第四節 5

文字数 2,294文字

 入ってきた時と同様に、エドガルドとイーサンが二人掛かりで格子戸を持ち上げる。下の隙間をユーニスが潜り抜けた時、イーサンの耳が小さな電子音を捉えた。はっと身構えた時には遅く、破裂音に続いて天井から何かの液体が三人の上に降り注いできた。イーサンとユーニスが身体の周りに張っているプラズマシールドはエネルギー波や衝撃などから身を守るためもので、液体の透過を阻むものではない。イーサンは毒物や酸のようなものかと思いぎょっとしたが、液体の付着した肌には何の変化も起こらなかった。仄かに青臭い植物めいた匂いがするだけで、特に人体に害のあるものではなさそうだ。
 煙に巻かれたような気分に陥りイーサンが眉を顰めたとき、エドガルドが鋭く声を発した。
「急いで外に出るぞ。イーサン、脱出路に誘導してくれ」
「エドガルド、どうしたんだ」
「これはフィゴの汁だ。フィゴの匂いは一度つくと簡単には落ちない。野獣が集まってくるぞ」
 イーサンが舌打ちをする。入る時には何も起こらなかった。中にいる人間が外へ出る時だけセンサーが起動するようになっていたのだろう。つまり、囚人が逃げ出せば必ず命を落とすように仕掛けを仕込んでおいた訳である。
 エドガルドが先導し、イーサンが最後尾を守る形で三人は洞窟の中を進んだ。
「そこを右に入れ」
「直進して突き当たりを左だ」
 特殊スコープに映し出される立体地図を見ながら、イーサンが次々と指示を出す。足下も覚束ぬ昏い洞窟の中、ただでさえ半年に渡る監禁で筋力の落ちているユーニスは全くスピードが出ない。エドガルドの身体に刻まれた五箇所の刺青(しせい)は、じわじわと自分たちを取り囲むように集まってくる野獣たちの気配をはっきりと感じ取っていた。
 狭い通路で、遂にエドガルドは三頭の野獣と対峙した。黒い短毛に覆われた、狼の成獣くらいの大きさの獣である。
 獰猛な唸り声を上げながら、三頭の獣が一斉に飛び掛かってきた。イーサンの背後に庇われたユーニスが、細い悲鳴を上げる。
「きゃあっ」
「彼女を任せたぞ、イーサン」
 言うや否やエドガルドは疾風の如く突進し、エネルギーを蓄えたエスプランドル仗で襲い掛かる野獣の身体を次々と薙ぎ払った。真二つに切断された野獣の身体が地面に落ち、一つがイーサンの足下まで転がって来る。切断面は灼き切られたように固まり、血肉は一滴も零れていない。
 想像以上に凄惨な戦い方に、イーサンは思わず息を呑んだ。これまでエドガルドがエスプランドル仗に蓄えたエネルギーを放出させて戦うのは見てきていたが、このように相手の肉体へ直接的なダメージを与えるのは初めて見た。
 表情ひとつ変えずにエドガルドが促す。
「どっちに進めば良い、イーサン」
「真っ直ぐ行け」
「他の道はないか。野獣の数が多すぎる」
 イーサンは急いで新たなルートを検出し、答える。
「そこの細い小径に入れ」
 エドガルドは頷き、イーサンの示した通路に足早に入って行った。道幅が狭く、三人は縦に並んで進むことしか出来ない。
「イーサン、後ろから野獣が追ってくる。撃てるか」
「撃てなくても、撃つ」
 イーサンは足を止めて振り返り、特殊スコープ越しに後方の通路を確認した。いつもの如く、法則のない混沌エネルギーが揺らいでいるだけだ。エネルギー値は高まっており、野獣が近づいている徴なのかもしれないが、姿を捉えることは出来なかった。
 細い一本道で幸いした、と考えながらイーサンは高エネルギーでエナジー銃を射出する。うまくいったのかは分からなかったが、その後エドガルドが黙々と前進し続けていることから判断して、取り敢えず野獣の足を止めることには成功したようだ。
 イーサンはふと気になって前を行くユーニスの様子を窺った。怯えているのではと心配したが、意外にもユーニスは気丈な様子で、強い眼差しで真っ直ぐに正面を見据えて歩いている。
 百メートルほど行くと、少し開けた空間に辿り着いた。
「あっちだ」
 壁に空いた複数の隧道のうちの一つをイーサンが指し示した時、別の隧道の入り口から黒い影が飛び出してきた。イーサンは反射的にエナジー銃を構えたが、
「待て、撃つな」
 というエドガルドの制止を聞いて、動きを止めた。
 そこに居たのは、一頭の漆黒の仔馬だった。
 仔馬といっても、通常の仔馬ではない。長い鼻面や(たてがみ)、体つきから馬の亜種だろうと推測されるだけで、イーサンの知る馬とは明らかに見た目が異なる。他の馬種の幼獣より身体が大きく、加えて、特殊スコープは仔馬の身体に高いエネルギーが蓄えられていることを示していた。
「エドガルド」
「野獣じゃない」
 どうして分かると問い質そうとして、イーサンは仔馬の瞳に高い知性が宿っていることに気付いた。仔馬は少しの間じっとエドガルドを見つめていたが、何かを察したようにさっと首を(もた)げると、小さく嘶いて走り去っていった。
 次の瞬間、二つの隧道から幾つもの黒い塊が飛び出してきた。エドガルドが目にも留まらぬ早業で躍り出、エスプランドル仗で薙ぎ払う。そのうちの何頭かにはエスプランドル仗を突き立て、身体を深々と刺し貫いた。
「走れ。行け」
 エドガルドが大声で叫んだのを合図に、イーサンはユーニスの手を引いて先ほど自分が指し示した隧道に飛び込む。行く手は昏い上に狭く、暗視機能を用いても見透すことが出来ない。イーサンは進行方向へ向かって盲目的にエナジー銃を撃ち込みながら走った。途中、足下に転がる野獣の死骸に足を取られそうになったところで後方からエドガルドがイーサンとユーニスを追い越し、先頭に立った。ただそれだけのことでイーサンは安堵することが出来た。
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