第一節 3

文字数 3,190文字

 エドガルドが風呂を終えて食堂へ向かうと、既にイーサンとマヌエルは席について待っていた。食堂も他の場所と同じく無機的な造りだったが、天然木素材の食卓や椅子が置かれ、有機的な雰囲気に仕立ててある。部屋の一角には大きな鉢に植えられた植物も据えられていた。
「学師エドガルド、ちょうど良かった。たったいま昼食の準備が終わったところですよ」
 マヌエルがにこにこと笑いながら、エドガルドに席に着くよう促す。マヌエルが用意してくれた昼餉は、潰したじゃがいもと穀物の粉を練った生地で肉と野菜を包み込み、かりかりに焼き上げた饅頭だった。焼きたてらしく、きつね色の焦げ目が付いた饅頭からは湯気が上っている。
「熱々が美味しいんです。ともかく食べましょう。話はそれからで」
 マヌエルは皿の脇に置かれた紙ナプキンを一枚取って饅頭を(くる)み、手掴みで口に頬張った。エドガルドとイーサンもマヌエルを真似て饅頭に齧り付く。
「うまい」
 思わずイーサンは声を出げた。じゃがいもからできた饅頭の皮の味付けは淡泊なのだが、種の肉と野菜にこってりと味が付けられており、口の中で混ざり合ったときに絶妙なバランスとなる。
「ラハーダ自治区の一般的な家庭料理ですよ。初めて食べて以来、病みつきになってしまって」
「食材はこの国のものか」
「ええ。ラハーダの気候は寒冷ですが、土地が肥沃なので農産物はよく育ちます。独立後は畜産にも力を入れてますし、北に豊かな森が広がっていますので、元々猟が盛んなんです。植民領時代はそれでも一般の人たちの暮らしは厳しかったようですが、独立してからは新政府が食料生産に力を入れてるので、食べるものには困らなくなりました」
「食料が十分に自給できて、オイスも採れる。都市の搾取さえなければ、ラハーダは本来は豊かな国のはずだったんだな」
「そうです。今はその豊かさを取り戻す途上といったところです」
 会話を交わす間も三人は食べる手を止めない。飲み物には香草茶が準備されており、この香りがまた饅頭と相性ぴったりで、食が進むのだった。
「食後にはお菓子をどうぞ。珈琲を淹れますね」
 食事が済むとマヌエルは立ち上がり、食堂の奥へ引っ込んでいった。暫くして戻ってきたマヌエルが抱えていた盆には、カカオを練り込んだ生地に砕いた植物の種がたっぷり入った焼き菓子と、珈琲が載っていた。
「カカオや珈琲のような嗜好品は、近くの交易都市を介して入ってくるんです。植民領時代は都市人や王族なんかの一部の人間しか口に出来ませんでしたが、今は一応、市中にも出回っています。今でも、一般の人々にとって簡単に買えるものではありませんけど」
 説明しながらマヌエルが食卓の上に珈琲と焼き菓子を並べる。珈琲のいい香りが辺りを満たし、イーサンは期待に胸を膨らませた。エドガルドと旅を始めてから香草茶ばかり飲むようになっていたが、都市にいた頃のイーサンは珈琲党だったのである。
「どうぞ」
「ありがとう」
 イーサンは短く礼を告げてからカップを口に運んだ。豊かな香りが鼻腔をくすぐり、益々期待が高まる。一口飲んで、イーサンは再度、
「うまい」
 と声を上げた。マヌエルの淹れてくれた珈琲は香りが高く、味に全く酸味がない。質の良い豆であるのは勿論のこと、挽き立てのようだった。
「うまい珈琲だ。豆は挽き立てか」
「ええ。飲む分だけ豆を手動で挽くんです。特に挽き方に拘りはないんですが、気持ちが落ち着くので自分で挽くのが好きなんですよ」
「こんど俺にもやらせてくれ」
「はい、ぜひ」
 珈琲党の二人があっという間に意気投合する様を、エドガルドは不思議そうに眺めた。イーサンが珈琲党であることを、エドガルドは今の今まで知らなかったのだ。
 焼き菓子を頬張りながら、エドガルドが先ほどの出来事についてマヌエルに報告する。
「ここへくる途中で宰相アバスカルが襲われているのに遭遇した」
「なんですって」
