第四節 9

文字数 2,579文字

 食事を終え、各々自分の部屋へ戻っていったが、イーサンとユーニスは散髪を済ませようということになり、二人だけで食堂に残った。ユーニスを椅子に座らせ、背後に立ったイーサンがユーニスの髪に鋏を入れる。
「悪いが、切り揃えるくらいしか出来んぞ」
「構わないわ。元々は顎くらいの長さだったの。そのくらいに揃えて」
 イーサンは左右の髪の長さが極端に違ってしまわないよう気を付けながら、顎の辺りで器用にユーニスの髪を切り揃えていく。
「上手ね。妹さんの髪をずいぶん切ってあげたんじゃない」
「昔から、大体のことは見ればすぐに真似できる。妹はそれを知ってたから、甘えて俺に髪を切らせたがった」
「そんなに懐かれたら可愛かったでしょうね。今も仲が良いの」
 イーサンは一瞬、沈黙し、短く答えた。
「だいぶ前に死んだ」
「ごめんなさい」
 気まずい沈黙が流れ、イーサンは話題を替える。
「あんたを救出したことを連盟に報告した。これで、近いうちにジェラルド・ベラミーをクラウストラム刑務所から脱出させる作戦が実行される」
「私の救出とジェラルドの脱出に何の関係あるの」
「ジェラルド・ベラミ―はあんたが救出されるまで、正確にはあんたが救出されたことをアントニアが確認するまでは、刑務所を出ないと主張していた。自分が先に脱獄すれば、あんたの身に危険が及ぶかもしれないと懸念していたらしい。どうやら彼の中では、あんたの無事が何に於いても優先されるようだな」
「別に、愛情からじゃないわ」
 ユーニスは硬い声で返した。
「夫は私のことを愛してない。父に命令されて私と結婚しただけ。私も自分の環境から抜け出したかったからジェラルドと結婚しただけよ」
「あんたの夫はあんたのためにカオス世界の刑務所に勾留され、利益もないのに〈ラハーダの自由〉への武器供与を続けた。どうでも良いとは思っていないはずだ」
「結婚するときに約束したの。私自身と私の自由を守ってくれれば、ベラミー貿易も財産も何もかもジェラルドにあげるって。夫はその約束を守ってるのよ」
 苛々したようにユーニスが続ける。
「アントニアは両性具有で、ジェラルドの愛人よ。私たちが結婚する前からの関係だし、仕事の上でもジェラルドの右腕で、公私共に真のパートナーってところね。アントニアの他にも、ジェラルドはカオス世界に両性具有の愛人を何人か囲ってる。分かってもらえるかしら、ジェラルドは両性具有が好きなの。女性は好きじゃないのよ」
 都市人の中に両性具有を嗜好する金持ちがいることは、イーサンもよく承知している。だが、これまで話に聞いてきたジェラルド・ベラミーの人物像は、イーサンの知る両性具有趣味の都市人とは印象が異なる。両性具有を嗜好する金持ちは、彼らを愛玩物や奴隷のように扱うことが多い。アントニアがジェラルド・ベラミーへ向ける忠誠心は、そういった関係から生まれるものには見えない。
 何より、ジェラルド・ベラミーはベラミー貿易の正当な所有者である。ユーニスがいなくとも、今さら立場を脅かされることはないだろう。それにも拘わらず、ユーニスの無事を何よりも優先して行動している。妻への愛情がないとは、イーサンには思えなかった。
 だが、夫婦のことは他人には分からない。イーサンは余計なことは言わず、床に落ちた髪を適当に片付けてから、
「もう遅い。寝た方が良い」
 と優しくユーニスに声を掛けた。気丈に振る舞っているものの、数ヶ月に渡り独りきりで洞窟の中に監禁されていたのである。神経が昂ぶっているのは間違いない。今のユーニスに必要なのは休息だ。
 部屋の前まで送り届けると、ユーニスは足を止めて振り返り、
「あの、妹さんのこと、本当に残念だわ」
 おやすみなさい、と小さく呟いて部屋の中へ入って行った。
 イーサンは自分に宛がわれた部屋に戻り、寝台に身体を投げ出して大きな溜め息を吐いた。ユーニス、アントニア、そして会ったこともないジェラルドの面影が、頭の中に浮かんでは消えていく。そのうちにユーニスの(はしばみ)色の瞳がエドガルドのものに置き換わり、イーサンの頭の中はエドガルドで一杯になる。イーサンは暫くじっと天井を眺めたあと、おもむろに起き上がって隣のエドガルドの部屋へ向かった。
 扉を叩くと中から返事があったので、イーサンは部屋の中へ入った。エドガルドは寝台の上で身を起こし、ヘッドボードに(もた)れてイーサンを迎えた。
「邪魔して悪いな」
「まだ寝ていなかったから、大丈夫だ。どうした、何かあったのか」
 イーサンは寝台の縁に腰掛け、エドガルドと向かい合う。
「いや、ばたばたして、お前とゆっくり話す暇がなかったから、顔を見たくなった」
「さっきまで一緒にいたのに、おかしな奴だ」
 そう言いながらもエドガルドは嬉しそうだ。イーサンは左手を伸ばし、エドガルドの頬を指の背で優しく撫ぜる。
「今日は疲れただろう。睡眠の邪魔をしておいて、俺が言うのも何だが」
「別に、いつもどおりだ」
 エドガルドは小首を傾げ、イーサンが口にしない本音を読み取ろうと、黒色の双眸をじっと覗き込んだ。
「洞窟での出来事は少し凄惨だったから、お前の方が疲れたんじゃないのか」
 半分だけ図星を突かれ、イーサンは苦笑する。その凄惨な出来事を、イーサンは殆ど担っていない。エドガルドだけが引き受け、おかげでイーサンとユーニスは野獣に殺されずに済んだのである。
「俺は、いつもお前にばかり色んなことを背負わせているな」
「何を言ってる」
 驚いて目を見開くエドガルドを、イーサンはそっと引き寄せて抱き締めた。腕の中のエドガルドは戸惑っているようではあるが、嫌がっている気配はない。
「ゆっくり休め」
 邪魔して悪かった、と告げて立ち上がろうとするイーサンを、エドガルドが引き留める。
「イーサン。俺が眠るまで、ここに居てくれないか。お前が傍に居ると安心する」
 内心では意外に感じたが、イーサンは表に出さず、ただ優しく頷いてみせる。
「ああ、勿論だ」
 寝台に横たわるエドガルドの頭を、イーサンは何度も撫でた。癖のない髪がするすると指の間を滑り、心地良い。やがて寝息が聞こえ始め、エドガルドが寝付いたのが伝わってきた。手を離して覗き込むと、エドガルドは穏やかな表情を浮かべて眠っている。
 エドガルドの額にそっと唇を落としてから、イーサンは静かに部屋を後にした。
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