第一節 4

文字数 2,324文字

 アントニアは背の高い青年の後ろについて、暗く狭い廊下を進んだ。王宮の北側に位置するこの廊下は、昔は使用人たちが往き来するためのものだった。現在は執政府に勤める役人たちが使っているようだが、今はアンニアと青年の他に廊下を通る者はなかった。
 廊下には幾つか扉が並んでおり、青年は鍵を使ってそのうちの一つを開け、中へ入った。青年に促されたアントニアも後に続く。
 中はそれほど広くはなかった。小さな窓があり、執務机が一つ置かれているだけの実用的な部屋だ。
 執務机には一人の男が腰掛けていた。引き締まった体つきの人物で、細身だが小柄という印象は与えない。くせのある茶色の髪を持ち、薄茶色の瞳をしている。年齢は四十手前と思われるが、威厳ともいうべき落ち着きを備えていた。
「ご苦労、下がって良いぞ」
 男が告げると青年は部屋を出て行き、部屋にはアントニアと男の二人きりになった。外から扉の鍵を閉める音がする。
 アントニアが品定めするように目の前の人物を眺め回していると、男が口を開いた。
「名前は何という」
「アントニア」
「聞かせてもらおうか、アントニア。随分と思わせぶりな情報ばかり流しているようだが、目的は何だ。情報を売りたいのか」
「金が目的じゃない」
「なら何が目的だ」
「話はあんたのボスにする」
 正面から男を見据えてはっきり宣言すると、アントニアはそれきり口を閉ざしてしまった。男は笑いを滲ませながら肩を竦めて答えた。
「私のボスと話すのは無理だと思うぞ。何故なら、そんな人物は存在しないからだ」
「どういう意味だよ」
「言葉どおりの意味だ。この国に私のボスはいない。強いて言うならアデリタ殿下は私の主君だが、そのアデリタ殿下から君の件を一任されているのでね。君の要求が何であるにせよ、それを伝えられる相手としてこの国で最も社会的地位の高い人間は私だと思うよ」
 アントニアは目だけを動かして素早く部屋の中を見渡した。彼はこの部屋に招待されるまでに、三ヶ月近い期間を費やしていた。この国の中枢にいる人間の興味を惹きそうな情報を、政府側の情報員と思われる人物に提供し続け、大物を釣ろうとしてきたのだ。それなのに、こんな窓も一つしかないような狭い部屋で仕事をしている人間が、この国で自分が会える最高位の人物だというのか。少しでも大きな影響力を持つ人物を相手に交渉を行いたかったのに、作戦は失敗だったと考えてアントニアは顔を歪めた。
 アントニアの失望が伝わったのだろう、面白がるように男が説明する。
「君をこの部屋まで連れて来た青年は私の秘書だよ。ここは彼が仕事で使ってる部屋でね。流石に得体の知れない相手と会うのに、私の部屋を用いるわけにはいかなかったんだ。人目に付くからね」
 アントニアは探るように男を眺め回し、疑り深い声で尋ねた。
「あんたはいったい何者だ」
「この国の宰相、セベロ・アバスカルだ」
「宰相」
「私の顔を知らないということは、君はラハーダ自治区民ではないね」
 先ほどまでの生意気な態度を改め、アントニアは急に畏まった様子を装う。
「お話を聞く時間を設けて下さって感謝します、宰相アバスカル。仰る通り、僕はこの国の人間ではありません。僕自身は先住民ですが、ここへは都市人のボスの遣いとして伺いました」
「そうか」
 都市人のボスと聞いて、セベロは一気にアントニアの話に興味を失った。
 ラハーダ自治区はオイスという地下資源の産地として知られる。オイスは集積回路の部品に用いられる原料の一つで、多くの都市が手に入れたがっている貴重な鉱物だ。嘗てラハーダ王国が第二ドームの植民領にされたのも、このオイスを狙われてのことである。
 この若者のボスとやらも、ラハーダ自治区にオイスの取り引きを持ち掛けようとしているのだろうとセベロは判断した。
 アントニアはセベロの表情の変化を敏感に読み取り、先回りして話を始める。
「僕の話は、宰相が想像しているようなものではありません。オイスの取り引きとはいっさい関係のない話です。三ヶ月ほど前、カオス世界のある場所で一人の都市人女性が誘拐されました。僕のボスにとって、とても大切な女性です。我々は、その女性がこの国の何処かに監禁されていると考えています。もっと正確に言えば、彼女を監禁しているのはこの国の反政府組織〈ラハーダの自由〉だと考えています」
「ほう」
 再び興味を惹かれ、セベロは顔を上げた。アントニアが畳み掛けるように続ける。
「最近、〈ラハーダの自由〉の武装化が急激に進んでるんじゃありませんか。僕のボスはその流れを止める力を持っています。彼女を我々の許へ還して下さったら、ボスはあなた方への協力を惜しまないでしょう」
「君をここで拘束して、指を一本か二本、そのボスとやらに送りつけても良いんだよ」
 穏やかな物腰を崩さぬまま、セベロが脅しの言葉を吐く。必要とあらば本気で実行するつもりでいることを、低い声音が証明する。だが、アントニアは余裕たっぷりに微笑んでみせただけだった。
「そんなことをしても〈ラハーダの自由〉の武装化は止まりませんよ。主導権を握っているのは我々じゃありませんから。ですが、彼女を探し出してボスの許へ還して下されば、我々が主導権を奪い返すことも可能です」
 セベロは目の前の若者を注意深く観察した。はったりではなく、セベロの脅しに対しても全く怯えた様子はない。アントニアは黒い髪と青い瞳を持つ中性的な美貌の持ち主だった。繊細な容貌がか弱そうな印象を与えているが、実際にはそれなりの修羅場を潜ってきた肝の据わった人物だということが、今のやり取りから分かる。
「詳しく話を聞かせろ」
 セベロの返事に、アントニアは笑みを深くした。
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