文字数 918文字

 ばあちゃんは、俺が小さい頃からばあちゃんだった。俺が知らない間に、もっとばあちゃんになって、施設に入れられていた。お袋の話でわかっていたことだが、生まれたときからずっと離れて暮らしていたから、実感なんてなかった。
 そのばあちゃんが死ぬらしい。大学の講義中にかかってきた電話は、教授のきつい眼差しをすり抜けて、留守録を残していた。
 『今すぐ家に帰ってきなさい。みんなで新潟に行くわよ』
 お袋の取り乱した声が頭に響く。一人暮らしのぼろっちいアパートに戻る途中、留守録だけじゃ伝わらない大事な部分を聞こうと、お袋の携帯に電話した。三回ほど留守伝サービスに繋がって、四度目でやっと出た。
 電話の向こうはばたばたとうるさかった。お袋の、半分叫びのような説明でわかったことはひとつ。新潟の施設にいるばあちゃんが、死ぬ、ということだ。「死ぬ」だから、まだ死んでいない。不謹慎な、と思いつつも、新宿から一時間かけて実家に帰ると、お袋は大騒ぎで喪服を探していた。俺の分は黒のスーツと、親父の葬式用ネクタイのスペア、お古の数珠がベッドの上に投げ出されていた。
まったくの茶番だと言い切れない俺は、頭をかいた。ばあちゃんは一○三歳。この年齢でもまだまだ健在の人もいるが、ばあちゃんは施設で寝たきりになって、すでに何年も経っている。
「四時の新幹線で向うから、それまでに用しなさい」
 お袋はボストンバッグに自分と親父の荷物を入れながら、俺に指図した。親父は仕事が終わってから向うらしい。言われるがままに、黒系の服をバッグに詰める。スーツだけは別だ。用意ができたら、Tシャツとジーパンを脱ぎ、白いシャツに綿のズボンに履き替える。シャツを着ているとき、ボタンを掛け違えたような気持ち悪い汗が、背中を流れた。ばあちゃんは生きている。生きているのに、葬式の準備をしている俺たち家族は、ばあちゃん全てを否定している。俺たちだけじゃない。お袋の兄弟姉妹もだ。ずっと鳴り止まないお袋の携帯。伯父、伯母からしきりに連絡が来る。内容は葬式のことや、お布施についてのこと。俺は、ばあちゃんのことを何ひとつ知らないくせに、大事なガラス玉を傷つけられた女の子みたいなショックを受けた。
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