第二節 6

文字数 3,123文字

 扉が閉まると、セベロは立ち上がって先ほどまでアントニアが座っていた椅子へ移動してきた。正面からエドガルドを見つめ、軽く頭を下げる。
「学師エドガルド。女性の捜索を引き受けてくださって、ありがとうございます」
「アントニアは嘘やはったりを言ってるようには見えなかった。ユーニス・ベラミーという女性が実在の人物で、本当にラハーダ自治区に拘束されているとしたら、こちらの手中に収めておいた方が良さそうだ」
「ユーニス・ベラミーとジェラルド・ベラミーが実在の人間かはすぐに調べが付く。ベラミー貿易と、ユーニスが運営しているという財団についてもだ」
 横からイーサンが口を挟む。エドガルドは頷き、少し不思議そうな声を出した。
「夫はカオス世界で違法に武器を売り(さば)く密輸商で、妻はカオス世界で人道活動を行う財団を運営している。話だけ聞くとアンバランスな夫婦にしか思えない」
「人道的な組織を運営してるのは夫の稼業をカムフラージュするためかも知れん。夫が違法行為で稼いだ金を、妻の財団が資金洗浄してる可能性もある」
 イーサンが冷静な分析を返す。
「なるほど」
 エドガルドは納得したように頷いてから、セベロに尋ねた。
「これまであなたが行ってきた捜索で〈ラハーダの自由〉が都市人の女性を匿いそうな場所は探し尽くしたか」
「町はだいぶ探しました。私はその女性は町の中にある〈ラハーダの自由〉の隠れ家にはいないだろうと考えています。大っぴらな捜索を行えなかったとはいえ、気配すら感じ取れませんでしたからね」
「町にいないとしたら、郊外の何処かに隠してるということか。そうなると二人だけで捜すのは時間が掛かるな」
 イーサンの言葉を受け、セベロは少しのあいだ考え込んでから口を開いた。
「私は女性が北の森の中に隠されているんじゃないかと危惧しています」
 セベロが敢えて〝危惧〟という言葉を選んだことに、エドガルドもイーサンも注意を惹かれた。セベロは慎重に言葉を選びながら二人に問い掛ける。
「植民領時代、私が〈ラハーダの自由〉に身を置き、第二ドームに対するレジスタンス活動を行っていたことはお聞き及びですか」
「ああ。あなたはこの国を独立に導いた立役者だと聞いてる」
 二人があっさりと頷いたことで、セベロはほっとしたように話を続けた。
「〈ラハーダの自由〉にいた頃、私はこの国の北側に広がる森の中の洞窟を拠点にする計画を立てていました。第二ドームに対するレジスタンス活動を行うのに、身を隠す場所として最適だと考えたんです。あの洞窟には地元の人間も近づかないし、軍も簡単には入れません」
「洞窟に何かあるのか」
「フィゴが大量に自生しているんです」
「野獣がいるのか」
「ええ、それもかなり大きな群れがいます」
「俺にも分かるように話してくれ」
 二人だけで会話進めるエドガルドとセベロに対し、イーサンが口を挟む。ああ、すまない、と謝ってからエドガルドが説明を始めた。
「惑星移住のあと、混沌エネルギーによるDNA損傷によって人間にも動物たちにも多くの遺伝的変異が起こった。変異を繰り返しながらこの星の環境に適合する個体が生き残っていくことで、今では人間も含め殆どの動物が比較的安定した種に落ち着いている。だが初期の頃には生物として安定しない個体が多数産まれた。そうした個体の多くは生まれ落ちてすぐに命を落としたが、稀に強い凶暴性を備えた個体が生き延びることがあった。こういう個体は捕食行動でも縄張り争いでもない殺戮を行い、野獣と総称されてきた。確か都市ではカオスの獣と呼ばれているはずだ」
「あれはそういう生き物のことだったのか。特定の種を指す言葉じゃなかったんだな」
「ああ、野獣はあらゆる種に生まれる。現存の野獣は様々な種から生まれた個体の子孫で起源は分からなくなっているが、今でも新たな野獣は産まれていて遺伝子の交配は続いている」
