文字数 1,635文字

 新潟に着くと、完二伯父さんと美佐子が出迎えてくれた。完二伯父さんは、その名の通り阿部家の次男坊で、美佐子はその娘だ。俺と同い年で、美容師になるために地元の専門学校に通っている。二人の乗ってきたワゴンに乗り込むと、俺たちはばあちゃんがいる病院へ向った。数日前、体調が悪化して施設から病院へ移されたらしい。
「浩介も大きくなったなあ。美佐子と同じだから、二十歳か? やっとまともに酒が飲めるな。葬式で一杯やろうぜ」
「完ちゃん、いくらなんでも不謹慎よ。母ちゃんが危篤だってときに」
「まあまあ」
 お袋が、片手でハンドルを回しながら笑う完二伯父さんをたしなめる。さっきまで自分も似たような話をしていたお袋に、そんな権利はない。綾子伯母さんも同じだ。持っていた『ひよこ』の紙袋は、現在美佐子の手に渡っている。やはりお土産だったようだ。
 窓を開けて、右腕をそこにかけると、完二伯父さんはへらへらと笑いながら首を振った。
「今助かっても、どうせ施設に戻ってまた寝たきりの生活なんだ。逝っちまったほうが母ちゃんのためだよ。葬式は、いわば母ちゃんの第二の人生の始まりなんだから、盛大に祝おうぜ」
「お父さん!」
 美佐子が声を荒げた。金髪の根元が黒くなったプリン頭の女が、いがぐり頭の親父を叱咤する。
「私は、寝たきりでもおばあちゃんに生きててもらいたいんだから、そんなこと冗談でも言わないでよ!」
「でもなあ、俺たちが直接介護しているわけじゃないし、世話してくれてるミツ子さんが、介護うつになっちまったのだって知ってるだろう。老々介護も限界だ。ばあちゃんだって、ずっと寝たきりなんだぞ。寝たきりの人間の気持ちを考えたことがあるか? 自分で小便もできない母ちゃんの気持ちがわかるか? 飯だって、鼻にチューブ入れて、無理やり胃に流してる。俺だったらごめんだね」
「そうよね。和子姉さんや寛一兄さんの時みたいに、自分の子供の方が先に死んでいくのを見るのもつらいでしょうし」
 綾子伯母さんも完二伯父さんと同じ気持ちのようだ。お袋は、阿部家六人兄弟の末っ子で、すでに長女の和子と長男の寛一は死去している。二人とも俺が小学生の頃に立て続けに亡くなったので、生きていた頃の記憶は曖昧だ。葬儀に出たのは覚えているが、やる気のなさそうな坊主が頭をタオルで拭いていたことしか思い出せない。「和子伯母さん」「寛一伯父さん」と呼んだ覚えもない。生きていたら二人とも八十代だ。長寿大国になった現代の日本だと、早くに亡くなった方なのかもしれない。
 美佐子が下唇を噛んだのが、バックミラー越しに見えた。完二伯父さんや綾子伯母さん、お袋の言いたいことはわかる。わかるけど、納得できない自分がいる。納得できなくても、何かできることもない。せめて、ばあちゃんの気持ちを知ることができるなら。それが不可能なのも承知だ。あなたの孫は、ただあなたが死ぬのを待つことしかできません。俺は病院のばあちゃんに、何もしてやれないのだ。
 ばあちゃんの存在は希薄だったのに、会うときが迫るにつれ色濃く俺に主張してくる。白い病院が近づく。駐車場にワゴンが進入する。真っ白なスケッチブックに、黄土色が塗られていく。頭は灰色だ。ばあちゃんが描かれていく。記憶があるのは五歳のとき。八十八歳のばあちゃんが、近所の駄菓子屋で桃太郎アイスを買ってくれたこと。カキ氷のようなシャリシャリとした食感。食べたあとのピンクの舌。ばあちゃんのしわしわの手は、しみと浮き出た血管で不気味なのに、温かかった。
 後ろに座っていた徹の寝息が聞こえる。仕事に慣れるのが大変なのは理解できるが、『自分とばあちゃんは無関係』という本音が薄っすら見えた気がして、少し苛立たしかった。お前にもあるはずだろう。ばあちゃんとの思い出が、ひとつくらい。それすら忘れるなんて、悲しすぎる。妹の玲子は、本から顔を上げて、病院を見た。ワゴンが止まる。徹はワゴンのハンドブレーキの音で、ようやく目を覚ました。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み