第一節 2

文字数 2,719文字

 エドガルドは馬首を(めぐ)らしてその場を立ち去った。エドガルドの後に続きながら、イーサンはちらりと後ろを振り返ってアバスカルの姿を確認する。護衛の兵士たちに囲まれたまま、彼はじっとエドガルドを見送っていた。
「一国の宰相にしてはずいぶん若いな。四十歳にもなってないだろう」
 イーサンは馬を隣に並べてエドガルドに話し掛ける。
「あの男の招待を受けるつもりなのか」
「宰相アバスカルとは会って話をしたいと考えていた。たまたま彼の襲撃現場に出会せたおかげで手間が省けた」
「こんな町中で昼日中から襲撃とは、かなり治安が悪くなっていると考えた方がいいな」
「ああ」
 襲撃現場は都市風の豪華な建物の敷地だった。おそらく植民領時代に都市人が建てたホテルか何かだろう。イーサンは周囲を見回し、辺りに都市風の建物が多いことに気付く。建造時にはそれなりに立派な建物だったと思われるが、塀がところどころ崩れ落ちるなど劣化が酷く、きちんと維持管理が為されていないのが伝わってくる。中には爆撃球やエナジー銃によって損傷したと思われる箇所もあった。
(すさ)んでるな」
 そのとき道端に座り込んで項垂れていた老人が、顔を上げて馬上のイーサンを見た。都市人とまでは分からぬまでも、余所者であることは伝わるのだろう。老人は奇異なものを見るような目つきでじっとイーサンを眺めている。
 前回訪れた先住民国家、マラデータ王国が如何に豊かな国だったかをイーサンは思い知る。ハイスキベルの違法取り引きが(もたら)したものとはいえ、マラデータ王国の王都は活気に満ち、余所者に対しても開放的な雰囲気だった。エドガルドがマラデータ王国を不安定化を懸念し、体制維持に拘った理由が今ならよく分かる。
「分院は少し先だ。分院に着いたらもう少し目立たない格好に着替えた方が良いかもしれないな」
 イーサンの内心を見透かしたようにエドガルドが言った。
「悪目立ちしてるのは俺だ。お前は学師なんだから、そのままで構わないだろう」
「この国では七年前までティエラ教義の存在すら知られてなかった。マラデータ王国のように学師だからといって敬意を払っては貰えない。お前も俺も、ここでは等しくただの余所者だ」
 ラハーダ自治区は第二ドームの植民領時代には他の植民領と同様にティエラ教義が禁止され、住民の教育レベルは低かった。七年前の独立後にティエラ教義の分院が設けられ、現在は中級学師がひとり派遣されている。
 二人は暫く無言で進み、ようやく町の外れにある分院に着いた。分院の建物は都市人が建てた物のようだったが、これまで見かけた建造物と異なり丁寧な修復が施されていた。
 エドガルドとイーサンは馬を厩に繋いでから建物の中へ入った。玄関ホールは広く、天井は吹き抜けになっている。イーサンは内側から建物を検分する。強度の高い人工金属と、強度と耐用性、保温と通気性を兼ね備えた先進の人工複合材を組み合わせた、典型的な都市の建造物の一種だ。独特の人工的な美しさはあるが、この手の建造物は温かみに欠けるというのがイーサンの持論である。
 吹き抜けの天井を見上げながらエドガルドが感心したように声を上げる。
「思ったより広い。それに立派だ」
「ああ。元は都市人の子弟が通う学校だったのかも知れない」
 廊下を進むと、物音を聞きつけたのか奥から一人の男性が姿を現した。この分院に派遣されている中級学師のマヌエルである。ひょろりと背の高い男で、垂れた目と口角の上がった口元のせいで真顔でも笑っているように見える。
「学師マヌエル」
「学師エドガルド。遠いところをよくお越し下さいました」
 マヌエルはエドガルドの差し出した右手を握って挨拶をした後、エドガルドの後ろに控えたイーサンに目を遣った。
「そちらが連名治安維持官のイーサン・ロウ少尉ですね。お話は大学師プラシドから伺っています」
「はじめまして、イーサン・ロウ少尉だ。よろしく」
「こちらこそ、よろしく。長旅で疲れたでしょう。まずはお部屋へ案内します」
 マヌエルは玄関ホールにある階段を昇り、二人を二階へ案内した。廊下を進み奥の扉を鍵を使って開ける。
「ここから先が居住用の空間です。かなり広いんですが、今は私一人しか暮らしていないので、部屋がたくさん余ってるんですよ」
 説明しながら、マヌエルは二人に隣り合う二つの部屋を示した。
「この二部屋を使って下さい。中の造りは殆ど同じですし、どちらも南東向きで陽当たりの良さは保証します」
「ありがとう」
「奥の突き当たりが食堂です。少しゆっくりしたら、食堂にいらして下さい。お昼を頂きましょう」
 人の好さそうな顔に満面の笑みを浮かべてみせてから、マヌエルは廊下の奥へ去って行った。おそらく昼食の準備をしてくれるつもりなのだろう、先ほど説明した食堂へと入って行く。
「俺はこっちの部屋を使う」
「分かった」
 イーサンは手前の部屋を選び、荷物を持ってさっさと中へ入ってしまう。エドガルドも隣の部屋の扉を開け、中へ入った。
 部屋は十分に広く、清潔だった。人工金属と人工複合材から成る無機的な空間だが、南東向きの窓から明るい陽射しが燦々(さんさん)と差し込み、窓際には鉢植えの花が飾られている。マヌエルの心遣いだろうと思うと、エドガルドの心は温まった。
 エドガルドは荷物を床に置き、奥の浴室に入って湯舟に湯を張り始めた。湯舟が一杯になる前に早々に服を脱ぎ捨てて湯に()かる。旅の疲れが洗いざらい流れ落ちていくような心地がして、エドガルドは深い溜め息を()いた。その時、壁の向こうから微かに水の流れる音が響いてきて、隣の部屋のイーサンも風呂を溜めていることが分かった。壁が薄いわけではなく、配管の位置の関係で水の音だけが漏れ聞こえてくるのだろう。イーサン自身の気配は全く伝わってこない。
 マヌエルが二人を別々の部屋に案内したのは当然のことなのだが、イーサンと離れたことにエドガルドは心細い気分を味わう。
 二人で旅を始めて以来、マラデータ王国に潜入していた期間を除き、エドガルドとイーサンは殆どずっと共に夜を過ごしてきた。エドガルドが悪夢を見た時は、必ずイーサンが起こしてくれた。以前はエドガルドが悪夢を見ると、イーサンは子供をあやすようにエドガルドを抱いて眠りもした。最近はそのようなこともなくなったが、それでも悪夢から目覚めた後にイーサンが同じ部屋に居てくれるだけで、エドガルドはどれだけ心強かったか知れない。ヴァリエンテ族の里を出て以降、エドガルドの悪夢に再びアダンの意識が入り込んだことはなかったが、エドガルドは漠然とした不安を抱えたままだ。
「イーサン」
 小さな声で名を呼び、エドガルドは湯の中に頭まで浸かった。
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