二章六節 提示条件

文字数 2,527文字

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「久しぶりね、お兄さん。ごめんなさい。まずは、怪我の具合はいかがかしら。捕まえてとは命じたけれど、まさか頭に危害を加えるなんて」
 目が覚めると僕は、村の行事具が保管された納屋に、一人閉じ込められていた。古びた照明下、横に広がる朽ち果てた備品や土倉の臭いは、何度も入れられた実家の蔵を想起させる。しかし手首に繋がれた手錠、鈍い頭の痛み、そして目の前に立ちはだかる石井初音の姿を見て、自身の陥っている現況に絶望する。
「私の従者の勝浦さん。実はこの集落の取りまとめ役をやってくれているの。だから村人からは慕われていて、それで、ね」
 彼女のため息と共に、僕は先程の状況を回想する。無我夢中だったとはいえ、僕は一人の人間の頭に石を振り落とした。特段大きな石では無かったとはいえ、室内に響き渡った呻き声が、脳内にべっとりと再生される。
「あぁ、ちなみに勝浦さんなら、命に別状はないから安心して。衝撃で少し気を失っていたとはいえ、脳に異常は無いって医師の見立てだったし」
 不安の視線を読み取ったのか、彼女は柔らかい声で僕を励起する。どうやら殺人犯にはならなかったようだ、ほっと一息吐くのも束の間、彼女は真顔に戻り、
「それで、あなたはなぜこの集落にやってきたの? 後ほど処罰されるとはいえ、そのことだけちょっと聞いておきたくて。まさか再び千寿を取り戻しにって訳じゃないでしょうね」
「処罰……?」
 途中彼女の発した、およそ囚人に向けられるべき単語を、僕は震える声で復唱する。
 瞬間彼女はまるで魔女のように、にやりと笑みをたたえ、
「この地に来る分には何の問題も無かったんだけどね。ただここで、窃盗や人に危害を加えたとなると話は別。あなたはこの地のルールによって、しっかり裁きを受けなければならない」
 忍びないといった表情ながら、それでいてはっきりとこう断言する。
 〝裁き〟その語が重くのしかかった僕は、即座に反論の口を開きかける。だが、じゃらりと鳴る左手の楔に、喉元まで出かかった声は言葉に生まれ変われない。
 郷に入っては郷に従え。恐らく何を言ったところで、この集落の人たちには通用せず、僕の処罰は免れえないだろう。そもそも人に深い怪我を負わせたのは事実だ。少なからず罪の意識も感じていた僕は、ゆるゆると首を振ると、
「わかりました。僕はこの地のルールに従い、しっかり処罰を受け入れます……それで、処罰とは拘束ですか? 無償労働ですか? ただ日数に限り……」
「百万よ」
 断ち切るような彼女の声音に、辺りはしんと静まる。その意味を捉えかねた僕に、叔母は畳み掛けるように、
「あなたが人に危害を加えたことを、地元の人たちが知ったらどうなるかしら。確かお父さん、現役の議員なのよね。世間に知られることと比べたら、たかたが百万円、ほんのはした金でしょう」
「……親父をゆすろうってんですか」
 冷ややかに僕を見下ろす叔母に、沸々と怒りが湧く。と同時に、僕の心奥には焦りが生じる。今回家族には、富山行きは伏せている。その真相が知られるだけでも逆鱗ものなのに、そこで罪を犯したことを、もし二人に知れ渡ったら。
「ちなみに百万を拒否した場合。この件を地元の人たちに告げるだけですか」
 たとえ最悪の事態であろうが、選択肢は確かめておきたい。恐る恐る目前の判決者に問いかけると、
「後は直接的な裁きとして、千寿に水攻めの刑かしら。掟通りなら、あなたにすべきだけど、万一外にばれたらまずいしね。まぁ彼女も逃亡の罪はあるし、何よりそれを見てあなたの苦しむ顔が、今回最大の拷問」
 そう述べる彼女の口角は、嗜虐性に随分歪んでいた。

 馬鹿な、狂っている。そうは言っても現状、これを食い止めるに、僕一人ではどうすることも出来ない。青ざめた表情で思考を巡らす僕に、叔母はあくまで淑女的な対応を変えず、
「まっ、まずは一晩ゆっくりお考えなさい。明日の早朝、改めて最終確認に来ますから」
 漆黒に包まれた外をちらりと見ると、そのまま出口の方へ歩み始めた。
「そうそう、あと改めて言っておくけど、千寿は一生ここから出さないからね。彼女には次の口寄女として、その職を全うしてもらうから」
 くるりと振り向き、それまでの口調から一転、妖しく熱の篭った声で言い放つと、今度こそ叔母は出口へと去って行った。
 ややあり、照明が全て落とされ、辺りは暗闇に包まれる。その中に一人、自由を奪われ、罪人として囚われの身となってしまった僕。
 百万用意か千寿への拷問か。どちらも最悪といってもいい選択肢だ。絶望的状況に、思わず涙が頬を伝う。
 それを振り払わんと視線を上げたその先、先程丁度叔母の立っていた一角にて、明り取り窓からうっすら月の光が差し込んでいた。
 その時僕の心奥に、微弱ながら灯がぽつりとともる。
 大丈夫。事態をさらに悪化させないためにも、ここは冷静に、自身にとって最善の選択を考えねば。幸い時間ならたっぷりとある。
 僕は視界に広がる、塵が反射し煌めく月光に、どん底の人間にしか見出せない、小さく瞬く希望を捉えた。
 
 父に真実を告げ、百万を用意してもらう。夜通し考えた末、やはり選択はこれ以外ありえなかった。
 翌朝叔母に回答を示すと、彼女は特に表情も変えず、保管していた僕のスマホを放り投げ、早急に言質を取るよう促した。
 ここから先、まさに生き地獄であった。
 幸いすぐに電話の通じた父に、僕はこの数日の現状を、余すことなく全て白状した。
 暫く唖然としていた父は、状況を把握すると、お前は何も変わっていなかったとぽつり呟き、あらん限りの罵倒を浴びせた。
 鳴り止まぬ怒号。それを一心不乱に受け入れ、ただただ謝罪を繰り返す己の醜い姿。傍から見れば、随分と無様であっただろう。
 一通り罵声を上げ終えると、父はため息を一つ吐き、石井初音に罰金百万円を支払うことを了承した。
 通話が終わると、僕は既に用済みとばかりに彼女から解放された。
 それから先のことはあまり覚えていない。道中住民に邪魔をされなかったのか、例のバスに乗車して帰ったのか。一切合切記憶から漏れ落ち、気づけば僕は行きの高速バス場へと繋がる、地元の廃れた駅に一人立ち尽くしていた。
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