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文字数 4,468文字

 美佐子から久子伯母さんの家に電話があり、旭が再び新潟に来ていることを知った。普通なら友人である俺に連絡がくるはずだが、俺は生憎携帯を持ってきていない、だから、先に美佐子へ連絡がいったらしい。
 墓掃除の道具を置いて、夕方駅に着くと、すで旭と美佐子は一緒にいた。
「いやあ、やっぱり関わった人間として、少し心配になるじゃん? 美佐子ちゃんに聞くだけでも良かったんだけど、ちょうどアニソンライブが朱鷺メッセであるっていうからさあ」
 完全にライブ目的ではあったようだが、俺は久しぶりの顔に会えて嬉しかった。
「よ、トキちゃん。元気か?」
「旭か! おかげ様で記憶も戻った。世話をかけたね」
 旭はトキの少し大人びた雰囲気に少し違和感を覚えたようだったが、それは当たり前だ。俺たち二人で面倒を見ていたときは、純粋な子供で、すべてのことに目を輝かせていた。根本的なものは何もかわっちゃいない。ただ、完二さんやミツ子さんのことで、『阿部トキ』としての貫禄もでてきたところだ。
「ライブは明日の昼からなんだ。だからさ、またどっか遊びに行かないか?」
「どうする、浩介。私はいいけど」
 俺はばあちゃんの方を向いた。旭と再会したことで笑顔になっている。やっぱりひと段落したといい、ミツ子さんとのこともあってずっと遊んでいなかった。せっかくの誘い、断る理由はない。
「いいよ。今夜海近くで花火しようよ」
 海の中には危ない霊がいる。でも砂浜なら大丈夫だろう。俺の提案に三人は賛成した。
 美佐子の相変わらずおぼつかない運転で、デパートまで行き、大量に花火を買い込む。もちろんバケツも忘れずにだ。夕食は洋食屋で各自好きなものを頼んだ。俺はオムライス、美佐子はスパゲティ、旭はカレー。ばあちゃんはビーフシチューを食べた。やっぱり箸じゃないと右手が痛くならない。が、今日のターゲットは旭だった。旭は左利きだ。ばあちゃん曰く、「右手に直しなさい!」だそうだ。昔は左利きから右利きに矯正された人が多かったらしいが、旭は何度も左手を叩かれていた。

 夜九時。浜辺には意外と人がいた。みんな俺たちと同じように花火をしている。俺たちも負けじと急いで花火を取り出して、バケツに水を用意する。さっそくろうそくに火をつけて、旭が一番初めに花火に点火させた。
「うおー、両手持ち!」
 旭が両手に花火を持ち、グルグルと回す。美佐子が「危ないよ!」と言ってもききやしない。ばあちゃんは、どの花火がいいか、旭の花火の光を使って、品定め中だ。
「ばあちゃんは、どんな花火が好きなんだ?」
「そうだな。やっぱり線香花火が一番好きだけど、旭のやっているのも派手でいいな」
 旭は今度、美佐子を追い回している。その様子を見て、「実は旭って、美佐子が好きなんじゃないか?」と疑問に思った。二次元至上主義、なんて普段は言っているけど、こんなに女の子に接近している姿を見るのは初めてだ。何度か電話でやり取りしていたらしいが、あの人見知りのオタクが、プリン頭をねぇ。
 そんなことを考えているうちに、ばあちゃんはいつの間にか花火を一本決めて、火をつけている。俺も負けてはいられない。さっそく一本手にとって。ばあちゃんから火をもらう。シューッと音がして、緑の炎が吹き出る。
「浩介、覚えてるか?」
「ん、何を?」
 ばあちゃんは花火が挙げる火柱を懐かしそうに見ながら、ゆっくりと話し始めた。
