第二節 6

文字数 3,280文字

 薄暗い廊下を進みながら、エドガルドは自分を見送るイーサンの心配そうな顔を思い出し、罪悪感に苛まれた。だが、あれ以上そばにいたら、イーサンに甘えたいという思いを抑える自信がなかったのだ。本当は以前のようにイーサンの体温の高い大きな身体に包まれて、大丈夫だ、何も心配いらないという言葉を掛けられたかった。そんな自分の甘えを、エドガルドは深く恥じた。
(学師エドガルド、こちらです)
 物思いに耽るエドガルドの意識に、アウレリオの思念が届く。エドガルドは現実に引き戻され、波動を辿って思念の源へと近づいていく。やがて廊下の奥にある扉の前に行き当たった。
(中へどうぞ)
 扉を開けると、何もない三十平米ほどの空間に座卓が設らえられ、奥側の席にアウレリオが座していた。斜め後ろにオスバルドが控えている。
(こちらへ来て座って下さい)
 思念に導かれるままアウレリオの正面に腰を下ろしたエドガルドは、後ろに控えるオスバルドの灰色の瞳をじっと見つめた。視線に気付いたオスバルドが、表情ひとつ変えずに語り掛けてくる。
(先ほどは勝手にあなたの意識の中へ入ってしまい、申し訳ない。ただ苦痛を訴える声が余りに大きかったので、見過ごしにできなかった)
「いや、助けて貰って感謝してる」
 あの夢を覗かれ、自分の取り乱した様をオスバルドにすっかり見られてしまったのだと知っても、エドガルドは不思議と抵抗を覚えなかった。オスバルドの発する気配が、細波ひとつ立たぬ水面のように静かなためかもしれない。この人物に何を知られたところで、自分の何かを判断されたりすることはないと信じることが出来た。
 エドガルドの反応を注意深く観察しながら、オスバルドが再び思念を投げ掛けてくる。
(あなたの夢の中にいたのは本物のアダンだ)
「え」
 エドガルドは暫くのあいだ絶句した。動揺を必死に押し殺し、
「本物というのは、どういう意味だ」
 なんとかそれだけ聞き返す。
(あなたの夢の中に、本物のアダンの意識が入り込んでいた)
 悪夢の中のアダンが途中から中身だけ別人にすり替わってしまったような感覚を思い出し、オスバルドの言っていることは真実だとエドガルドは直観した。
「だが、どうやって」
(私たちが離れた同胞と精神的交感を行うため、体内にエスプランドル鉱石を埋め込んだ蝙蝠を使っていることはご存知でしょう)
 横からアウレリオが口を挟む。
「ああ。ヴァリエンテ族はムル・シエサヘラと呼ばれる蝙蝠を惑星全土に飛ばせ、その体内に仕込んだエスプランドル鉱石を介して精神感応を行ってるんだろう。さっきあなたが言っていた〝ネットワーク〟の正体はこれだ」
(その通りです)
 アウレリオは首肯して続けた。
(普通のヴァリエンテ族同士は、それほど長い距離を隔てた精神感応は行えません。ですがご覧の通り、アルマは額にエスプランドル貴石を埋め込んでいますので、何羽ものムル・シエサヘラを介して思念エネルギーを遠くまで飛ばすことが出来ます。長距離の意思疎通はアルマである私の意識を介して行われるのです。ですからムル・シエサヘラは常に、このアルマの宮にエネルギー波動を伝えやすいように分布しています)
「つまり額にエスプランドル鉱石を埋めたアダンにとっても、アルマの宮は思念エネルギーを送り込みやすい場所という訳か」
(その通りです。おそらく、あなたがヴァリエンテ族の里を訪れることをアダン殿は予測していたのでしょうね。だからあなたが現れたと同時に、思念を送り込んでくることが出来たのでしょう)
 アウレリオの言うとおりだろうとエドガルドは思った。マラデータ王国でアダンの額に穿たれたエスプランドル鉱石を見たエドガルドが次に何処へ向かうか、アダンは簡単に予測することが出来ただろう。それ以前、マラデータ王国へ向かう時もアダンにうまく誘導されたのだった。自分の考えや行動が全てアダンの掌の上で踊らされているように感じ、エドガルドは恐れを覚える。