「あらゆる種に生まれるってことは」
 イーサンはそこで言い淀んだが、エドガルドは淡々と返した。
「当然、人間にも生まれる」
 驚いてエドガルドの顔を眺めるイーサンに対し、エドガルドは説明を続ける。
「はっきりしているのは、野獣はこの星の進化の過程で生まれたということだ。巨獣や水獣は一部の野獣と非常に近い遺伝子配列を持っている。野獣の中から安定した個体が生まれ新たな種が完成したのか、野獣が他の動物と交配した結果新たな種が生まれたのか、新たな種が生まれる過程の副産物として野獣が生まれたのか、それは分からない」
「フィゴというのは何だ」
「惑星各地に自生する植物で、野獣が好む。野獣は生物として不安定だ。フィゴに何らかの薬理作用があるんじゃないかと考えられているが、野獣の生態はまだ色々と不明なことが多い」
「つまり、北の森の洞窟にはフィゴが多く自生していて、野獣の巣窟になっているのか」
「そうです」
 エドガルドの代わりにセベロが答える。
「私の案は、洞窟の中に独自の通路を作り、野獣の棲息地を避けて移動できるようにするというものでした。通路の分岐点に複数の扉を設けておいて、正しい方向に進まないと野獣の棲息地に迷い込むようにしておくんです。ごく少数の限られた人間だけが道順を把握することで、外部の人間の侵入を防ぎます」
「野獣を使って身を守ろうと考えた訳か」
 セベロは首肯して続けた。
「このアイデアを、私は当時恋人だった女性に事細かに説明したことがあります。結局のところ、通路を作る前に私は〈ラハーダの自由〉を去ったのですが、その後〈ラハーダの自由〉のリーダーになったのはカルロスという男で、その女性の幼馴染みです」
「あなたの恋人だった女性から話を聞いた現リーダーが、洞窟の通路を完成させたかも知れないとあなたは考えているんだな」
「そうです。もし完成していれば、洞窟の中はユーニス・ベラミーという女性を隠すのにもってこいの場所でしょう」
「探してみる価値はありそうだな」
「学師エドガルド、北の森の洞窟には第二ドーム軍の辺境部隊もおいそれとは近づけませんでした。だからこそ、私はレジスタンス活動の拠点にしようと考えたんです」
 エドガルドは一瞬きょとんとした表情を見せたが、セベロが何を心配しているのか気付き、小さく笑う。
「野獣と対峙したことなら、これまでに何度もある。心配には及ばない」
 こともなげに言うエドガルドを、セベロはなんとも言えぬ表情で見つめた。その顔を見たイーサンはどことなく嫌な予感を覚える。エドガルドは時に一瞬で他者を強烈に魅了することがあり、エドガルド自身がそのことを自覚していないために人間関係を複雑にしやすい。イーサン自身も魅了された人間の一人であるから、よく分かる。
「イーサン、そろそろ俺たちも行こう」
 案の定、セベロの視線に熱が篭もり始めたことなど全く気付きもしないエドガルドが、さっと立ち上がってイーサンに声を掛けた。はっと我に返った表情を見せ、セベロも続けて立ち上がる。
「学師エドガルド、ロウ少尉。ご協力に感謝します。くれぐれも気を付けて」
「ありがとう。なるべく早くユーニス・ベラミーを捜し出すよう、努力する」
 二人を送り出すセベロの視線はエドガルドの上に固定していた。イーサンは気付かれぬ程度に眉を(ひそ)めつつ、黙って部屋を出る。隣を歩くエドガルドの精悍で涼やかな横顔に目を遣り、複雑な気分に襲われる。
 目の前でエドガルドに惹かれ始めた男の顔を見て複雑な気分に陥るのは、独占欲のせいかもしれないとイーサンは自己分析した。以前はエドガルドの無防備さを目の当たりにすると心配が募るばかりだったが、今の自分にあるのはそれだけの感情ではないと、イーサンははっきりと自覚していた。
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