第四節 1

文字数 2,906文字

 ラハーダ自治区では、エドガルドとイーサンがユーニス・ベラミーの捜索に当たっていた。北の森にある洞窟が怪しいというセベロの助言に基づき、二人は森で野宿をしながら野獣の棲息する広大な洞窟を虱潰しに捜索することにした。
 最初、当然の如く洞窟の探索に同行しようとするイーサンに対し、エドガルドは難色を示した。お前の銃の腕は知っているが、今回はかなり危険な任務になるから、セベロの配下の者たちと一緒に町中や郊外の居住区の捜索の方を行って欲しいとまで言い渡した。それは命令か、それともお願いか、とイーサンに問い質されたエドガルドは、困り果てて黙り込んでしまった。
 むろん、無理についていけばエドガルドの足を引っ張る可能性があることを、イーサンはよく承知していた。エドガルドにとっては、野獣の群れが棲息する洞窟で自分の身を守ることなど容易いだろう。だがイーサンが同行すれば、エドガルドはユーニスの捜索に加えイーサンの身の安全にまで気を配らねばならなくなる。
 それでも、イーサンは引くつもりはなかった。
 ラハーダ自治区に来て以来、エドガルドは三日に一度は夜中に棒を振るっている。日に日に顔色が悪くなっていくのは、単なる睡眠不足のためではなく精神的に疲弊しているせいだろう。イーサンはエドガルドを独りにしたくなかった。
 沈黙を続けるエドガルドに、イーサンは小型の箱を差し出した。困惑した表情でエドガルドが蓋を開けると、中には小さな虫を象った精巧な機械が三つ、緩衝材に埋もれて収められていた。マラデータ王国に行く前に寄った第六ドームの植民領で、連盟外交局の情報部員が虫型の小型探査機を駆使するのを見たイーサンは、今回の任務に携行する機器に類似の探査機を加えておいたのである。
「これを使えばお前一人で歩き回るより、ずっと効率的に洞窟の中を探索できる」
「分かった」
 これで、ようやくエドガルドは頷いた。
 未明に分院を発ち森へ向かった二人は、夜明け前に洞窟に入った。複雑な凹凸が刻まれた白い岩肌に、外界から所々差し込む微かな光が多彩に反射している。こんな美しい場所に凶暴な獣が棲息しているとは、俄には信じがたいとイーサンは思う。
 エドガルドは刺青(しせい)を通じて周囲のエネルギーを感じ取り、野獣の気配を巧みに避けながら先へ進んだ。後に続くイーサンは虫型の探査機を飛ばし、辺り一帯のデータを収集する。データはイーサンの端末に蓄積され、洞窟の立体地図や探索済みの範囲が精確に記録されていく。初日の探索を滞りなく終えた二人は、洞窟を出て森の中にシールドテントを張り、夜を過ごした。
 翌朝、前日に探索を終えた地点まで戻ってくると、イーサンは再び探査機を起動させた。三機の探査機のうち一機はエドガルドとイーサンの進行方向についていく。残り二機はそれぞれ細い通路へと入って行った。
 イーサンは二機の探査機から送られてくる映像を特殊スコープに映し出し、確認しながら洞窟内を進む。一機の探査機から送られてきた映像に、薄暗い空間に佇む動物の影が映った。
「エドガルド、探査機が捜索している通路の奥に何かいる」
「野獣だろう」
「違う。たぶん鹿だ。迷い込んだのか」
「猟師に追われて逃げ込んだのかも知れないな」
 鹿は怯えたように辺りを彷徨いている。興奮状態で洞窟の中へ飛び込んできて、奥深くまで迷い込んでしまったのだろう。
「通路の奥のエネルギー値が徐々に上昇している」
「野獣が集まって来ているんだろう。野獣は体内に蓄えているエネルギー値が高い。集まれば一帯のエネルギー値が高まる」
「なぜ集まってくるんだ」