 昔は、新潟に住んでいる完二伯父さん一家や久子伯母さんたち以外にも、お袋や綾子伯母さんもよく遊びに来ていたらしい。そのとき、俺や美佐子、徹は四つくらいで、玲子はまだ生まれもしていなかった。ミツ子さんは相変わらず阿部家との仲は微妙だったらしいが、ばあちゃんと完二伯父さんは、俺たち子供をバンに乗せて海に連れてって、すいか割りや花火で遊ばせてくれたらしい。
「俺、今まですっかり忘れてた」
「そりゃそうだね。小さい頃の記憶なんて、すぐ忘れてしまうものさ」
 ばあちゃんの花火が消えた。時間差で、俺の火も消える。バケツの水に突っ込むと、また新しい花火を一本ずつ取り出す。
「でも、もう一度、浩介や美佐子と花火ができて、嬉しいよ」
「徹や玲子もいればいいんだけどね」
 二人の名前を呟くと、ばあちゃんは寂しそうな顔をした。
「徹や玲子は、もう無理だよ。阿部家はまったく違う家だと思っているだろ。あの子たちにとって、自分の家は坂口家で、それ以外の家のことはどうだっていいのさ。悲しいけど、そうやって育ってしまったんだから」
 ばあちゃんの言葉に俺は無言になった。俺もそうだった。親戚なんて、どうでもよかった。今いる山崎家のことだけで精一杯。三人家族の山崎家で、お袋とけんかしたとか、親父に殴られたとか、本当にちょっとした言い争いだけでも大問題。でも、阿部家はそんな問題すら小さいものでしかない。ばあちゃんが倒れてからは責任の押し付け合い。結局、ミツ子さんに無理やり押し付けて、完二伯父さんは、遺言書を自分に有利になるように分州先生の弟さんにお願いしたり。
 ただ、徹と玲子が阿部家のことまで気を回せなくなったのは、理由がある。父親の一二三さんと綾子さんが離婚調停中だということも関係ある。自分の家のことでいっぱいいっぱいなのだ。そんなときに阿部家の、ばあちゃんの心配をする心の余裕がないのだろう。
「おい! 危ねえよ、クソガキ!」
「す、すいません」
 旭のめがねが傾く。どうやらはしゃぎすぎて、がたいのいいお兄さんの怒りを買ってしまったようだ。
「ったく、うるさくてこっちが楽しめねえだろ」
 そう言って一列に並べたロケット花火に点火する。ロケット花火はピューッと大きな音を出して、空に消えていく。
 ――そっちの方が迷惑じゃないか。ここの浜辺ではロケット花火は禁止だ。看板にもしっかりとある。「近所の方々の迷惑になります。ロケット花火はやめましょう」って。がたいのいいやつの集団は俺たちの二倍は人がいる。けんかしたらボコボコにされること受けあいだ。男は旭に言った。
「そうだな。おれのサンダルの裏を舐めたら、許してやってもいいぞ」
「ケンジー、それってひどくない?」
 遠くにいた女が、ケンジと呼ばれる男に声をかける。本気で止めようとする声ではなく、面白がっている様子だ。
「くっ」
 旭はゆっくりと膝を砂につける。美佐子はそれを心配そうに見つめる。
「おい、旭! そんなことやる必要ないぞ!」
「うるせえよ。お友達は黙ってな」
 ドスっと鈍い音が響き、腹に痛みを感じる。どうやらパンチをくらったらしい。そういやばあちゃんはどうした? 辺りを見回すが、どこにもいない。かといって、相手に人質にされているようでもない。どこかに隠れて様子をみているならいいんだが。
 そう思ったときだった。
「待て、下衆ども!」
 振り向くと、竹箒を持ったばあちゃんがいた。まずい。ばあちゃんまで狙われてしまう。それだけは避けなければ。
「ばあちゃん、俺たちはいいから、逃げろ!」
「馬鹿もんが! 孫たちがこんな目にあって逃げられるか!」
 ばあちゃんの目は本気だ。体格差も力の差もありそうなケンジと戦う気だ。
「お嬢ちゃん、かわいいねぇ。じゃあ、負けたら、俺たちと遊んでくれるの?」
「誰が貴様らと遊ぶか! それよりうちの孫たちの敵をとらせてもらうぞ!」
「マゴぉ? 何だ、それ……」
