第三節 2

文字数 3,874文字

 数日後、ニコラスに特別面会の許可が下りた。十八平米程度の狭い面会個室で、ニコラスは寝台に腰掛けて面談者を待った。暫くして刑務官が扉を開け、すらりと背の高い赤毛の女が部屋の中へ入ってくる。
 刑務官の目を意識し、ニコラスは嬉しそうに立ち上がりって女の許へ駆け寄った。
「アリシア、会いたかった」
「私もよ、ニコラス」
 刑務官は慣れているのか、抱き合う二人を興味なさげに一瞥し、
「三時間後にまた来る。それまでせいぜい愉しめ」
 と言い置いて部屋を出て行き、外から鍵を掛けた。
 これから数時間、二人は密室で過ごすことが出来る。特別面会中は監視カメラも録音マイクも使用されない。完全に二人きりだ。
 ニコラスはアリシアの手を引いて寝台に座らせ、自分も隣に腰掛けた。慎重を期し、身体を抱き寄せた上で耳元で囁く。
「ジェラルド・ベラミーと接触した」
「それで」
「小型通信機を渡しておいたから、連絡は簡単に取れるようになった。ただ本人はユーニス・ベラミーの救出に成功するまでは脱獄しないと主張してる」
「どうして」
「こういう廃棄兵器の処理を行う刑務所は、元々ベラミー貿易の仕入れ先だった可能性が高い。ユーニス・ベラミーの誘拐とジェラルド・ベラミーの逮捕は殆ど同時期に起こってる。偶然の出来事じゃないはずだ」
「つまりジェラルド・ベラミーがここにいるのは横流しする武器を手に入れるためで、自分の意志かも知れないってことかよ」
「ああ。実際、ジェラルド・ベラミーには逮捕された記録も正式な裁判に掛けられた記録もなかった」
「よく分かんねえな。収監される前から武器は入手できてたのに、なんで今回だけわざわざ刑務所に入る必要があるんだよ。それに、アントニアって情報提供者は、ジェラルド・ベラミーを救って欲しいって依頼してきたんだろ。自分の意思で刑務所に居る奴を、どうして救って欲しいなんて言うんだ」
 的を射た反駁に、ニコラスは黙り込んで思考し始めそうになった。アリシアがあっけらかんと言い放つ。
「考え込むなって、ダニエル。その辺のことを考えるのは俺たちの仕事じゃねえよ。ロウ少尉とあの学師様がユーニス・ベラミーを救出したら、俺たちは直ちにジェラルド・ベラミーを拉致すれば良い。それだけだ」
 潜入任務中に本名を呼ばれ、ニコラス・キーンことダニエル・リー少尉は盛大に顔を(しか)めた。相変わらず真面目な奴だとでも言いたげな、揶揄(からか)いを含んだ眼差しでアリシアがダニエルの顰め面を眺める。アリシアは本名をテオ・アルバといい、連名治安維持軍特殊作戦遂行班でダニエルと同じ隊に所属する下士官だ。混血のダニエルと先住民のテオは外交局情報部や治安維持局の要請を受け、潜入捜査に従事することが多かった。
 ダニエルはいま黒髪を金色に染め、黒い瞳を青のカラーコンタクトで覆い、更に肌を焼いて褐色を帯びた色に近づけている。混血の末、人種的特徴を失ったダニエルの風貌は、髪と目と肌の色を変えただけで本来の外見的特徴を捉えがたいものになっていた。まさに潜入任務にもってこいの容貌である。
 そうだな、と返してからダニエルはこの一週間ほどで得た情報を共有する。
「刑務所内の都市人と混血は分けて収監されてて、都市人のいるエリアは刑務官の数も少ないし、警備はさして厳重じゃない」
「こないだ入手した設計データによると、この刑務所はエネルギー変換装置を使って区域ごとにエネルギー量をコントロール出来るようになってんだよ。都市人の場合、何か起こってもその区域のエネルギー値を上げれば大人しくさせられるし、保護スーツなしじゃエネルギー値の高いエリアに移動することも出来ねえ。管理が簡単なんだろ」
 カオス世界にある刑務所には通常、大型のエネルギー変換装置が設置され、刑務所内のエネルギー値は低く抑えられている。受刑者の殆どは都市人であるから、保護スーツなしで収監すれば簡単にはエネルギー値の高い敷地外へ出て行けない。このことが脱獄防止策の一つになっているのである。
 クラウストラム刑務所では更に細かなエネルギーコントロールを行うことで刑務所内の安全管理を行っているのだろう。
「一週間ずっと観察してたが、ジェラルド・ベラミーが入れられてる独居房の警備も都市人の収監されてるエリアと似たようなものだ」
「ジェラルド・ベラミーは混血らしいぜ。だけど、どうやらその情報は刑務所側に伝わってない。というより、ジェラルド・ベラミーの素性を調べてもはっきりした過去が出て来ねえ。それはともかく、そいつの警備が緩いのは俺たちにとっては都合のいい状況だな」
「ああ、そうだな。それで、脱獄のプランは立ったのか」
 おおよそな、とテオは頷いた。
