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文字数 1,359文字

 どこに向うでもなく走らせていた車の中で、今流行のポップスが流れた。「天使の歌声」と呼び声も高い、女性ミュージシャンの曲だ。美佐子が運転しながらポケットを探す。携帯の着メロだったようだ。ポケットから飛び出た携帯は、しばらく音楽を流しながら震えていたが、電話に出ることができずに放置していたら切れた。
 夕暮れの田んぼ道。路肩に車を止めて着信を確認する。美佐子は溜息を漏らした。
「お父さんからだ」
 どうする? と聞きたげな彼女の表情に、「出ればいいんじゃないの?」と俺はそっけなく返した。俺たちが新潟に来ていることは、美佐子しか知らない。もし、東京の俺のアパートに行ったあとかけてきたとしても、伯父さんは新潟に来ていることは知りえないはずだ。美佐子は軽くうなずくと、着信記録のボタンを押して父親に電話した。
「何、お父さん。……え?」
 美佐子の日焼けした顔が青くなるのがわかった。何度か相槌を打つと、ゆっくりと電話を切る。すると、勢いよく後部座席に座っていた俺の方を向いた。
「浩介、ミツ子さんが自殺未遂したって」
「え」
「携帯に伯母さんたちから連絡ないの?」
 あるわけがない。携帯は関東に置いてきている。
 俺は目の前がかすんだ。ばあちゃんの次、倒れるとしたらミツ子さんだろう。想像は薄々していた。ばあちゃんの介護でうつになり、かなり憔悴していたあの人は、そのばあちゃんがいなくなってしまったことで余計病的になってしまったらしかった。しかもミツ子さんは長男・寛一の嫁という立場から、いつも阿部家から少し距離を置かれていた。その彼女を今介護するひとはいるのか? 俺は美佐子に訊ねると、一応形式的に久子伯母さんたちが様子を看に行っているという。俺や美佐子から見ると、彼女は義理の伯母という、近くて遠い存在だ。その義理の、自殺未遂した伯母に何をしてやれるというんだ。
「いいのか? 親戚なんだろ、お見舞いに行かなくて」
横の旭が不思議そうな顔で聞く。そうだ、親戚だ。親戚なら見舞いに行くのが当然なのかもしれない。そうでなくとも、心配して駆けつけるものだろう。それを躊躇しているのは、やはり自殺未遂というショッキングなことをされたからだ。美佐子も俺と同じ気持ちのようだ。ミツ子さんはただでさえ阿部家から一歩引いた人。だから、俺たちが小さい頃からずっと『嫁』としての振る舞いをしてきた。そのせいもあり、尚更どう接すればいいのかわからない。「早く元気になって」とか「自殺未遂なんてしちゃいけない」なんて言葉を簡単にかけることができない。元気になっても阿部家での居場所はない。だから自殺をしようとしたんだ。それは二十歳になってもまだ子供扱いされている俺たちにもわかることだった。
「お前ら、親戚だろ? 心配じゃないのか?」
 部外者の旭が一番熱心に俺たちを説得する。それでも暗い表情で下を向くことしかできない。その状況を打破したのが、トキだった。
「まずは何が起こったかをはっきりさせるのが大事なんじゃないのか。そのミツ子さんのところに行ってみるべきだよ」
トキが原因のひとつであることは明らかだ。その原因が言っている。「何があったか確かめろ」と。それならば行くしかない。美佐子とお互い顔を見合わせると、そのままミツ子さんがいるという市立病院へ向かった。
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