第一節 3

文字数 2,948文字

 王宮の中庭を足早に通り過ぎようとしていたラハーダ自治区の宰相セベロ・アバスカルは、背後から名を呼ばれて足を止めた。
「セベロ」
 声のした方を振り返ると、開け放たれた窓から黒髪黒目の肉感的な美女が身を乗り出していた。
 ラハーダ自治区は先住民国家の中でも緯度の高い位置にある。この惑星は自転軸が公転面に直交しており、四季がない。ラハーダ自治区では年間を通して寒冷な気候が続くため、建造物は気密性が高く断熱性に優れているが、窓を開放すれば暖かく保たれた室内に冷気が入り込んでしまう。
「アデリタ殿下、冷気が入りますから、窓を閉めて下さい。私がそちらに参ります」
 アデリタ殿下と呼ばれた美女が鷹揚に頷くと、傍に控えていた侍女が歩み出て窓を閉めた。セベロは来た道を引き返し、建物の中に入ってアデリタが待っている廊下へ急ぐ。
 嘗て国王が統治する王国であったラハーダ自治区は、第二ドームの植民領時代を経て今は制限君主制を()いている。王宮は昔も今も変わらず王族の住居として用いられているが、現在では建物の一部は行政機関として利用され、執政府の役割も兼ねている。つまり、この王宮はアデリタの住居であり、セベロの職場でもあるのだった。
 廊下に辿り着いたセベロはアデリタの前に立ち、慇懃に頭を下げる。
「殿下」
「そなたらは下がっておれ。余とセベロの話が終わるまで誰も近づけるな」
 アデリタが侍女たちを下がらせ、広い廊下にはセベロとアデリタの二人きりとなった。
「ご用件は何でしょう」
「余が町に放っている情報屋たちが、このところ何度も気になる情報を持ち帰って来るのだ。情報の出処はどうも一つのようでな。わざとこちらの興味を惹こうとしているように感じる」
「どのような情報です」
「全て〈ラハーダの自由〉に関係するものだ。情報源と接触したいと考えているのだが、実行する前にそなたに相談しようと思って」
「その件は私が引き継ぎましょう」
 間髪を入れずにセベロが返す。
 アデリタは前国王ビクトルの長子で、王位継承権第一位の立場にある。ラハーダでは国王の死後一年間は国中が喪に服すため、まだ正式に王位を継いではいないが、実質上この国の女王といっていい。身元の知れぬ人間と接触するようなことはアデリタの仕事ではない。アデリタは自分に今後のことを任せるつもりでこの会話を始めたのだと、セベロは正確に理解していた。
「頼んだぞ」
 アデリタが頷いたとき、離れた場所に控えていた侍女が必死に誰かを制止する声が聞こえてきた。
「お待ちください。アデリタ殿下はいま宰相アバスカルとお話し中でございます。誰も近づけぬよう申し付けられております」
「儂は王族だぞ。儂には王宮の廊下を自由に歩く権利がある。アデリタにもアバスカルにも、儂がこの廊下を歩くことを禁じる権利などない」
 アデリタはひとつ溜め息を吐いてから胸を張って顎を反らし、声の主を人物を迎えた。派手な足音を立てて近づいてきたのは、白いものが多く混じった豊かな髪を後ろに撫でつけ、これまた白いものの混じる立派な顎髭をたくわえた人物だった。アデリタの父である前国王、ビクトルの従兄弟の息子に当たるソシモである。
「ごきげんよう、ソシモ殿下」
「我が物顔だな、アデリタ。この王宮はいつからお前のものになった。もう女王気取りか」
「そのようなつもりは」
 アデリタが慇懃に頭を下げてみせる。
 前国王の喪が明けるまで、あと数ヶ月ある。アデリタが正式に王位を襲えば、ラハーダ初の女王が誕生する。
 ラハーダの王位は元々男系だった。だが前国王ビクトルには娘が二人しかおらず、残された男系王族はビクトルの従兄弟の息子であるソシモとその息子ロランドだけである。セベロを筆頭に執政府の主立った者たちは次期国王としてアデリタを推し、前国王が生きているうちに王位は原則長子が継ぐという法律を成立させたのだった。当然、ソシモは反発した。
 それでも、当初はソシモも現実的な打開策を講じようとしていた。自分の息子ロランドをアデリタと結婚させ、自身ではなく息子に王位を継がせようと画策したのである。この結婚を、執政府とアデリタ自身がロランドがまだ年若すぎるという理由で退けたことにより、ソシモは明確に女王即位に反対の立場を取るようになった。前国王ビクトルの死後、これに保守的な一部の王族や貴族があからさまな賛同を示すようになり、ただでさえ独立を果たしたばかりで国内が安定していないラハーダ自治区の政情は更に不安定化した。
「忘れるな。女はこの国の王になれない。そういう為来(しきた)りだ」
 憎々しげに言うソシモに対し、落ち着き払った態度でセベロが返す。
「ソシモ殿下。この国は新しく生まれ変わったのです。女王の即位はドームの支配から解放され、新たな国が生まれたことを国の内外に示す、象徴的な出来事になるでしょう」
「お前の口車には乗せられんぞ、アバスカル。お前が目指しているのが制限君主制だってことは分かってる。我々を傀儡(くぐつ)に仕立て上げておいて、臣下の分際で自分が実権を握るつもりだろう」
「アバスカルはこの国の宰相です。彼はこの国の政を担う正当な資格を有し、責務も負っています」
 (たしな)めるように口を挟んだアデリタを、かっとしたソシモが怒鳴りつける。
「アデリタ、お前はこの国を侍従の息子に明け渡すつもりか」
 アデリタは心底からの侮蔑に満ちた笑みを浮かべてソシモを見つめ返した。
「ソシモ殿下はこの廊下を通りたかったのでしょう。お望み通り道を空けますから、何処へなりとお好きな所へいらしてください」
 わざとらしく大きく一歩下がって壁際に立ち、頭を下げたアデリタを憤怒の形相で睨め付けてから、
「女王面していられるのも今のうちだぞ」
 と捨て台詞を吐いてソシモは歩み去った。
「申し訳ございません、お止めしたのですが」
 頭を下げる侍女に向かって鷹揚に首を振ってみせ、アデリタは吐き捨てるように言った。
「愚鈍な男よ、既に今この国は制限君主制であることを理解していないらしい。その前は君主制ですらなく、我ら王族はドームの傀儡(かいらい)でしかなかったではないか。たった七年でそんなことすら忘れ果て、自分が王位に就くことしか頭にないとはな。王族としての誇りの欠片も持ち合わせておらぬ」
「彼も彼の父親も、植民領下で特権階級として散々甘い汁を吸ってましたからね。殿下の父上、ビクトル陛下を始め、我々が独立のためにどれだけの犠牲を払ってきたか、どれだけの苦しみの上に今のラハーダ自治区があるか、知ろうともしないのでしょう」
「余は王位など要らぬ。だが、国の統一のために象徴となる存在が必要だとそなたが言うのなら、その言葉を信じて王位を継ごう。国への忠誠も愛情もなく、現世での欲しか見えぬあのような男にだけは、王位は譲れぬ」
 セベロは無言で頭を下げた。前国王の長子がこの女性で良かった、とセベロはつくづく思う。七年前、第二ドームから独立を果たした際には、セベロにとって王室は国を(まと)めるための方便に過ぎなかった。だが今やセベロにとってアデリタは同じ理想を追求する掛け替えのない同志となっている。
 アデリタの即位を必ず成功させねばならない。
 国内に垂れ込める不穏な空気を察しつつ、セベロは改めて固く心に誓った。
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