第三節 1

文字数 2,549文字

 ニコラス・キーンは作業の手を止めて、ひとつ溜め息を()いた。
 作業場の中は暑く、十分な冷房が効いているとは言い難い。手袋をはめた手で額の汗を拭い、ニコラスは再び作業に戻る。
 カオス世界に設置されたこのクラウストラム刑務所は、最も近い植民領からでも動力機で一時間以上はかかる場所にある。死刑制度を持たない都市に於ける最重刑は追放刑であったが、様々な倫理的問題から近年実行する都市は殆どない。代わりに都市はカオス世界に刑務所を設置し、そこに犯罪者を押し込めることにしたのだった。こういった刑務所は基本的に民間経営であり、ここクラウストラム刑務所も都市から委託を受けた民間企業が運営している。この刑務所では懲役を課された受刑者を軍が廃棄した兵器の解体作業に従事させ、抽出された原材料をリサイクルに回すことで収益を得ている。
 ニコラスは動力機に搭載されている動力制御装置の解体作業を担当していた。この部分には稀少な鉱物資源が何種類も使用されており、雑なスクラップ作業を経た後に精製され再利用されるボディ部分と違って、丁寧な解体と仕分け作業が必要となる。ニコラスは機械工学の専門的な資格を有していたため、高度の知識と繊細な作業が要求されるこの部署に配属されたのだった。
 ニコラスのように特別な技能を持つ収監者は刑務所内で様々な特別待遇を受けている。その証拠に、ニコラスの居る広い作業場には監視カメラが設置されているだけで、刑務官は常駐していない。
 作業場の扉が開く音がしたため、ニコラスは顔を上げてそちらへ目を遣った。刑務官が見たことのない男を連れて作業場へ入って来るところだった。暗い金髪に緑の目を持つ、細身の優男だ。収監者用の衣服を着用しているので、受刑者であることは間違いない。だが男は解体作業に従事することもなく、刑務官の後ろについて作業場の中を歩き回り、ただニコラスたちの作業を観察するだけだった。正確には、ニコラスたちが解体している部品をひとつひとつ見て回っている。
 夜、自分の房に戻って寝台に横たわったニコラスは、隣の寝台に腰掛けて電子機器で本を読んでいる同室の男に昼間の出来事を語った。
「今日、刑務官が作業場に男を連れて来た。作業をさせるわけでもなく、ただ俺たちの作業を見せて回ってただけだ。あいつは誰だ」
「ああ、〝特別客〟だろ」
 同室者は手元に投影された本に目を向けたまま答える。
「〝特別客〟って何だ」
「独居房に入れられてる奴だ。時々刑務官に連れられて俺たちの作業を見に来るんだよ。最初の頃は、それ以外の時はずっと独居房に籠もって全く外に出て来なかった。最近は自由に外を出歩いてるけど、他の囚人と交流することは殆どない。俺の知ってる限り、あいつの本名を知ってる奴すらいない」
「ふうん」
 自分から話題を振っておきながら興味のない返事をし、ニコラスはそのまま黙り込んだ。邪魔がなくなった同室の男は、再び読書に集中することが出来た。
 翌日、ニコラスはいつものように作業場で動力制御装置の解体作業に当たっていた。ふと窓の外を眺めると、運動場の隅に置かれたベンチに〝特別客〟が手持ち無沙汰な様子で座り込んでいるのが目に入った。
 一般の受刑者たちは運動の時間を規則正しく割り振られ、それ以外の時間に屋外に出ることは出来ない。一方、ニコラスのように特別な技能を求められる作業に従事している収監者は、決められた期間内に作業を終わらせさえすれば好きな時に休憩を取ることが許されており、運動場にも自由に出入り出来る。
 今は一般の収監者たちの運動の時間ではなく、広い運動場に居るのは数人の男たちだけだった。この時間に運動場に居られるということは、〝特別客〟が呼び名の如く特別待遇を受けていることを表している。
 解体中の部品をさりげなく作業台の上に置き、ニコラスは運動場へ向かった。運動場の外周を数周走った後、息が上がった振りをして〝特別客〟が座っているベンチから少し離れたところで足を止める。フェンスに靠れて立ち、ニコラスは〝特別客〟から視線を逸らしたまま話し掛けた。
「ジェラルド・ベラミーだな」
 声が聞こえなかったはずはないのに、〝特別客〟ことジェラルドは全くの無反応だった。ニコラスは構わず続ける。
「アントニアからあんたをここから出すように依頼された」
 ジェラルドは緑色の目だけを動かして無表情にニコラスを一瞥し、すぐに視線を戻した。
「妻の身の安全が保証されるまで、私はここから出る気はないよ」
「ユーニス・ベラミーの救出活動も同時に進めている」
「ユーニスが誘拐されてから、もう半年近くが経ってる。彼女の消息についてこれまで一切なんの情報もなかったのに、急に救出活動が進行中と言われても信用する気になれないね。アントニアの名前を出せば僕が信じると考えてるのかも知れないけど、君の身元も分からないのに、これが罠じゃないってどうやって判断できる」
 この程度の反応は想定内だ。ニコラスは事前に準備しておいた説明を滔々(とうとう)と語って聞かせる。
「アントニアはまずラハーダ自治区の宰相アバスカルに協力を求めた。宰相アバスカルは自力ではあんたの奥さんを探し出せず、別件でラハーダ自治区を訪れていた連盟治安維持局の人間に協力を仰いだ。連盟治安維持局はあんたの持ってる情報を重要視し、あんたの商売には目を瞑ってここから出すことを決定した。それで俺が送り込まれたって訳だ」
 ジェラルド・ベラミーは暫く沈黙し、考え事をしているようだったが、やがて口を開いた。
「たとえ君の言うことが真実だったとしても、妻が救出されるまでは私はここから動かない。私が脱獄すれば、妻の身に危険が及ぶからね」
「なら脱獄はユーニス・ベラミーが救出された後に実行する」
「ユーニス本人をアントニアが確認するまで、私は君たちを信用しないよ」
「分かった」
 少し間を置いて返事をしてから、ニコラスは作業場のある建物の方へゆっくり歩み出した。ジェラルドの前を横切る際に袖の中から何か小さなものを地面に落としていく。ジェラルドはそれから長いことベンチに座ったままじっとしていたが、ようやく立ち上がるとニコラスが落として行った物を拾い上げ、ポケットにしまいこんで建物の中へ戻った。
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