お新香、なます、揚げ出し豆腐のついたA定食を頼むと、トキは嬉しそうに目を丸くした。
「久々の和食だ」
「そうだっけ?」
 カレーうどんを食べている俺は、ここ三日の食事を思い出した。そういえば、和食っぽい和食を食べていない。最初に食べたのはコンビニのおにぎり。それからほうれん草の巣篭もり卵。翌日はシチューだ。ちゃんとした一汁三菜というのは、この学食での食事が初めてかもしれない。
「何だか安心する」
「そうか」
 うどんをすすりながら、俺はトキが喜ぶなら、一汁三菜のちゃんとした和食を作るのもいいかなと考えていた。
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