 ケンジが頭をかいた瞬間だった。「キエェーッ!」という気合いとともに、竹箒を持ったばあちゃんが、ほうきのゴミを掃く部分で、ケンジの目を突く。攻撃は更に続く。ほうきをぐるりと頭の上で回すと今度は柄の部分でケンジの股間をダイレクトに突く。
「な、なんだ、この女!」
 ケンジの連れの男達も加勢するが、ばあちゃんにとっては敵ではなかった。四人の男たちを、竹箒一本で倒してしまうとは。俺は目の前の風景が信じられなかった。
「ほれ、大丈夫か。浩介、旭、美佐子」
「おばあちゃん!」
 美佐子はばあちゃんの胸を借りて泣いている。よっぽ恐かったのか。旭は目の前で起こったことが理解できないようで、ぽかんとしている。俺はばあちゃんの持っている竹箒を見た。何の変哲もない竹箒だ。こんな武器で、四人の男を追い払うなんて、ばあちゃんはなんて強いんだ。
「あ、あの」
 旭がやっと声を出した。
「何かやってたんですか? 剣道とか」
「薙刀は昔やらされたね。あと、戦時中はあたしたちも鍛えさせられたからねぇ。でも、人を傷つけるためではなく、人を守るために使えてよかったよ」
 そうか。ばあちゃんは明治、大正、昭和、平成と生きているんだ。俺が思っている以上に修羅場をくぐってきた人だ。それがあんな平成生まれの若造たちに怯えるわけがない。俺は変に納得してしまった。
「それよりみんな。線香花火がちょうど一本ずつ残ってるよ。誰が一番長く持つか、競争しよう」
 ばあちゃんは泣いている美佐子に一本、俺と旭に一本、自分で一本持つと、火をつけた。線香花火はパチパチと火花を飛ばしながら、じんわりと大きい玉になっていく。最初に落ちたのは、旭だった。「ああ、くそっー!」と悔しがるが、その顔は満面の笑みだ。次に落ちたのは美佐子で、やっぱり笑っている。俺とばあちゃんの一騎打ちになったが、一瞬の差で俺が先に落ちた。優勝はばあちゃんだった。ばあちゃんは嬉しそうに目を細めた。俺はその表情を見たことがあるような気がした。

 久子伯母さんに、今日のばあちゃんの活躍を報告すると、雷が落ちた。
「浩介! あんた、ばあちゃんに何させるね! あんたの友達が悪ふざけしとったからそんな目にあったんだろが!」
 言い返すことのできなかった俺は、そのまま風呂場に逃げた。
 俺は風呂にぶくぶくと沈みながら、今日の出来事を思い返していた。俺のばあちゃん。年相応に物知りで、しつけにうるさいだけだと思っていた。なのに、あんなに強いなんて。きっと、ばあちゃんが若返らなかったら、一生知ることはなかったと思う。ひとりで四人の男をなぎ倒してしまう強さ。俺みたいな格闘技も何もしてこなかった男より、よっぽど強く、気高い。かっこいいばあちゃん。
 俺はもしかしたらババコンかもしれない。ババア・コンプレックス。で、ババコン。ババアは酷いかな。だとしたら、ソボコン。祖母・コンプレックス。だって、全部ばあちゃんが悪いんだ。ばあちゃんのことを知れば知るほど、好きになる。尊敬してしまう。死んだ二人を入れて、六人の子供を育てあげただけあるというか。何事にも動じないところも俺にはないところだ。でも、俺はそのばあちゃんの孫だ。俺ももっと心を鍛えれば、ばあちゃんみたいになれるかな。
 風呂に頭のてっぺんまで沈むと、潜水艦が一気に浮上するようにざばっと出た。忘れていたけどばあちゃん、いつまで一緒にいられるんだろう。できればずっと、ずっと一緒にいたい。俺が立派な男になるのを、その目で見ていて欲しい。
 こりゃ、重症のソボコンだな。二ヶ月前には想像もつかないくらいのソボコンだ。
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