第二節 1

文字数 2,617文字

 エドガルドは合金(じょう)を手に、一人の戦士と対峙していた。
 戦士はまだ若く、二十歳を幾つか超えたくらいだろう。その容貌は一種、異様とすらいえるものだった。顔から(くび)にかけて、そして剣を握る手から腕にかけても、服に覆われていない肌にはびっしりと真っ黒な刺青(しせい)が彫られている。幾何学的紋様が刻まれた面の中で、静かな灰色の瞳だけが浮かび上がるように輝いていた。
 戦士の名はオスバルド。ヴァリエンテ族最強の巨獣戦士だ。
 山岳民族であるヴァリエンテ族が暮らすこの集落は、ティエラ山の北側に連なる山々の一角にある。
 マラデータ王国からティエラ山に戻ったエドガルドとイーサンは、本院で馬と鹿の交配種であるシエ・バージェという動物を借り、ノルテ・コルディエラと呼ばれるこの連山に入った。シエ・バージェは、馬では往けぬ険しい山道をなんなく進む強靱な脚を持ち、鹿よりも人が騎乗することに適した動物である。
 それでも、幼い頃から野生のシエ・バージェを乗りこなしてきたエドガルドはともかく、乗り慣れぬ動物の背に揺られての道行きにイーサンは難渋した。全身の痛みに耐えながら幾日も掛けて山の奥深くへと分け入っていき、ようやくヴァリエンテ族の里に辿り着いたときには、安堵の溜息を漏らしたものである。
 二人が訪れたのは、十二あるヴァリエンテ族の集落ではなく、〈アルマ〉と呼ばれる部族の至高の存在が暮らす〈宮〉だった。三方を崖に囲まれ、その一面には白煙を上げる滝を望む、まさに秘境と呼ぶにふさわしい場所だ。
 正殿の(えん)に設えられた席にイーサンと一人の青年が並んで座り、平らな広い岩場で対峙するエドガルドとオスバルドを眺めている。
「始めて下さい」
 青年が声を掛けると、右手に剣を携えたオスバルドが、力を抜いた自然な姿勢のまま一歩で間合いを詰め、エドガルドの頭上めがけて凄まじい勢いで剣を振り下ろした。エドガルドは落ち着き払い、合金仗で剣を受け止める。金属と金属のぶつかる鋭い音が辺りに響き渡り、離れた場所に座るイーサンの耳にまで届いた。
 そのまま二人は、二合、三合と打ち交わしていく。
 空には二つの月が輝き、白い岩肌に月明かりが反射して夜でも互いの動きがはっきり見える。
 ヴァリエンテ族が身体に刻む刺青には、ティエラ教義の学師に彫られる刺青と同様、エスプランドル鋼の粉が用いられている。ヴァリエンテ族の戦士は、混沌エネルギーと共鳴する能力が高いほど多くの刺青を身体に刻む。彼らの使う剣も、能力に応じてエスプランドル鋼の含有率が決まるエスプランドル合金だ。
 全身にエスプランドル刺青を彫ったオスバルドの操る剣が、幾許かのカオスの力を伴ってエドガルドの合金仗を打ち据える。学師のように特殊な呼吸法や棒術を体得しているわけではないので、ヴァリエンテ族の戦士が振るう力は、ただ刺青と剣に含まれるエスプランドル鋼が周囲の混沌エネルギーと呼応して生み出されるものだ。それでも、オスバルドの剣が孕むカオスの力は、通常の人間であれば到底受け止めきれぬ威力を有していた。
 体格的にはエドガルドとさほど変わらぬオスバルドの膂力は、エドガルドを凌ぐようだった。エドガルドの棒術は力強さよりも敏捷さやしなやかさが際立っている。一見するとエドガルドが力負けしそうな勝負だが、実際はそうではなかった。
 エドガルドは流れるような動きで一瞬のうちに全身の力を棒の一点に込め、オスバルドの剣めがけて気を放つように一気に打ち込んだ。とことん鍛錬を積み、武術を極めた者にしか繰り出せぬ一撃である。
 カオスの力を伴っているわけでもないのに凄まじい圧と力を受け、剣を握るオスバルドの両腕がじんと痺れた。
「学師エドガルド、なぜカオスの力を使わないのですか」
 イーサンの隣の席で興味深げに撃ち合いを眺めていた青年が、涼やかな声を掛ける。
 青年の名はアウレリオ。ヴァリエンテ族の総意を司る〈アルマ〉と呼ばれる存在である。灰金髪と濃紺の瞳を持つ美しい青年で、オスバルドと違い、その面に刺青は刻まれていない。代わりに額には、エスプランドル鋼の原石を磨いた真っ黒な〈貴石〉が嵌め込まれている。
 エドガルドが動きを止めてアウレリオへ答える。
「ティエラ棒術の心得のない相手と打ち合うのに、カオスの力を使うわけにはいかない」
「オスバルドなら大丈夫です。ティエラ・ゲレロと打ち合う機会など、一生のうちに二度と巡ってこないでしょう。彼にティエラ棒術の真髄を見せてあげて下さい。お願いします」
 逡巡を覚えたが、エドガルドはテロリストになった幼馴染アダンに関する情報を求めてヴァリエンテ族の里を訪れたのだった。協力を仰ぐ立場としては、〈アルマ〉の意向に逆らうのは得策でない。
 エドガルドは呼吸を整え、合金仗を複雑な動きにくねらせ始めた。エスプランドル仗を振るうときほどの大きさはないが、混沌エネルギーがエドガルドのうなじ、両手両足首に刻まれた刺青を通じて合金仗の端に留めたエスプランドル鋼製の金具に流れ込む。
 エドガルドの振るうエネルギーを蓄えた合金仗を、オスバルドが自分の剣で受け止める。エスプランドル合金でできたオスバルドの剣にもエネルギーが宿るが、エドガルドの生み出す凝縮したエネルギーとの差は歴然だ。渾身の力を込めて押し返そうとするオスバルドの腰が沈み、両足は地面に縫い留められたように動かなくなった。
 仗が剣に、剣が仗に押し付けられ、力がせめぎ合う。劣勢のオスバルドが下から仰ぐようにエドガルドを見つめ、ふと嗤った。
「すごい力だ」
 不意に、自分の仗を押し返している相手が別人に入れ替わったような奇妙な感覚に襲われ、エドガルドは眉を(ひそ)めた。
「誰だ。お前はオスバルドじゃないな」
 鋭く誰何すると、オスバルドが感心したように目を見開いた。エドガルドの頭の中に直接思念が響く。
(さすが、ティエラ・ゲレロの目は誤魔化せませんね)
「アウレリオか」
 口調は落ち着いていたものの、エドガルドは内心では驚いていた。
 ヴァリエンテ族の人間は、刺青を使って混沌エネルギーに波動を起こすことで、言葉を用いずに意思疎通を図ることが出来る。力の強い者同士であれば、精神感応を通じて強い共鳴状態を作り上げることも可能だ。だが、今アウレリオがオスバルドにしているような、一個の人間の中に別の人間の意識が完全に入り込むような状態は、ヴァリエンテ族と雖も極めて特異のはずだ。
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