文字数 1,450文字

 ばあちゃんは五階の個室にいた。側には憔悴しきった久子伯母さんと、久子伯母さんを支える娘の幸子さん、その旦那の俊夫おじさん、幸子さんの双子の弟の幸太さんがベッドを囲むようにして座っている。ばあちゃんのベッドから離れた部屋の隅で、丸イスに体を丸めるように沈み込んでいるのが、今まで一番ばあちゃんの面倒を看てくれていた、ミツ子さんだ。ミツ子さんは阿部家に嫁入りした義理のおばなのだが、長男の嫁という理由だけでばあちゃんの世話をしていた。入り口で立ち止まった綾子伯母さんとお袋は、ミツ子さんに挨拶するのをためらった。こけた頬と、パーマが取れて何日も洗っていない髪のせいで、久子伯母さんよりも精神的に参っているように見えたからだけではない。肉親である自分たちが全て投げ出した親の世話を、義理の娘にやらせていたことへの罪悪感があるからかもしれない。俺はそのことでお袋たちを責める立場にないことは承知している。関東の家に嫁いだことで世話ができなかったことは仕方がないことだ。
 新潟に在住していながら、たまに様子を見にきていただけの完二伯父さんが、先ほどとはうってかわり、固まった顔でミツ子さんに挨拶する。まるで立場が逆だ。口だけで、何も世話せずに遺産の相談に来たような実の息子たちが、続々と病室に入ってくる。
「そういえば、学さんは? ちゃんと連絡できた?」
「あいつは来ない。連絡もしてない」
 完二伯父さんが、言葉に静かな怒りを込める。学さんは去年まで広告会社で働くエリートだったのだが、何を思ったのか今年に入って会社を辞め、リュックサックひとつで世界一周の旅へ行ってしまった。父親の完二伯父さんは、息子の学さんの話になると機嫌が悪くなる。お袋と電話で話しているとき、よく怒鳴り声が受話器越しに聞こえたので知っている。
「綾子、一二三さんは来るのかね?」
 今度は久子伯母さんが綾子伯母さんに訊ねるが、首を横に振るだけだ。徹と玲子が顔を上げる。
「お葬式だけは来るって言ってたわ」
「あの人、わざわざ来るんだ」
 玲子が父親のことを『あの人』呼ばわりしても、綾子伯母さんは黙ったままだった。
 ピッピッと、規則正しい機械音が鳴る。ばあちゃんは呼吸器をつけて親族の真ん中に横たわっている。久子伯母さんの話では、今朝から意識がなく、今夜がとうげだと主治医に宣告されたらしい。いくつもの目玉が気味悪く動いてばあちゃんを凝視する。
 誰も喋らないで、簡単に一時間が経った。完二伯父さんがしびれを切らして煙草を吸いに出て行くと、お袋と綾子伯母さんも夕食を食べに出かけようと久子伯母さんたちを誘った。俺の腹もこんなときだというのに、その言葉に反応する。サンドイッチだけじゃ足りなかったようだ。ミツ子さん以外のみんながそれに賛成すると、美佐子は完二伯父さんを呼びに病室を飛び出していった。ミツ子さんはばあちゃんの側にいることを誇示したが、綾子おばさんとお袋に無理やり連れ出される。ぞろぞろと外に向う連中を見送って、俺は最後に病室を出ようとした。ばあちゃんの頭上にあるライトだけが暗い部屋に輝いているのを見ると、無性に寂しくなった。死の淵を彷徨っている、自分の源である人間をおいて、生きるために食事に出かけようとしている俺。違和感がこみ上げてくる。先を歩いていった人たちの中に、最期の最期までずっとばあちゃんの側にいようという人間はいないのか。大きく溜息をついてドアを閉めると、俺は早歩きで集団に追いつこうとした。ひとりになるのが恐かったのだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み