第一節 8

文字数 3,306文字

 二人を送り出したセベロは、それから二つ三つ仕事を片付けたところで未来の女王であるアデリタから呼び出しを受けた。長い廊下を抜け、王宮のほぼ中央に位置する君主が家臣と会うための部屋へ向かう。
 部屋の前に着くと、扉の前に控えていた近衛兵が室内のアデリタにセベロの来着を告げる。許可を得てセベロが部屋の中へ入ると、アデリタは窓際に立って外を眺めていた。
 近衛兵が扉を閉めて出て行き、部屋の中にはアデリタとセベロの二人きりになった。
「アデリタ殿下」
 セベロが頭を下げて挨拶する。アデリタは振り返ってセベロの顔を眺め、微笑んだ。
「セベロ、そなたに珍しい客人があったと耳にしたぞ」
「流石、殿下はお耳が早い」
「詳しく話せ」
「いまティエラ教義の分院に、学師マヌエルとは別の学師がいらしてるんです。その方が昨日の襲撃から私を助けて下さったのですよ。それで、お礼を申し上げるために王宮にお招きしました」
「客は二人あったと聞いたが」
「それは」
 セベロは言い淀んだ。連盟治安維持官がラハーダ自治区を訪れているという事実をどう捉えるべきか、セベロはまだ判じかねていた。自分の中で整理のついていない情報をアデリタに伝えることが躊躇われた。
「セベロ」
「もう一人は連盟治安維持官でした」
 促され、結局セベロは事実を告げた。アデリタは眉根を寄せ、如何にも不審に思っている様子で問う。
「連盟治安維持官が我が国に何の用だ」
「はっきりとは分かりませんが、〈先住民の血〉を追っているのではないかと」
「それが何故ティエラ教義の学師と行動を共にしている」
「私にも見当がつきません」
 アデリタは暫くのあいだ黙考し、低い声を出した。
「連盟治安維持官が〈先住民の血〉を追ってこの国へ来たということは、〈ラハーダの自由〉がテロリストと手を結んだという噂はやはり事実なのか」
「アデリタ殿下、重ねて申し上げますが、まだ何一つはっきりと分かっていることはないのです」
「そうか、分かった」
 そこへ扉をノックする音が響き、一拍()を置いてから先ほどの近衛兵が入ってきた。
「ウンベルト殿下とビクトリア王女です」
「入れ」
 アデリタは先ほどまでの厳しい表情を一変させ、満面の笑みを浮かべて新たな訪問者を迎えた。近衛兵の開けた扉の向こうから、一歳に満たない女児を抱いた背の高い男性が入ってくる。アデリタの夫、ウンベルト・ラハーダと、二人の娘のビクトリア王女である。
「やあ。セベロとの会話を邪魔してしまったかな。すまない」
 人の好さそうな笑顔でウンベルトは謝罪した。
「構わない。ビクトリア、こちらへおいで」
 アデリタは夫から娘を受け取り、愛おしげに抱き締めた。ビクトリアもきゃっきゃと嬉しげな声を上げて母親にしがみ付く。
 隣にやって来たウンベルトが、目を細めて妻と娘を眺めながらセベロに話し掛けた。
「大事な話の途中だったんだろう。悪かったね、セベロ」
「いえ、むしろ助かりました」
「何か良くない話だったのかい」
 横目でちらりとセベロの方を見て、ウンベルトが尋ねる。
「良くない話という訳でもないのですが、少々アデリタ殿下を不安にさせてしまったようです。殿下には即位式までなるべく心安らかに過ごして頂きたいと思っているのに、なかなかうまくいきません」
「即位式が近づくほど色々と緊張が高まっていくのは、避けられないことだと思うよ。君とアデリタはこの国に責任を負ってる。アデリタと緊張や不安を共有するのが君の仕事だ、セベロ。アデリタを支え、幸せにするのは僕の仕事だよ」
 柔和な笑みを浮かべたウンベルトの横顔をセベロはじっと見つめた。ウンベルト・ラハーダは今は王族と同じ姓を名乗っているが、元は貴族階級の出身である。ウンベルトと結婚する前、アデリタは男系男子の王族であるソシモの息子との縁談を断っていた。そのアデリタと結婚することの意味を、ウンベルトはよく理解した上で結婚の話を受けたのだった。
 セベロは家族の団欒を邪魔すまいと判断し、
「私はこれで失礼します」
 と一礼してアデリタの御前を辞した。
 廊下を進みながらセベロは物思いに耽る。
