一章八節 告白(前)

文字数 2,288文字

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「ふぅ、これで葬儀も一段落ついたな。ったく、伊豆の兄貴、町政で忙しいから、財産整理手伝いましょうかって。遺産贈与の魂胆が見え見えよ。誰があんな、事業失敗者に、家の遺産をくれてやるか」
「でも伊豆の叔父様、以前の議員選挙の際、何かと援助してくれたじゃない。後、隣町で暮らす沢田の叔母さん。息子が優秀な弁護士になったって聞いて、あまり付き合いなかったけど〝ごま〟をすっておいたわ」
 料亭の帰り、僕たち家族は、父のアウディに乗り、帰路に向かった。清水本家の主の大葬儀とあり、この三日間はめまぐるしいものであった。近隣遠方から多くの親族が集まり、通夜から火葬と僕たちに弔いの語を述べた。
 窓の外には、闇夜に覆われた内海が見えた。その吸い込まれそうな程の漆黒さに、僕は慌てて視線を反らし、窓ガラス越しに千寿の表情を見やる。
 通夜では、芳樹と紗英相手に着丈に振舞っていた彼女であったが、翌日の朝にかけ、急に憔悴しきった表情を浮かべ、以降僕が何を問いかけても、ごめんとしか答えてくれなくなった。
「敦生も、さっき色々と話しかけられていたみたいだけど、なんか気になることなかったか。ってか千寿のこと、無闇に周りに話していないよな」
 父の圧迫と焦りの問いかけに、僕は無いよと答え、小さく舌打ちを漏らす。
 先ほどの精進落としの席にて、僕は初めて母の隣を断り、末席の千寿の横に座った。
 大丈夫だから戻って。彼女は僕にこう述べたが、僕が心配だよと告げると、特に表情も変えず、淡々と食事を進めていった。
 そんな彼女を気にかける間もなく、僕は押しかける親族の相手に没頭せざるを得なかった。
 やれ父の政局は安定しているかだの、困った時はいつでも連絡してくれだの、祖父の哀悼もそこそこに、利己しか考えていない彼らの挨拶に、僕は心底嫌悪した。
 何より彼らは、隣に座る千寿に一切関心を示さず、中には事情を知り、露骨に眉を潜める者さえいた。僕はついに堪忍袋の緒が切れ、そこに屯っていると千寿に迷惑がかかりますと、語を荒げた。
 だが彼女は食事が済んだのか、すっと立ち上がり部屋を去って行った。僕は追いかけようとしたが、逆に自身が不利な立場のまま、彼女のことについて、根掘り葉掘り聞かれる羽目になった。
 
 気づけば車は自宅へと到着していた。父はどうやら、再び事務所へ戻るらしい。僕たちが下車する合間に、手持ち無沙汰にのんびり紫煙をくゆらせている。
「あの、叔父様……少しお話よろしいですか」
 車から降りる直前、千寿がなにやら意を決した表情で、父へと言葉を投げかける。
「あん?……悪いが、この後も俺は忙しい。用事なら明日にでも――」
「富山帰りの件ですが、昨夜叔母と会話しました。もし清水家の皆様がよろしければ、今夏中にでも、この地を引き払おうかと考えています」
 父の言葉を遮るかのように、彼女は普段は決して見せない力の篭った声音で、一気にまくし立てた。
「……」
「……」
「ちょ、千寿? え、なんでこのタイミングで……ってかそんなに早く、叔母さんと会話したって――」
 突然の事態に戸惑う僕をよそに、二人は長いこと無言で対峙していた。ややあり、父ははぁとため息をつくと、
「わかった。退学の手続きは、忌引き明けにでも、俺の方で済ませておく。他にも、引き払いについて何か困ったことがあったら、いつでも相談に乗る」
 父の言葉に、彼女はありがとうございますと頭を下げると、一目散に僕たちをすり抜け、その場を去って行った。
 残された僕が憤懣遣る方無い思いで母親に目を向けると、彼女は露骨に安堵の笑みを浮かべていた。
 その時僕の頭で、何かがはじけた。
「なに笑ってんだよ……千寿がいなくなるのがそんなに嬉しいのか! 笑みが出るほどに、千寿は邪魔だったってんのか!」
 僕は思わず、自分でもびっくりするほどの声を上げ、唐突な決定に抗うかのように、自宅へと駆けた。
「敦生! いいか、じいさんも死んだし改めて言っておく! 少なくとも俺の目の黒いうちは、周囲の目に恥じぬよう、この地で暮らしてもらうからな!」
 後ろで父が何事か喚いていた。しかし言葉は僕の耳からは漏れ、視線は丁度光の灯った、二階の一室にしか向けられていなかった。

 急いで千寿の部屋に向かった僕ではあるが、彼女は一切の質問に応えてくれず、僕は泣く泣くその日の晩を過ごした。
 翌朝、階下に降りると既に彼女の姿は無かった。久々の休息とばかりに、珈琲片手に大好きな洋画を見ていた母親に聞いたところ、既に登校したとのことだ。
「敦生、昨日のお父さんが言ったこと、あれは私たちの本心だからね」
 母の卑しい熱の篭った視線に、僕は黙ってパンをかじり、垂れ流しの映画を見やった。
 one for all all for one 一人はみんなのために。みんなは一人のために
 画面内では、丁度主人公が愛すべきチームメイトに励ましのエールを送っていた。
 陳腐な一言ではあるが、この時の僕には随分この語が重く、鉛のようにのしかかった。
「ごちそうさま」
 気まずい空間から逃れるように、僕は急いで牛乳を流し込み、食器を流しへ片した。
 行ってきます、僕の小さな一言に、映画内の騒音だけが室内に虚しく響いた。
 中学を卒業すると、僕は親のかねての願い通り、隣市の進学高校へと入学した。
 バスに揺られること三〇分。外の景色は田舎の田園風景から、冴えない市街地のそれへと変わっていた。久々の学校ではあるが、友達の少ない僕は、誰からも心配の声をかけられることなく、この日も淡々と授業を受け、部活を休み、早々と学校を後にした。
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