第二節 1

文字数 2,099文字

 ここに閉じ込められてどのくらい経つのか、ユーニスにはもう分からなくなっていた。
 都市人犯罪組織ソムフェールに略取され奴隷として芥子畑で働かされていた先住民たちを救出し、動力機に乗って脱出しようとしたところで、数人の男たちに拉致された。頭に布製の袋を被せられ、視界を奪われた状態で暫く草叢を歩かされたあと、おそらく動力機に乗せられた。動力機に乗ったあとすぐに腕に何かの薬を注射され、以後の記憶はない。目が覚めると白っぽい岩肌の壁に囲まれた洞窟のような場所に寝かされていた。
 ユーニスが監禁されているのは歩き回れるだけの広さはある空間で、白い岩肌に照明器具の光が反射し、仄かに明るかった。毛布を敷き詰めた寝床、申し訳程度に目隠しのされた下水に繋がっているらしい便所、綺麗な湧き水の溜められた大きな桶など、最低限、人間らしく過ごせるだけのものが揃えてある。壁には二箇所、頑丈な金属製の格子戸が嵌め込まれ、そのうちの一つから定期的に食事が運び込まれてくる。食事の配達は一日に一回のようだが、日の光の差さぬ空間では時間の感覚もなく、正確なところは分からなかった。格子戸の向こうは真っ暗で、食事を届ける人物の姿をユーニスが視認できたことは一度もない。もう一つの格子戸の向こうも同じように真っ暗闇で、時折、獣が彷徨(うろつ)いているような気配がしてユーニスを怯えさせた。
 目が覚めて数日も経つ頃には、ユーニスは自力でここから逃げ出すという考えを棄てざるを得なかった。部屋の堅牢さも然る事ながら、外に凶暴な獣が彷徨(うろつ)いているかも知れないという恐怖がユーニスから勇気を奪っていた。話す相手もなく、ただ無為に過ぎていくだけの時間は徐々にユーニスの精神を蝕んでいったが、同時に考える時間も与えてくれた。
 ユーニスの分析では、ここがカオス世界であるのは間違いない。ユーニスを拉致した男たちは、明らかに都市の職業軍人だった。だとしたら、ここは何処かの植民領かもしれない。プロの軍人が身代金目的にユーニスを拉致監禁することはあり得るだろうか、というのが目下ユーニスの最大の疑問である。植民領に駐屯し、カオス世界に長く暮らす辺境部隊の兵士の中には、組織的な犯罪に手を染める者もいる。辺境部隊のある小隊がソムフェールと組んで芥子の流通に手を貸しているとか、先住民の子供を攫って人身売買組織に売り払っているとかいった話は、カオス世界でそれほど珍しくもない。だが都市人を誘拐して身代金を請求するというやり口は、これまでユーニスが見聞きしてきた辺境部隊の犯罪とは様相が異なる。こういった手法は、むしろ先住民のテロリストがよく使う手だ。かといって、ユーニスの身柄を拘束して身代金以外に何を要求するのか、ユーニスには思いつかない。
 ユーニスは毛布の上にごろりと寝そべり、天井を眺めてぼんやりと夫の顔を思い浮かべた。犯人たちの要求が身代金にせよ他の何にせよ、要求先は夫以外にないとユーニスは判断していた。ユーニスの運営する財団は合法的な組織だ。脅されれば迷わず当局へ通報するだろう。だが、ユーニスの父から後ろ暗い稼業を受け継いだ夫なら、当局へ通報するという選択肢を取る可能性は低い。
 ジェラルドは私を助けてくれるかしら、とユーニスは考えた。
 ユーニスの夫のジェラルドは、暗い金髪に緑の瞳を持つ優男だった。婚姻を通じてユーニスがジェラルドに与えてきたものは、全てユーニスが亡き父親から受け継いだものだ。ユーニスが死ねば、それらは正式にジェラルドのものになる。ジェラルドにとっては、ユーニスが死んだ方が都合が良いのは間違いない。夫は自分を見捨てるかも知れないという危惧を、ユーニスは完全には捨て去ることが出来なかった。それでも、ジェラルドは今回も自分を見捨てはしないだろうという確信めいた思いが、ユーニスの中にはある。
 父が独断で選んだ夫に過ぎないジェラルドのことを、自分はいつの間にか信用していたらしいと、ユーニスは初めて気付いた。愛しているつもりはなく、愛されていると感じたことも一度もない。それでも、ジェラルドはユーニスに綺麗な金と自由を与えてくれた。
 ユーニスは初めて会った時にジェラルドと交わした約束を思い出す。ある日突然、父の決めた結婚相手として現れたジェラルドを、ユーニスは拒まなかった。それまで自分を取り巻いていた地獄から抜け出せるのなら、見も知らぬ男の手を取ることに躊躇いはなかった。
 婚姻を受け容れる条件として、ユーニスは保護と自由を求めた。父から受け継いだものを全て捧げる代わりに、自分を身体的に保護し、自由にして欲しい。そう要求するユーニスを意表を突かれた表情で眺めたあと、ジェラルドは綺麗な顔に優しい笑みを浮かべて、分かったと答えた。
 あれ以来ずっと、ジェラルドは約束を守ってくれている。今回もきっと守ってくれるはずだとユーニスは信じていた。
「ジェラルド。あなたは私を守ってくれるでしょう」
 虚空へ向けたユーニスの問いに(いら)えを返す者はなく、洞窟の中にはいつもどおりの沈黙が満ちる。ユーニスは諦めたように溜め息を吐いて目を閉ざした。
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