最終章八節 六月一五日、公開婚礼(前)

文字数 2,235文字

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 祭り当日の朝は、昨日の曇天が嘘のように、空は澄み渡っていた。遠くからお囃子の陽気な音が聞こえる。今頃、豊作祈願の山車が、村内を練り歩いているのだろうか。
 そんな年に一度の村のハレの日を前に、僕は変わらずこの狭い牢に閉じ込められている。施錠された扉に、万一に備えた倉配下の者による監視。昨夕の脱走はばれていないはずだが、その数はいつしか二名に増えている。
 今日は何としても、彼のシナリオ通り、事を運びたいのだろう。それは昨日、言葉の端々に見られた、彼のピリつき度合いからも、否応なく理解出来た。
 何でこんな日に貧乏くじを引いちまったんだよ。運悪き監視二名のぼやきを耳にし、僕は心底彼らに同情する。大丈夫、僕はもうあなた方に、何も迷惑をかけない。
 窓から離れた僕は、そのまま真向いの衣装タンスに目をやる。そこには今朝方初音が持参した、紋付袴が立て掛けられていた。
 残り二時間足らず。僕はこれを着て、大衆の面前で婚礼の儀式を行う。一生に一度の晴れ舞台を前に、不思議と緊張感は全く無かった。
 もはやどうだっていい。千寿との逃村潰えた以上、後はこの村で彼らの意に沿ったまま、暮らしていくだけだ。
 ベッドに腰掛けた僕はその時ふと、昨日の晩、彼が口走っていた一言を思い出した。
『一部の村民が、この数日やけによそよそしい。以前より更に、不穏な動きが増している気がする』
 不穏な動き。それは先日彼が確かめにきた、噂とも関連しているのかもしれない。しかしそれすらも、僕には既にどうでもいいことだ。
 時間まですることもなく、そのまま仰向けに寝転ぶ。そういや彼が押し掛けてきたのも、丁度同じ状況だったな。

「よぉ、清水敦生。調子の方はどうだ?」
 千寿との逢瀬からの帰宅後、少し仮眠を取っていた僕の下に、倉が夕膳を携え入室してきた。
「朝から晩まで閉じ込め続けて悪いな。だがそれも、もう半日の辛抱だ」
 灯りを点し、膳を食卓に置くと、彼はその脇の小さな椅子にそのまま腰掛ける。何か不便はないか。彼の幾分親しみの篭った問いかけにも、僕は無言で首を振るだけだ。
「そっか、ならいい……今日来たのは他でもない。明日の予定を伝えに来た」
 彼はそこでわずかに浮かべていた微笑を瞬く間に消し、
「田植祭は朝から開始されるが、その間、お前は変わらずここにいてもらう。そして正午の鐘が撞かれると同時に、用意された紋付袴を着て、広場の祈祷社に来てもらう。
 そこで以前も話した通り、村民総出の公開婚礼を行ってもらう。お神酒を交わし、口寄女に永遠の繋がりを誓う、たったそれだけだ」
「それだけでお前は、完全に村の一員として迎えられる」
 淡々とお経のように説明しながら、随分押し迫った表情に、僕はわかりましたと一言応える。どだい否定する道理なんかない。その時、僕はふと、
「ところで、飯田さんの様子はどうなんですか? 彼女の方は、順調に準備は進んでいるのですか」
 数時間後に、永遠のパートナーとなる、たった一度の性交相手の名を告げる。
「あぁ、彼女の方なら問題ない。あの夜から一転、すっかり嫁ぎの覚悟を決めているようだ」
 そう呟くと、彼は心底ほっとしているように、小さな安息を漏らす。
 あの夜から一転。僕は、僕共々歪なこの村を覆う暗雲に飲み込まれた、彼女の諦めにも似た幼い笑みを思い出し、途端胸が押し潰されるようであった。
「とまぁ、そんな感じだ。悪いが、これ以上お前に構っている暇は無い。明日の祭りを前に、何としても村で悪事を働かす、下手人を突き止めねば」
 彼は苦々しい顔を浮かべると、そのまま玄関口へと向かう。下手人? 僕の訝しみに、彼は一瞬こちらを振り返り、
「一部の村民が、この数日やけによそよそしい。以前より更に、不穏な動きが増している気がする」
「籠の中の鳥のお前が関与しているとは思えないが。少しでも下手な動きをすれば、その場であの世行きだからな」
 チッと舌打ちをすると急ぎ足にて、今度こそ彼は部屋から去って行った。

 正午の鐘が村内に鳴り響く。既に紋付袴へと着替えを済ませていた僕は、監視に促される形で、一人かりそめの宿を後にした。
 麗らかな無人の村道を、広場の方向へと寂しく歩を進める。途中村の分岐路にて、数名の人だかりがこちらを待ち構えていた。
「水木さん! 本日はどうぞ、よろしくお願い致します!」
 そこには花嫁姿の飯田香奈を筆頭に、和洋混淆の黒服集団が、畑の畦道にたむろしていた。飯田家の一族か。彼らは僕に気づくと、口を揃えて、皆頭を垂れた。
「いや、こちらこそ……この度は、お嬢様を私の下へとくださり、感謝の気持ちで一杯です……彼女は僕が、必ず幸せにしてみせます」
 慌てて僕もその場で大きく一礼し、急いで彼らの下へと駆け寄った。
「そう言っていただけると安心です。特に秀でたものの無い不束な娘ですが、どうか悲しみだけは与えないでやってください」
 彼女の隣に控える白髪交じりの男は満足そうに呟くと、一抹の寂しさを浮かべながら、優しげに娘を見つめた。
 他にもその場に控える親族は、少しの不安こそあれ、皆温かな視線を向けていた。先日の公民館の一件のような不審の目は全くなく、逆にまるで誰かに洗脳でもされているかのように、僕をすっかりと信じ切っていた。
「清敦さん、今日から何卒よろしく頼みます」
 しずしずとこちらへ歩み寄ってきた、白無垢綿帽子の香奈が僕の隣に控える。その瞳は、一昨日の夜に見えた悲しみは、一切かき消されていた。
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