 抑揚のない調子で説明するエドガルドに対し、マヌエルは大仰に反応した。
「それで宰相は無事だったんですか」
「ああ、怪我ひとつしてない」
「良かった」
 本気で安堵しているらしきマヌエルの様子を見て、イーサンが口を開く。
「随分セベロ・アバスカルのことを気に懸けているんだな」
「いま彼がいなくなれば、この国は(たお)れます」
 マヌエルはきっぱりと断言した。
「たった一人の人間の肩に掛かっているような国は脆いものです。国が発展するためには人を育てなければなりません。その為には教育が欠かせないということを宰相アバスカルはよく理解しています。この分院も、現政府の助成と保護で運営されています。ですが、この国が独立を果たしてからまだ七年しか経っていません。彼が死んでも問題ないといえるほど、十分に人は育ちきっていません」
「この分院は独立とほぼ同時期に開設されたと聞いた」
「独立後、宰相アバスカルは急いで二つのことを成し遂げようとしました。連盟への加盟と、教育システムの構築です」
「分院をこの国に開設したのは、ティエラ教義ではなく宰相アバスカルの考えだったのか」
 エドガルドの問いを、マヌエルが頷いて肯定する。
「独立前にこの国でまともな教育を受けていたのは、王族とごく一部の貴族階級だけでした。宰相アバスカルは前国王時代の侍従長の息子ですから、むしろ彼らに教育を施す側に属する人間だったでしょうね。ティエラ教義のことも、独立前から知っていたのかもしれません。独立して直ぐに、ラハーダに分院を開設して欲しいとティエラ山に申し入れがあったのですよ」
「それであなたに白羽の矢が立ったのか」
「正確には私が自分で希望したんです」
 普段はあまり表情を動かさないエドガルドが微かに眉を上げ、マヌエルの話に関心を示した。
「ここへ来る前、私はラハーダ自治区から最も近い交易都市の分院にいました。最も近いと言っても馬で数日はかかる距離ですが、それでもラハーダの独立を間近で目撃している感覚でしたよ。部外者の私にも出来ることがあるのなら、取り戻した国を自分たちの手で運営しようとしている人々を、少しでも手伝いたいと思ったんです」
「この分院はあなた一人で維持しているのか」
「学師は私一人ですが、少数の学のある自治区民が教師として手伝ってくれてます。殆どが王室周囲の方々です。第二ドームはラハーダを支配するために王室という既存のシステムを利用しました。通常の植民領であれば住民の教育の機会は完全に奪われますが、ラハーダには少数ながら知識階級に属する人々が残されていました。結果的には、その人たちが独立後のラハーダの自立を助けてる訳です。何が幸いするか分からないものですね」
「その人々にこの分院を手伝うよう指示したのも、きっと宰相アバスカルだな」
「ええ、その通りです」
 エドガルドは暫くのあいだ沈黙し、自分の考えに耽った。プラシドから聞いた話もマヌエルから聞く話も、セベロ・アバスカルという人物がラハーダ自治区のためにどれだけ尽力してきたかを伝えてくる。そんな人物が、都市を益するために祖国に背信するとは考えにくい。そして、そんな人物が宰相を務める政府に敵対する組織を、アダンが支援するとはエドガルドには考えられないのだった。
 鍵はオイスにある。ラハーダ自治区がオイスという貴重な鉱物を第二ドームに売っているのは事実だ。オイスの取り引きについて、表に出てきていない話があるのかも知れない。エドガルドはそう結論づけ、なるべく早くセベロ・アバスカルと直接会って話をしようと考えた。
「宰相アバスカルに王宮に招待された」
「へえ。いつですか」
 マヌエルが少々驚いた様子で尋ね返す。
「日程はあなたを通して調整して欲しいと言われた。こちらは具体的な予定は何もないから、向こうの指定する日時で良いと伝えてくれ」
「分かりました、私から王宮に連絡しておきましょう」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み