「その鹿は途中でフィゴに触れたのかも知れない。フィゴの匂いは一度つくとなかなか落ちない」
 エドガルドの言葉どおり、イーサンの特殊スコープに映し出される映像にひとつ、ふたつと黒い塊が浮かび上がってくる。鹿は怯えて興奮し、黒い塊と逆方向に駆け出した。しかし通路の反対側からも黒い塊が現れ、鹿は進路を断たれてしまう。
「鹿が襲われるぞ」
「そうだろうな。野獣は群れ以外の生き物には見境なく襲い掛かる」
 特殊スコープに映し出された映像の中で黒い塊が次々と鹿に飛び掛っていく。血飛沫が上がり肉片が飛び散る様に、イーサンは眉を顰めた。黒い塊に群がられた鹿が断末魔の啼き声を上げる。
「ただの殺戮だ」
「説明しただろう。野獣は捕食行動でも縄張り争いでもない殺戮を行う。ただ殺すために殺す」
 エドガルドが事もなげに返す。
 野獣はものの数分で鹿を八つ裂きにしてしまった。想像以上の残忍さにイーサンは流石に息を呑む。数えられるだけでも十数頭の獣が鹿に群がっていた。あれがこの洞窟に棲む野獣の群れの一部に過ぎないとすれば、エドガルドが当初イーサンの同行に難色を示したのも無理はない。
「イーサン、野獣の居る通路はここからどのくらい離れている」
「はっきりとは分からんが二、三〇〇メートルだろう。映像が問題なく届いているから間に遮蔽物は少ない」
 つまり、それほど多くの分岐点を挟んではいないということだ。
「野獣は獲物を襲うと興奮して益々見境がなくなる。こちらへ近づいて来るようなら、なるべく離れた方が良い」
 イーサンは探査機が送ってくる映像を確認する。血の匂いに猛ったのか、野獣たちは唸り声を上げながら凄まじい勢いで洞窟の奥へと走り去って行った。
「洞窟の奥へ去った。もう探査機のカメラが及ばない距離だ」
「分かった。このまま捜索を続けよう」
 その後は大したことも起こらず、二人は二日目の探索を終えた。初日と同じく洞窟を出て、森の中にシールドテントを張って夜を過ごす。
 シールドテントは周囲の光を複雑に反射することでカムフラージュされているが、中からは外の空間が透見できるよう設定してある。イーサンは寝袋の中で仰向けになり、シールドテント越しに星空を眺めた。聞こえるのは虫の声や風が木の葉を揺らす音だけだ。
 ややあってエドガルドが口を開き、静寂を破った。
「イーサン、少し話して良いか」
「ああ、どうした」
「最初、あんな風に言って済まなかった。お前が一緒に来てくれて助かっている」
 イーサンは寝返りを打ってエドガルドの方へ向き直り、笑ってみせた。エドガルドの美点の一つは、間違いなくこの素直さである。
「野獣が鹿を襲うのを見て、お前が俺を心配するのに納得がいった。確かにあいつらに一斉に襲われたら、お前に助けて貰わないと無事でいられそうにない」
「何かあれば俺は絶対にお前を守る」
 真剣な口調でエドガルドが告げた。
「正直、エスプランドル仗を使えば野獣を壊滅させるのはそれほど難しいことじゃない。ただ、ここは元々野獣の棲息地だ。俺たちの方から侵入しておいて命を奪うことに、抵抗がある」
「お前にそんなことをさせないよう、俺も気を付ける」
エドガルドが嬉しそうに笑う。イーサンは手を伸ばし、エドガルドの頬を優しく撫でた。
「もう寝ろ。明日も早いぞ」
「ああ」
 深い眠りに就く訳にはいかなかったが、イーサンの気配や呼吸の音を身近に感じ、エドガルドは安らぎを覚えて瞼を閉じた。穏やかなエドガルドの様子を見てイーサンも浅い眠りに就く。
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