第二節 4

文字数 2,538文字

「人身売買組織を壊滅させるのに何故エスプランドル鋼を譲る必要があった。アダンがもっと大きな事を企んでいたのは分かっていたはずだ」
「察していたとしても、敢えて確認する必要はないでしょう。彼が何を企んでいたにせよ、父に止める気はありませんでしたからね」
 アウレリオは端正な面に酷薄な笑みを浮かべて続けた。
「父の先代のアルマは都市人の謀略によって殺されたのですよ。父は元々アルマになるはずの人間ではありませんでした。急死した先々代のアルマに代わり、急遽、アルマの後を継いだのです。アルマを殺されたヴァリエンテ族の怒りと憎しみは、学師エドガルド、あなたには想像もつかぬほど深く激しいものでした。父も例外ではありません。父は死ぬまで、都市人のことを心の底から憎んでいました」
「だからアダンの頼みを聞いたというのか。都市人を殺すというあいつの計画に共感して」
「エスプランドル鋼の使い道については聞いていませんよ。アダン殿が父に語ったのは、人身売買組織を壊滅させて資金を奪うという計画についてだけです」
「アダンは自分の額にエスプランドル鉱石を埋め込んだ。それも想定の範囲内か」
 アウレリオは一瞬、言葉に詰まったものの、落ち着いた口調のまま返した。
「父も流石にそれは想定していなかったはずです」

をしている人間を自由にさせておくのか」
 そのときアウレリオが浮かべた表情は、誇り、自負といったものの蔭に苦痛や嫌悪といった感情を孕んだ、複雑で説明しがたいものだった。
「石が一つ流出したくらいで、私以外にアルマが誕生したりしません。ヴァリエンテ族は子供の頃から少しずつ身体にエスプランドル刺青を彫っていくことで、自然とカオスの力と感応する方法を覚えていくんです。力が強い者ほど、より多くの刺青が彫られます。そしてヴァリエンテ族の中で最も強いカオスの力への感能力を有する者が、顔に刺青を刻む代わりに額にエスプランドル貴石を穿ちます。アルマほど強い力を持ち、全身にエスプランドル刺青を彫った者でなければ、貴石の負荷に耐えることなど到底出来ません」
「だが、現実にアダンの額にはエスプランドル鉱石が埋め込まれていた」
「アダン殿の額に穿たれているエスプランドル鉱石は、私の額に穿たれている貴石よりずっと小さなもののはずです。額の石を使って行っていることも、アルマとは全く異なります。それでも、上級学師としてカオスの力と感応するための鍛錬を積んできた人間でなければ額にエスプランドル鉱石を埋めることは出来なかったでしょうし、ましてや、それを使いこなすことなど不可能だったでしょう。そういう意味では、ティエラ教義とエスプランドル鋼の取り引きを行うことそのものが根源的な危険を孕んでいることになります。私たちは学師の方々を信じているからこそ、エスプランドル鋼をお譲りしているのですよ、学師エドガルド。アダン殿の行為はヴァリエンテ族への裏切りなのか、ティエラ教義への裏切りなのか、よく考えて下さい」
 アウレリオの指摘に、エドガルドは絶句する。緊張した空気を和らげるようにアウレリオが微笑んだ。

殿

が今後増えていく可能性があるのなら、部族の総力を挙げて阻止します。ですが、おそらくそうはならないでしょう。特異な人間が一人だけで行っていることなら、実害がない限りは放っておきます。〈先住民の血〉と全面対決すれば、ヴァリエンテ族が被る損害も大きくなると予想されますからね」
 これ以上は言葉を継ぐことが出来ず、エドガルドは押し黙ったままだった。
 その後、別の部屋に移って夕餉が供されると、話題は打って変わって差し障りのないものとなった。イーサンが驚いたことにティエラ教義にはヴァリエンテ族出身の学師がいるらしく、主にその人物の近況についての会話が交わされた。
 食事を終えてアウレリオとオスバルドの前を辞したエドガルドとイーサンは、客間に案内された。接見の間や食事の供された部屋に比べると木がふんだんに使用され、落ち着いた温かみのある雰囲気の部屋だ。二人は風呂を済ませ、(とこ)に伸べられた寝具に横になる。シエ・バージェに揺られ続け疲れ切った身体をようやく休ませることの出来たイーサンは、すぐに睡魔に引き込まれそうになったが、意識を失う前になんとかエドガルドに話し掛けた。
「思っていたほどの収穫は得られなかったのか」
「そんなことはない。アダンが第二ドームのテロにエスプランドル鋼を利用したことに確信が持てたし、初期の頃どうやって人身売買組織を見つけ出していたのかも分かった」
「なら、どうしてそんなに浮かない顔をしているんだ」
「アダンがエスプランドル鉱石を額に埋めたことは、ヴァリエンテ族にとって自分たちの領域を侵す許しがたい行為だろうと考えていた。だがエスプランドル鋼を手に入れたのが元学師でなければ大した価値を発揮しなかったと指摘されて、その通りだと気付いた。プラシドの言うとおり、アダンを止める責任は学師からテロリストを出してしまった俺たちにある。なのに、どこかでヴァリエンテ族の協力が得られると考えていた自分の甘えが情けない」
「そう自分に厳しくするな」
 優しく声を掛け、イーサンは隣の寝具に横たわるエドガルドに手を伸ばす。頬をそっと撫ぜると、エドガルドがもの言いたげな眼差しを向けてくる。
「イーサン」
「うん」
「お前のためにも早くアダンを捕まえたい」
 イーサンは驚き、薄闇のなか目を凝らしてエドガルドの表情を読み取ろうとした。だが(はしばみ)色の瞳は不可思議な煌めきを見せるばかりで、そこに浮かぶ色までは分からない。
「俺のためだなんて、そんなことは考えなくて良い。もう寝ろ」
「ああ。お前も疲れてるだろうから、よく休んでくれ」
「そうする。シエ・バージェの乗り心地は最低だった」
 ようやくエドガルドが微かに笑う気配が伝わってきて、イーサンは安堵した。マラデータ王国を出て以来、エドガルドはずっと張り詰めている。原因は分かりきっていたが、イーサンはどうすることも出来ずにいる。
 一時期はこれ以上ないほどに近づいていた二人の距離が再び離れたことにもどかしさを覚えながら、イーサンは睡魔に抗いきれず意識を手放した。
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