第一節 1

文字数 3,019文字

 惑星の持つ二つの衛星、フルゴルとウンブラはどちらも新月を迎えていた。
 ユーニスは地面に跪き、丈の高い草叢の中に身を潜めていた。カオス世界の中でも都市人から見れば奥地に当たるこの地域には、大きな先住民国家や自治区はひとつもない。農業を営み自給自足で暮らしている小さな集落がまばらに点在しているだけだ。その集落も、最も近いもので馬で半日はかかる距離にある。
 一帯には草以外なにも生えていない土地が延々と続き、生き物の気配すらしなかった。辺りは痛いほどの静寂に包まれ、ユーニスは自分の呼吸の音さえ誰かに聞き咎められはしないかと不安に襲われる。
 ユーニスは息を殺して待ち合わせの相手が現れるのを待った。一分一秒が永劫にも感じられ、徐々に鳩尾に不快な痛みが走り始める。
 やがて少し離れた場所の草叢が風もないのに微かに揺れる気配があり、ユーニスはじっと前方を凝視した。目の前の草が音もなく掻き分けられ、黒髪の青年が姿を現す。
「ユーニス」
「ディマス、無事で良かった」
 安堵の溜め息を吐きながらユーニスが囁く。ディマスと呼ばれた青年は無言で頷き、振り返って後方を示した。彼の後ろには二十名近い男女が一列になって続いていた。全員がみすぼらしい身なりで身体は薄汚れ、非常に痩せている。数名の子供もいる。
 ユーニスは暗闇のなか目を凝らして彼らの様子を見渡し、ディマスに確認する。
「これで全員なの」
「可哀想だけど自力で歩けない人たちは置いてきた。全員を共倒れさせる訳にはいかないと思って」
「そう」
 一拍()を置いてからユーニスは頷いた。
 彼らは芥子の栽培のため、都市人犯罪組織ソムフェールによって近隣の集落から連れ去られた先住民たちである。〝奴隷小屋〟と呼ばれる粗末な狭い建物に押し込められ、満足な食事も与えられずに昼夜、芥子の栽培に従事させられるのだ。老人や病人などは劣悪な環境に耐えきれず、一年と経たずに命を落とす。若く体力のある者は生き延びるが、生きたところで待っているのは地獄だけだった。
 父親から莫大な財産を受け継いだ都市人のユーニスは、人道犯罪に巻き込まれた先住民を支援する財団を運営している。時にはこのように危険を冒し、犯罪組織から被害先住民を救い出す活動すら行う。ディマスは第一ドーム近隣の貧民窟で生まれた先住民で、ユーニスの財団の支援を受けて育った。成長してユーニスの財団に勤めるようになったディマスは、勇敢にも今回の計画のために自ら志願して奴隷小屋に潜入したのである。
「追っ手は来ていないわね」
「僕たちが脱出したことに見張りはまだ気付いてないと思う。でも、ばれるのは時間の問題だよ。なるべく早くここを離れた方が良い」
「少し先に動力機を停めてあるわ。私が先に行くから、あなたは後ろからついてきて。暗いから発信器を起動しましょう。受信機を渡しておくわね」
 ユーニスは自身の発信器を起動させると、ズボンのポケットから小型の受信機を取り出してディマスに渡した。
「行きましょう」
 腰を屈めてユーニスが歩き始める。ディマスについて来た二十名あまりの先住民も静かに後に続いた。ディマスは最後尾を行く。月明かりもない完全な闇夜の中、前方を行く人間の気配だけを頼りに人々は進んだ。
 暫く進むと、丈の高い草で覆い隠すように動力機が停めてあった。ユーニスがインターカムを通じて待機していたパイロットに声を掛け、扉を開けさせる。
「さあ、乗って」
 ユーニスとディマスは協力して先住民たちを動力機の中へ促していく。いま追っ手が現れたらひとたまりもない、そう考えると恐怖と緊張のあまりユーニスの額にはじっとりと汗が噴き出してきた。
 最後の一人を動力機に乗せ終わったとき、周囲の草叢ががさがさと揺れて武装した数名の男たちが現れた。