(アルマの宮を出た後も、アダン殿の意識があなたの夢の中に入り込む可能性はあります。あなたが居る場所とアダン殿が居る場所の間にちょうど良くムル・シエサヘラが配置されていればいいわけです)
「何か防ぐ手立てはないのか」
 アウレリオの説明を聞いたエドガルドは、蒼白になりながらも必死に平静を装って尋ねた。オスバルドが淡々と答える。
(普通は体内にエスプランドル鉱石を埋め込んでいるからといって、そう簡単に他者の意識の中に入ることはできない)
「だが、さっきはお前まで俺の夢の中に入って来た」
(入ったのは俺だが、実際に俺の意識をあなたの夢の中に送り込んだのはアウレリオだ。だが、そのアウレリオも覚醒したあなたの意識の中に入ることは出来ない)
 エドガルドが問い掛けるようにアウレリオの方を見ると、肯定の頷きが返される。混乱するエドガルドに対し、オスバルドが説明を続けた。
(あなたは本来、意思の力も精神力もかなり強い。そういう人間の意識の中に無理やり入り込むのは、アウレリオですら不可能だ。アウレリオが俺の意識に自由に出入りできるのは、俺が受け容れているからだが、それでも最初の頃はアウレリオの精神を受け容れることに凄まじい苦痛を覚えた。そのくらい、他者の精神を自分の意識に容れるのは抵抗を伴うものなんだ。だが、俺はさっき何の抵抗もなくあなたの夢に入り込むことが出来た。おそらくアダンも同じだろう)
 オスバルドが何を伝えようとしているのか理解し、エドガルドの顔は益々青ざめた。
「つまり、悪夢を見ている時の俺の精神は全くの無防備だということか」
(ああ)
「アダンの侵入を阻むには、悪夢を見ている最中にも覚醒している時と同じくらい強い意思と自我を保てば良いんだな」
(学師エドガルド)
 オスバルドは同情を滲ませてエドガルドの名を呼んだきり、黙り込んでしまった。代わりにアウレリオが励ましの言葉を掛ける。
(学師エドガルド、あまり思い詰めないで下さい。ムル・シエサヘラは私たちが精神感応を行うために惑星を飛んでいます。常にアダン殿にとって都合の良い配置にいる訳じゃありません)
 アウレリオの言葉も大した慰めにはならなかったが、それでもエドガルドは短く礼を告げてから二人の前を辞した。
 薄暗い廊下を進みながら、エドガルドは昏く深い穴へ落ちていくような気分を味わった。自分の弱さが呪わしかった。起きている間なら立ち直ったふりも出来る。棒を振るえば精神は鎮まり、恐怖を忘れることが出来る。だが、実際にはエドガルドは繰り返し悪夢を見た。悪夢はエドガルドが恐怖を克服できていないことの証明だった。恐怖を消し去ることが出来ないならば、抱えて生きていくしかないとエドガルドは考えていた。だが恐怖心を乗り越えられない自分の弱さが隙を作り、アダンを夢の中へ呼び込んでしまったのだ。
 客間へ戻るとイーサンは寝ずにエドガルドを待っていた。自分を心配するイーサンの顔を見て、エドガルドは思わず泣き出しそうになった。ぐっと耐え、努めて平静を装う。
「起きてたのか。お前は疲れてるのに、邪魔してしまってすまない」
「そんなことはいい。それより何があったのか説明しろ」
 エドガルドは何度か口を開き話をしようとしたものの、結局は口を噤んだ。イーサンに相談したい気持ちはあったが、悪夢の中でアダンに犯されながら自分が快楽を得ていたことを思い出すと、絶対にイーサンには知られたくないという思いの方が勝った。
「話したくない」
 そう言ってエドガルドはイーサンに背を向けて寝てしまう。性格上、無理強いするこの出来ないイーサンは、問い質したい気持ちを(こら)えて自分も横になった。
「エドガルド」
「なんだ」
「話したくないなら無理に話さなくても良い。だが、どんな話でも俺は聞く準備が出来ている。それだけは覚えていてくれ」
「ありがとう」
 声が震えているのがばれないように、エドガルドは必死に礼を述べた。
 沈黙が落ち、夜が更に深まっていく。互いに眠れていないことを察しながら、二人はまんじりともせずに孤独な夜を過ごした。
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