第四節 8

文字数 3,625文字

 そのエドガルドは、森を出てすぐの場所にある猟師の家にいた。森でユーニスを探索しているあいだ、馬の世話を頼んでおいたのだ。猟師に少々の金を渡して葦毛(あしげ)青鹿毛(あおかげ)の二頭の馬を引き取り、森へ取って返す。
 先ほど地下へ潜った地点に戻る途中、背後からエネルギーの波動を感じ、エドガルドは馬の足を止めて首を(めぐ)らした。
 茂みが揺れ、青毛の仔馬が姿を現す。仔馬はその場に佇み、じっとエドガルドを見つめていた。
 エドガルドは軽く目を瞠って仔馬を観察する。
「お前、さっきの仔馬か」
 仔馬は、先ほど洞窟の中で遭遇した個体だった。落ち着いた賢そうな瞳をしており、野獣には見えないが、通常の馬より遥かに強い混沌エネルギーを体内に蓄えている。
「そうか。お前、野獣の親から生まれたんだな」
 繁殖を繰り返す中で、野獣は稀に生物として安定した個体を生み出すことがある。こういう個体が、この惑星での種の進化に大きく関わってきたという説は有力である。
「俺がお前の親を殺してしまったのか。群れも失って、それで独りで外に出てきたのか。すまなかった」
 エドガルドは馬を降り、仔馬から発せられるエネルギーに自分の波動を同調させながら、ゆっくり近づいて行く。仔馬はぶるぶると喉を鳴らし、怯えた様子もなく立ち尽くしている。エドガルドは右手を伸ばし、そっと仔馬の首元から胴のあたりに触れた。強いエネルギーの波動と、張り詰めた筋肉の感触が伝わってくる。
「元々、お前は野獣の群れの中では生きていけない個体だ。いつかは洞窟を出て行かなければならなかっただろう。俺と一緒に来るか」
 (たてがみ)から首元あたりを優しく撫でながら、エドガルドが問い掛ける。高い知性の宿った黒い双眸が、肯定の意を伝えるようにエドガルドを見据えた。
 エドガルドは小さく笑い、再び葦毛の馬に跨った。馬を進め始めると、仔馬は二頭の馬の後から大人しくついて来る。
 馬たちを地上に待たせ、エドガルドは地下からイーサンとユーニスを連れて戻った。エドガルドが地面に開けた穴から地上に出てきたイーサンは、葦毛と青鹿毛の馬の隣に漆黒の仔馬が佇んでいるのを見て目を丸くする。
「その仔馬はさっき洞窟で遭った奴か。どうしてここに居る」
「森で拾った。連れて返る」
「拾ったって」
 少々呆れた目でエドガルドを一瞥したものの、イーサンはそれ以上なにも言わなかった。ユーニスを抱き上げて青鹿毛の背に乗せ、続けて自分も馬に跨がる。
 緯度の高いラハーダ自治区は日が短く、すぐに夕闇が迫ってくる。なるべく人目に付かぬ道を選んで進み、三人が分院に戻った頃には辺りは薄らと昏くなり始めていた。
 連れ帰った仔馬と共に馬たちを厩で休ませ、エドガルド、イーサン、ユーニスが分院の建物に入ると、連絡を受けたマヌエルが玄関ホールで待ち構えていた。
「お帰りなさい」
 人の好い笑みを浮かべて三人を迎えるマヌエルの背後に見覚えのある黒髪の人物が立っているのに気付き、ユーニスが驚きの声を上げる。
「アントニア。どうしてあなたがここに」
「久しぶり、ユーニス。無事で良かった」
「ジェラルドに命令されて来たの」
 アントニアが演技とは思えぬ安堵の表情を浮かべているのに対し、ユーニスは眉を(ひそ)めあからさまな警戒心を示した。不穏な空気を察したマヌエルが、いつもの柔和な口調で二人の会話に割って入る。
「さあさあ、こんな所で立ち話なんかしてないで、二階に上がりましょう。まずは皆さんお風呂に入って、次は夕食です。話はそれからです」
 全員、マヌエルの言葉に従って階段を上る。アントニアはエドガルドやイーサンとは離れた階段近くの部屋を宛がわれているようで、中へ入って行く。マヌエルは二人の部屋を挟んで反対側、食堂寄りの部屋をユーニスに勧めた。
「こちらの部屋を使って下さい。必要なものは揃えたつもりですが、何か足りないものがあったら遠慮なく仰って下さいね」
「ありがとう」
 各々自分に宛がわれた部屋に入り、風呂を済ませると夕食の時間になった。アントニアはともかく、他の三人は食事を摂るより睡眠を取りたい気持ちもあったが、食堂に用意されている食事を見て俄かに食欲が湧いた。
 夕食はじゃがいもとトマト、挽き肉、卵の重ね焼きだった。これに、たっぷりの野菜が入ったスープと、マヌエル特製のライ小麦パンが添えられる。長い監禁生活を送ってきたユーニス、そして森で野営中は携帯食続きだったエドガルドとイーサンの体調を、マヌエルなりに気遣った献立である。