「ユーニス」
 ディマスが鋭い声を発する。
 真っ黒な戦闘服に身を包んだ男たちの姿は、殆ど視認することが出来なかった。それでもユーニスは、男たちの装備がプロの戦闘集団のものであることを察していた。全員がエナジー銃を構え、暗視機能付きと思われる特殊スコープを装着している。
「ユーニス」
「じっとしていて、ディマス。彼らはプロだわ。ソムフェールの追っ手じゃない」
 自分を守る為に今にも飛び出してきそうなディマスを低い声で制し、ユーニスは両手を頭の高さまで挙げて男たちに向き合った。
「ユーニス・ベラミーはいるか」
 リーダー格と思しき男が抑揚のない調子で質問する。
「私よ」
 ユーニスは返事をして動力機を庇うように一歩前に踏み出した。兵士の一人がユーニスに近づき、じっと顔を確認する。事前に入手していたユーニスの映像が特殊スコープに映し出されているのだろう。照合を終えると兵士は仲間たちに向けて頷いてみせた。
 再びリーダー格の男が口を開く。
「ユーニス・ベラミー、あんたに用がある。一緒に来て欲しい」
「彼らはどうなるの」
 ユーニスは動力機の中で不安そうに身を寄せ合っている先住民たちにちらりと視線を投げて問うた。
「俺たちの任務に彼らは関係ない。先住民たちがどうなろうと、何の興味もないね」
「だったら見逃してあげて。動力機が離陸したら、あなたたちについて行くわ」
 リーダー格の男が無言で頷く。ユーニスは真っ直ぐ兵士たちの方を見つめたままディマスに告げた。
「ディマス、彼らと一緒に出発して」
「でも」
「良いから、このまま計画通りに皆を安全なところまで送り届けて。終わったらアビーに伝えてちょうだい、私がいないあいだ財団のことは彼女に任せるって」
「ユーニス」
「行って、ディマス」
 逡巡するディマスをユーニスが強い口調で促す。ディマスは何度もユーニスの方を振り返りながら動力機に乗り込んだ。扉が閉まり、動力機がゆっくりと浮上を始める。ユーニスは身を屈め、離陸する動力機から吹き付ける強風に耐えた。
 ユーニスは暗い夜空を見上げて動力機が闇に消えていくのをじっと見守った。ソムフェールは寛容な組織ではない。逃亡の連鎖を防ぐため、逃げ出した先住民を探し出して見せしめに処罰するのが彼らの常套手段だ。逃げた先住民たちは残された家族と共にユーニスが用意した土地で新たな人生を歩むことになる。二度と故郷の集落に戻ることは出来ない。
「おい、そろそろ行くぞ」
 先住民たちを襲った苦難に思いを馳せるユーニスに、兵士が声を掛ける。ユーニスは立ち上がり、黙って男たちの方へ近づいた。逃亡を防ぐためか、周囲の危険からユーニスを守るためか、或いはその両方か、前後左右を兵士が囲む。兵士は全部で五人いるようだった。
「あなたたちはどこの組織に所属してるの。誰の命令で私を連れて行くの」
 答えが返ってくるとは思わなかったが、それでも一応ユーニスは尋ねた。
「その質問に答える許可は与えられていない」
 案の定、リーダー格の男が素っ気なく返した。
 ユーニスは暗がりの中で必死に目を凝らし、男たちの装備を確認した。そして、自分がディマスに告げた、彼らはプロよという言葉が間違っていなかったことを確信する。兵士たちが身につけている特殊スコープもシールド起動装置付き防護服も、携行しているエナジー銃も、全て都市の正規軍で採用されているようなプロ仕様のものだ。単なる身代金目的の誘拐犯にはとても思えない。
 数メートル先も見えない闇の中を手探りで歩きながら、この有様はまるで自分の人生そのもののようだとユーニスは感じた。
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