 アデリタは聡明で優れた政治家だ。この動乱の時代に、王位継承権第一位にあるのがアデリタのような女性だったのは、ラハーダ自治区にとって幸運なことだったとセベロは考えている。だが、王位を継ぐ人間が必ずしもアデリタのような人物とは限らない。そこが王制の難しいところだ。事実、嘗てラハーダ自治区が植民領にされたのは、当時の国王にドームの支配を退ける気概がなかったためである。圧倒的科学技術を誇るドームに戦争を仕掛けられればひとたまりもないと懼れた当時の国王は、王室の存続と生涯に渡る自身の瀟洒な生活と引き換えに、あっさりと国を売った。
君主が愚鈍であっても国が滅びることのない体制を築き上げる、それがセベロの生涯を懸けた命題である。
 セベロは前国王の侍従長の末子に生まれた。国民の殆どが教育の機会を奪われ、字を読むことすら出来なかった当時のラハーダにあって、高等教育を受けてきた数少ない者だった。
 十代の頃のセベロの頭を占めていたのは、独立の二文字だけだったと言っても過言ではない。第二ドームの傀儡(かいらい)として生きる王族たちの贅沢な暮らしを間近で眺めながら、少年セベロは都市の支配を憎み、都市の言いなりになっている王族を軽蔑した。自分の父親のことは、王族よりもっと軽蔑した。王室の存続のためなら都市の(いぬ)にもなる卑怯者、それがセベロの目に映る父親だった。
 そんな父の(もと)で育った自分がなぜ祖国の独立を夢見るようになったのか、若い頃のセベロは疑問に思うこともなかった。実は、ラハーダの独立を真に望んでいたのは、前国王のビクトルだったのである。ビクトルに全てを捧げて生きた父の、主君の夢を何としても叶えたいという悲願が、自分の魂に独立の二文字を刻みつけたのだと、セベロは父の死後にようやく気付いた。
 表面上は都市への絶対服従を装いながら、セベロの父は教育を通じて子供たちの心の奥底に独立という夢への熾火(おきび)を撒いた。賢く感受性豊かな子供だったセベロは父が与えるものを正しく吸収し、十代の終わり頃には家を飛び出してレジスタンス組織〈ラハーダの自由〉に身を投じた。
 セベロは若く、理想に燃えていた。共に祖国の独立という夢を語らい合う仲間が、この上なく得難く尊い存在に思えた。セベロは様々な思想を仲間たちに説いた。ラハーダをどんな国にしたいか、都市と対等に渡り合うために先住民国家が必要とするものは何か、独立し自由を手に入れた国家に特権階級である王室は不要である、そんな考えを滔々と主張し続けた。知的で、情熱的で、雄弁なセベロは圧倒的なカリスマ性を発揮し、あっという間に若手のリーダー格に登り詰めた。仲間たちが自分の語っていることを真に理解し、支持している訳ではないことを、当時のセベロは知らなかった。
 セベロは恋もした。相手は年嵩のメンバーの孫娘で、綺麗な赤毛の、目の大きな少女だった。第二ドームからの独立を果たした後にセベロが〈ラハーダの自由〉を去るまで、二人は恋人同士だった。
「裏切り者」
 〈ラハーダの自由〉を去り際、そう言って憎しみの籠もる眼差しで自分を睨み付けていた彼女の顔を、セベロは今も忘れることが出来ない。それでも、セベロは二度と振り返らなかった。
 自分が青春の全てを捧げた〈ラハーダの自由〉は、最初から真の理想も国家観も持ってはいなかった。その事実に直面したときにセベロが味わった失望は、言い尽くせぬほど深いものだった。
 セベロと理想を共有し、共に戦ってくれる同志は、〝不要〟と断じた王族の中にいた。初めて出会った時のアデリタはまだ二十歳にもなっていなかったが、賢く、情熱的で、嘗てのセベロのように理想に燃えていた。生まれたばかりのこの国を何とかして生かしたいと、黒い瞳に燃えるような光を(たた)えてセベロに訴えた。
 あれから七年。ようやく自立の光が兆してきたこの国を、破壊しようとしている者たちがいる。どんな手を使っても、絶対に彼らの思うとおりにはさせないと、セベロは固く心に誓った。
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