第四節 6

文字数 2,844文字

 むろん、エドガルドは暗視スコープなど着けていない。それにも拘わらず、暗闇の中を目が見えているかのように迷いなく走り続けた。狭い隧道を抜けて開けた空間に出たところで、エドガルドは足を止めた。小さな広場のような空間で、壁には今通ってきたものを含めて五つの隧道(ずいどう)が口を開けている。
 慎重に広場の中央まで進み、辺りの様子を窺ったエドガルドが緊張した声を出す。
「イーサン、外に出る最短の経路を教えてくれ」
「あの穴が外に出るのに最も近い」
「あとは力技で行くしかない」
 硬い声で宣言したきり、エドガルドが動かなくなってしまったので、イーサンは訝しんで声を掛ける。
「行くんじゃないのか」
「既に囲まれている。狭い所で野獣に挟み撃ちにされたくない。大きなカオスの力を使ったら、お前たちにまで怪我をさせてしまう危険がある」
 エドガルドは隙のない様子でその場に立ち、前方をじっと見つめている。自分の身の心配は一切していない。ただイーサンとユーニスが危険に晒されることを心配しているのだと、イーサンには分かる。
「来るぞ。イーサン、シールドの出力を最大にして彼女と一緒に俺の後ろにいろ」
 イーサンは言われたとおりシールドの出力を上げ、ユーニスの身体を引き寄せてエドガルドの背後に回った。
「ひっ」
 イーサンの背中に庇われたユーニスが甲高い声を上げる。
 通路の一つから飛び出してきた黒い塊を、イーサンの特殊スコープはエネルギーの塊として捉えた。続けて、別の通路からもエネルギーの塊が現れた。一頭、また一頭と全ての通路から次々に野獣が姿を現し、それほど広くない空間はあっという間に野獣の群れで溢れかえる。大型犬くらいの大きさの個体もいれば、馬か牛ほどの大きさの個体もいる。短毛のもの、長毛のもの、角のある個体、角のない個体、身体的特徴はまばらである。いずれの個体にも共通しているのは、漆黒の毛に覆われていること、そして双眸に凶暴な狂気の光を宿している点だ。
 群れは三人を取り囲み、獰猛な唸り声を上げながらじわじわと距離を詰めてくる。ユーニスは怯えきった様子でイーサンの服を握り締めた。イーサンは緊張していたものの、恐怖は感じていなかった。そのくらい、エドガルドに全幅の信頼を置いていた。
 エドガルドが頭上で大きくエスプランドル仗を振り回し始める。特殊スコープを通したイーサンの視界の中、莫大なエネルギーがエドガルドの頭上に集まってくる。エドガルドがエスプランドル仗を大きく薙ぎ払い、凝集したエネルギーを放射状に解き放つ。
 イーサンは両腕でユーニスを抱き込み、全身で覆い被さるようにして庇った。防護シールドを最大出力に設定しているにも拘わらず、イーサンの身体を強い衝撃が襲う。
 特殊スコープが映し出す世界は、極彩色の(きら)めきだった。エネルギーの爆発が赤、橙、黄のうねりとなって青、緑と絡み合い、襲い掛かる。イーサンは嘗て、磁気嵐に身を晒した時のことを思い出す。あの時と同じように、恐怖よりも畏敬の念を覚えた。そして、混沌エネルギーの(ほとぼし)りを美しいと感じた。
 凄まじいエネルギーが辺り一帯を覆い、瞬く間に野獣の肉体は干からびていく。エネルギーの塊は五つの隧道にも襲い掛かり、吸い込まれていった。
 がたがたという震動と共にエネルギーが去って行き、後にはしわぶき一つ立たぬ静けさと、無数の野獣の屍だけが残された。
 エドガルドが抑揚のない口調で静寂を破る。
「野獣はまたすぐに集まってくる。今のうちに急いで移動するぞ」
 返事も待たず、エドガルドは先ほどイーサンから教えられた隧道へ向かう。腰が抜けているユーニスの手を引き、イーサンもエドガルドの後に続く。
 洞窟一面を埋め尽くす野獣の死骸を踏み越えて三人は進んだ。原形を留めぬ炭化したような屍骸は、踏みしめると乾いた木が折れる時に似た音を立てた。通路の中に入っても、ぴしり、ぴしりという音は続き、いったい何頭の野獣の命を奪ったのだろうとイーサンは考えた。
 後は同じことの繰り返しである。数頭の野獣に遭遇した際にはエドガルドかイーサンが個別にこれを(たお)す。野獣の群れに囲まれた時はエドガルドがエスプランドル仗で野獣を一掃する。いくら相手が凶暴な獣とはいえ、殺戮に次ぐ殺戮にイーサンは辟易とした。エドガルドが血肉が飛び散らぬように野獣を殺してくれるのだけが救いだった。
「もう少しだ」
 スコープに映し出される立体地図を見ながら、イーサンがユーニスを励ます。岩肌に囲まれた昏く狭い径の向こうに、微かに光が差している。洞窟の終わりが近づいていた。野獣の群れの気配が背後に迫り、三人は光を目指して必死に走った。
 ようやく出口に辿り着き、森へと抜ける。鬱蒼と茂る樹木に遮られてはいるものの、まだ日は高く、辺りには明るい陽差しが降り注いでいる。
 安堵のあまり思わず足を止めようとしたイーサンとユーニスに、エドガルドが厳しく言い放つ。
「まだ走れ。フィゴの匂いを振りまいている限り、野獣はどこまでも追ってくるぞ」
 ユーニスは走り出そうとしたものの、足をもつれさせて地面に崩折れた。半年に渡り監禁されていた身体は、筋力も体力も著しく低下している。走り続けるにも、もはや限界だった。イーサンがユーニスの身体を抱え上げ、肩に担いで走り出す。
 エドガルドはイーサンの隣を走りながら考えを巡らせた。森の中で人間が野獣より速く、しかも長く走り続けるのは不可能である。その上、イーサンは成人女性を肩に担いで走っているのだ。すぐに野獣の群れに追いつかれるだろう。
 懸念した通り、エドガルドは少しも行かぬうちに野獣と思われる多数のエネルギー体が迫ってくるのを感じた。森の中では、野獣たちは背後から襲い掛かるような単純な真似はしなかった。
 右手の木々の隙間から、一頭の野獣が唸り声を上げながら凄まじい跳躍力で躍りかかってきた。エドガルドは疾風の如く動き、エスプランドル仗を閃かせる。野獣の身体は真二つに裂けて地面に叩き落とされた。
 反対側の木々の間から飛び出してきた野獣を、今度はイーサンがエナジー銃で撃ち落とす。
 この間も、二人は足を止めることなく走り続けた。
「両側に並ばれた」
 エドガルドが短くイーサンに告げる。左右の木々の向こうを何頭もの野獣が伴走している気配があった。
 自分が足止めしている間に二人を先に行かせようかと考えていたとき、進行方向の混沌エネルギーが周囲とは異なる動きを見せているのにエドガルドは気づいた。地面から微かに一筋のエネルギーが湧き上がり、それに巻き込まれるように辺りのエネルギーがうねっている。
 エドガルドはエスプランドル仗を振りかざしながら全力で疾走し、エネルギーの湧き上がる地面に突き立てた。大地が割れ、人がひとり通れるほどの穴が穿たれる。
「飛び込め」
 エドガルドが大声で叫び、肩にユーニスを担いだままのイーサンが穴の中へ飛び込む。エドガルドも直ぐさま後に続く。三人はそのまま地中へと転がり落ちた。
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