「温かい、美味しいわ」
「先に休みたいかとも思いましたが、お腹が満たされた方がよく眠れるでしょう」
「そうね、ありがとう」
 マヌエルの心配りに感謝しながら、三人は黙々と食事を摂る。腹が膨れたところでアントニアが口を開いた。
「明日になったら僕たちは出発するよ。ユーニスを安全な場所へ移動させたい」
「何故あなたが私のことを決めるの、アントニア」
「ジェラルドから君のことを任されている。カオス世界で仕事をする時はジェラルドのルールに従う約束のはずだ」
「私が約束を結んだのはジェラルドであって、あなたじゃないわ」
 険悪な雰囲気の二人を見かねたように、イーサンが割って入る。
「彼女の身の振り方を決めるのは連盟だ。ジェラルド・ベラミーの脱獄が成功して〈ラハーダの自由〉への武器の供与が止まったことを確認できるまでは、彼女は俺たちの許に居てもらう」
「ユーニスを監禁していた奴らのいる国に置いておける訳ないだろう。彼女の身に何かあったら、ジェラルドは絶対にあんたたちに協力なんかしないぞ」
 これまで余裕ぶった態度を一切崩してこなかったアントニアが、感情的に言い返す。イーサンは落ち着いて反駁した。
「安全な場所と言うが、そこは本当に安全なのか。彼女はこの広いカオス世界の中で居場所を特定され、拉致された。逃げ出したことに気付かれたら、相手はまずベラミー貿易の周辺を探るだろう。もういちど見つけ出されることはないと断言できるのか」
「それは」
 尤もな指摘を受けて言葉を詰まらせたアントニアを、今度はエドガルドが淡々と諭す。
「彼らは彼女が野獣に襲われて死んだと思い込んでいる。おそらく、本気で探し回られることはない。それに、彼女が万が一生き延びたとしても、ラハーダ自治区に留まるとは想像もしないはずだ。イーサンの言うとおり、彼女を追うならここ以外の場所を探すだろう」
「ここに留まり続けて、監禁してた奴らにユーニスの姿を見られたら、どうするんだ」
 エドガルドは冷静にユーニスに問うた。
「洞窟にいる間、何人くらいの人間と会った」
「一人も。目が覚めてからは、ずっと一人きりだった。食事を運んでくる人間はいたけど、顔は見てないわ」
「食事を運んでくる人物に顔を見られたか」
「さあ。はっきりは分からないけど、暗かったし、向こうが食事を差し入れてるあいだ私は近寄らないようにしてたから、顔は見えなかったんじゃないかしら」
 少しのあいだ考えてから、エドガルドが再び口を開く。
「彼女を拉致したのは〈ラハーダの自由〉じゃない。彼らはただ洞窟内に彼女を閉じ込めておいただけだ。たぶん、顔すらはっきり知らないだろう。ラハーダ自治区にユーニス・ベラミーの顔を知る者がいたとしても、おそらくほんの少数だ」
 エドガルドはユーニスを観察しながら続けた。
「彼女は保護スーツを着ていないし、見ただけでは都市人とばれない。手首と足首に染料で紋様を描いて、学師のふりをすれば良い」
「それは良い案ですね。私、手先は器用な方なんです。前の分院では刺青を彫る担当の一人でしたよ。水で落ちない染料を買ってきて、明日にでも彼女に紋様を描きましょう」
 エドガルドの提案を聞いたマヌエルが、横から勢い込んで口を挟んでくる。エドガルドは頷き、手先が器用なら髪を切るのも得意かと、マヌエルに尋ねた。
「人の髪を切ったことはありませんね」
「彼女の髪を整えてやって欲しいんだが、俺もそういうことは得意じゃない」
 イーサンはユーニスを眺め、エドガルドが何を気にしているのか理解する。綺麗に洗われ(くしけず)られているものの、長い監禁生活の間に伸び放題となったユーニスの髪は傷み、見る者にどこか荒んだ印象を与える。
「俺がやろう。子供の頃に妹の髪を切って遊んだことがある」
 自分以外の全員の間ですっかり話がまとまってしまったのを悟り、アントニアは憮然とした表情を浮かべた。イーサンは不服そうなアントニアの様子を気にも留めず、事務的に伝えた。
「ユーニスは暫くラハーダ自治区で俺たちが保護する。ジェラルド・ベラミーに説明しておいてくれ」
「刑務所に潜入してる連盟の人間が、ジェラルドに通信機を渡してる。ユーニスが自分で無事を伝えた方が、ジェラルドも喜ぶ」
 アントニアは諦めたように溜め息を吐き、ユーニスの方を見つめながら答えた。ユーニスは複雑な表情を浮かべ、
「今日は疲れてるから、明日にしたい」
 と答えた。
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