第四節 10

文字数 1,161文字

 洞窟内の秘密の通路を通ってユーニスの許へ食事を運びに行ったノエミは、いつもは格子戸の脇に置かれている空の食器がないことに気付き、異変を察した。懐から鍵を取り出して格子戸を開け、小型の爆撃球を構えてゆっくり中へ入る。
 ノエミはまず、もう一箇所の格子戸の方へ目を遣った。ここが開放されていれば、野獣が入ってくる危険がある。格子戸が閉まっているのを確認し、ほっと安堵の息を吐く。しかしすぐに、地面に壊れた錠が転がっているのが目に入り、ノエミはきつく眉根を寄せた。格子戸の傍まで寄ると、天井に仕込んでおいたフィゴの汁を入れた容器が開放され、中が空になっている。ノエミは辺りを隈なく捜索したが、ユーニスの姿は何処にもない。
 胃の辺りがきゅっと引き絞られる感じを覚え、ノエミは夕食を載せた盆を取り落として元来た通路へ駆け出した。息急ききって洞窟内の小部屋に戻ると、机に腰掛けていたカルロスが何事かと椅子から立ち上がった。ノエミが部屋を出たとき部屋にはホセも居たが、今はカルロス一人きりである。そのことに深い安堵を覚えながら、ノエミは低い声で告げる。
「カルロス、彼女が消えたわ」
「なんだって」
「格子戸は閉まってたけど、錠が壊されてた。天井に仕掛けておいたフィゴの汁が入った容器も空になってた。あの格子戸から外へ逃げたのよ」
「馬鹿な女だ。外は野獣の巣窟だっていうのに」
 カルロスが吐き捨てるように言う。
「そういう問題じゃないでしょう。どうするの。ホセに何て報告するの」
 ちっと忌々しげに舌打ちし、暫く考えてからホセは答えた。
「ホセには黙っておけ」
「黙っておいても、いつかはばれるわよ」
「ホセはあの女のことは俺たちに押し付けたきり、様子を見に行く素振りもない。いつも通り世話をしてる振りを続ければ、気付かれないさ」
 ノエミは押し黙る。カルロスの言うことは尤もだった。ホセが利用価値のある間だけ彼女がここに居れば良いと考えているのは明らかだった。生かしておいたのも、何か起こった時のための保険だろう。用がなくなれば殺すつもりでいるかも知れなかった。
「どうせ洞窟からは出られん。野獣の餌食になったに決まってる。少なくとも今すぐホセに言う必要はない」
「分かったわ」
 嫌な気分を味わいながら、ノエミは頷く。カルロスは、最後には彼女を殺すよう命じられると予想しているのだろう。その時まで黙っておけば、結果は同じだと考えているのだ。
 少し前まで、ノエミたちの敵は理不尽な支配を強いてくる第二ドームの行政府であり、ラハーダ自治区を喰い物にする差別主義者の都市人であった。自分たちが求めてきたラハーダの自由、独立というものは、何の力も抵抗の手立ても持たぬ女性の命を一方的に奪うことでしか得られぬものなのだろうか。
 ノエミは答えを見出すことが出来なかった。
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