「この刑務所に設置されてるエネルギー変換装置は完全に独立したシステムで、外部から操作できないようになってんだ。ただし、契約を結んだ外部の会社が定期的に点検を行ってる。運の良いことに数日後に定期点検の予定があったから、点検メンバーに情報技術部の人間を潜り込ませることにした。制御システムにウイルスを仕込んでおいて、決行時にエネルギー変換装置に誤作動を起こさせる。刑務所内のエネルギー分布を狂わせれば、通常通りの警備を行えなくなって軽い混乱が起こるだろ。誤作動の原因究明や復旧に人手を取られるだろうし、都市人のいるエリアのエネルギー値が高くなれば体調不良者も出て対応に追われる。独居房周囲のエネルギー値をそのままにしておけば、その辺りの警備は手薄になるはずだ」
 でも、そっちは陽動だ、とテオは続けた。
「その裏で、防御システムに供給するエネルギー量をこっそり減らす。電力供給が減ると、電力消費を抑制するために自動的に重要度の低い防御システムが手薄になるように設定されてるんだよ。最初に防御レベルが落とされるのは空だ」
 テオが右手の人差し指を立ててみせる。
「供給されるエネルギーが減ると、まず刑務所の上空側の防護バリアに間隙ができる。刑務所上空の空域は飛行禁止になってて、航空監視システムが作動してるから、通常ならそれでもセキュリティ上の問題はない」
 テオの指が真っ直ぐ天井を差しているのを見て、ダニエルは計画の序盤の概要を理解した。
「高高度から刑務所に降りるつもりか」
「航空監視システムがカバーする高度より上から降りれば、見つかる危険はほぼない。高高度から降りて防護バリアの穴を通り抜けるのは、遠くから投げ落とした糸を針穴に通すようなもんだ。刑務所の奴らは上からの侵入をまず想定してない。俺たちみたいなプロが外から侵入するとは考えてもないだろうからな」
「で、決行時の俺の役割は。俺は何をすれば良い」
「エネルギー変換装置にウイルスを仕込む時、一緒に近距離用の受信装置を設置する予定だ。これを使ってウイルスを起動させて、外部から操作する。刑務所の外から信号を送ると防御センサーに引っ掛かる危険があるが、刑務所内からなら気付かれる可能性は低い」
「俺が中からエネルギー変換装置を操作するんだな。他には」
「色々あるぜ。俺たちと一緒に空を飛んだ方が楽だったのにな、可哀想に」
 テオがにやりと嗤って言った。ダニエルも釣られて笑う。どこか斜に構えたふざけた口調を崩さぬ盟友のこういうところを、ダニエルは気に入っている。
 それから二人は身を寄せ合ったまま、低い声で打ち合わせを続けた。二時間ほど経過したところで、テオはダニエルから身を離し、
「そろそろ準備しようぜ」
 と言って立ち上がった。アリシアはニコラスの妻として特別面会に訪れたのである。いかにもただ話し合っていただけという様相では、戻ってきた刑務官に怪しまれかねない。
「取り敢えず、俺はシャワーを浴びてくる。お前は部屋を整えとけ」
 テオはバッグから口紅を取り出してダニエルに渡すと、洗面所へ入っていった。
 ダニエルは寝台から立ち上がって、シーツやブランケットをそれらしくぐちゃぐちゃにする。渡された口紅をかちゃかちゃと回し、中から小型のスプレーを取り出す。シーツに向けてスプレーを噴霧すると、むわっとした匂いが部屋中を包んだ。少しやり過ぎかと考え、壁に設置されたボタンを押して天井近くにある金属格子の嵌まった小さな窓を開ける。
 そこへシャワーを終えたテオが戻ってきて、揶揄うように言った。
「そこを気にするところがお前だよなあ。良いんだよ、いかにもやってましたって体にしておけば。刑務官だって俺たちが三時間みっちり愉しんでたって思ってんだからよ。怪しまれるより信じさせといた方が良いんだって」
「まあ、それはそうだが」
 ダニエルは少年のような魅力を持つ女性姿のテオにちらりと目を遣った。テオは男性体と女性体を行き来することの出来る、特異な体質の先住民である。普段は男性体で過ごすことの方が多く、ダニエルとの友情も主に男性の姿で築いてきた。女性姿のテオが、男にそういうことをされたと他者に見なされることを想像し、ダニエルは友人に対して申し訳ない気分を抱かずにはいられなかった。
「ほら、刑務官が来たとき名残り惜しそうにしてねえと、怪しまれるだろ」
 ダニエルの内心など気にした風もなく、テオはダニエルの手を乱暴に引き寄せて再び寝台に腰掛けた。
 暫く経って外から鍵を開ける音がし、刑務官が中へ入って来る。
「時間だぞ」
「ニコラス、またね。愛してるわ」
 テオは一度ダニエルの身体をぎゅっと抱き締めると、刑務官と一緒に部屋を出て行った。ダニエルは友人のすらりとした後ろ姿を見送り、少ししてから収監エリアへ戻った。
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