三章五節 星空の村が生んだ奇跡(中)

文字数 2,736文字

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「先生! 今夜、数キロ先の靄井山で、肝試しを開催したいです!」
 颯爽と千賀が僕の部屋に乗り込んできたのは、翌日の昼下がりのことである。首に巻かれたタオルに幾分浴衣がはだけている。先程まで風呂にでも行っていたのか。
「肝試しねぇ。昨日お前が聞いてきたのは、そういうことだったのか」
 調べものをしていた僕はうーんと伸びをし、藤の椅子に深くもたれこむ。
「天体観測の他に、もう一つ思い出を作りたいんですよー! 他の部員は了承済みです。後はもう、先生の許可だけなんです!」
「要領のいい奴だなぁ。まっ、構わないけど」
 別に止める理由もないし、合宿を満喫してくれれば本望だ。それに僕も由緒あるらしい彼の山の存在は少し気にはなっていた。
「やった、ありがとうございます!」
 承諾を伝えると、彼は喜び勇んで部屋を出て行った。
「ちなみに振り返り会の準備は出来ているんだろうなー。簡単にとはいえ、しっかり昨夜の観測の発表をしてもらうからな!」
「わかってますって、今から進めます!」
 遠ざかる返事と共に、室内はまた静寂に包まれる。
 座卓に散らばる資料。僕は再びその中の一冊を手にする。暇さえあれば訪れた先の歴史・伝承を調べてしまうのは日本史教師の悲しい性だ。
 内容自体は特に変哲もない、その地の郷土史である。しかし随分記載の多い〝とある文字〟に心を少しかき乱される。
「いや、まさかね」
 ありえないことだ、特に気にする必要はない。ふと手元の時計を見やる。五時の振り返り会までまだ三時間もある。せっかく長野に来ているんだ。このまま部屋に籠りっきりははもったいない。
 すっかり休息を取った僕も、残り少ない阿多村合宿を満喫することとする。脳裏を掠めた疑念を振り払い、僕は干したタオルを手にして階下の浴場へと向かった。

 街灯の無い真っ暗な村道を、ただ一台僕らを乗せた車が突っ走る。途中、ぽつぽつと民家が点在するも、既に住民は床に着いたのか一様に灯りは消されている。
「今から肝試しをするのもあると思うんだけど、なんかこう不気味じゃない? 昨日来てた観光客も、日中にほとんど帰っちゃったみたいだし」
「だなー、夕方ここを通った時はそうでもなかったけど……まぁでもその方が雰囲気出るし、結果オーライっしょ!」
 振り返り会を無事済ませ、今回の合宿の主目的は達成された。後はこの肝試しを終え明日帰るだけ。すっかりリラックス気分の部員に、ラジオから流れるインストゥルメンタル曲が優しく溶け込む。

「着いた、ここだな」
 旅館を出て十数分。古びた橋を越えた先、祠を目印に停車する。そこはこの地の氏神様が祀られる標高二百メートル程の山道の入口であった。
 旅館前の(昨日千賀が見ていた)マップによれば、地元の人には慣れ親しまれた登山道らしい。田畑が近いのか、周囲から春の虫の音色が穏やかに奏でられている。
「凄い。今夜も満天の星空」
 下車後、麓を見下ろす形で、真田がうっとりとした表情で呟く。
 確かに昨夜程ではないにしても、川向かいの民家とその背後の山上に春の夜空が浮かんでいた。
 暫く見とれている部員を横目に、僕は車から一つの箱を取り出す。
 僕たちはこれからこの箱に入れたくじを引き、夕方千賀と共に準備した山あいの社まで、札を取りに行くことになっている。
 と丁度その時、早瀬が素っ頓狂な声で、
「あれれ、ここ、スマホの電波、圏外じゃん」
 悲し気な表情で自身のスマホを鞄にしまった。
「うわっ、本当だ……でも、おかしいなぁ。さっきまで使えてたはずなんだけど」
 小首を傾げながら千賀も、何度もスマホの設定にトライする。
「まぁいいや、あそこの星座は帰って調べればいいし……それで、先生が持っているボックスのくじを引けばいいんだよね。とっとと済ませて、残りの時間、天体観測の続きをしましょ!」
 すっかりそっちの方にスイッチの入ってしまった彼女が僕の持つ箱へと近づく。続いて同感だとばかりに真田、更に山田と緊張した顔で、それぞれくじを引く。
「いやっ、本当はその前に俺の怪談を……って、気持ちはわかるけど、やっつけ仕事みたいに言うなよぉ」
 お膳立てを壊された千賀が、悲し気な、それでいてそれ自体をまるで楽しんでいるかのように、最後の一枚を引く。
 早瀬→真田→千賀→山田。これが今回の肝試しで神社へ向かう順であった。

「……で、あれがうさぎ座だから、澪がさっき言ったのは、はと座のアルクトじゃない」
 取得した札を片手に、二人は星座談義に興じている。真田が熱弁を奮い、それに早瀬が熱心に相槌を打つ。出発当初(そして下山後も暫く)それぞれ恐怖の顔を浮かべていたが、どうやらそれももう大丈夫そうだ。
 しかし僕は手元の腕時計を見やる。千賀が出発してから一五分。二人は一〇分で帰ってきたのに、少し長すぎやしないか。
 まるで危険信号を告げるかのように、鼓動が幾分高鳴る。それはこの山に来てから、半ば周期的に僕を襲う。
 たかが高校生の肝試しじゃないか。そう高を括りながらも、この地元人に馴染みの山が、逆に外から来た人間には何か災いをもたらすように思えてならなかった。
「千賀君、遅いね……一度来ているはずなのに、大丈夫かな」
 さすがに二人も少し気になったのか、真田が心配げに呟く。その横で早瀬もこちらを見やり、
「どうせ、さっき行った山田を驚かす準備でもしてんじゃないの。あいつ三番目の順序で凄くがっかりしていたし」
 軽口を叩きながらも、その顔は幾分強張っていた。
 僕は漆黒に包まれた登山口を再び見やる。と丁度その時、その時、ぬっと暗い人影が姿を現した。それは全身丸みを帯びた体躯。そして闇夜にひと際目立つ白装束。
「……へへっ、皆さんお待たせ。ったくせっかく準備したのに、使う相手がまさか山田だけとは」
 そこには、どこから調達したのか、白のビニールシートを羽織った千賀が、実に満足そうな表情で、無事帰還を果たした。

 一面落葉の敷き詰められた登山道を血眼になって駆ける。上空、美しい星々が行く手を照らしてくれるが、左右を覆う竹林にまではさすがに行き届いていない。
「はぁ、はぁ……あぁ、千賀。どうだ、見つかったか!」
 肝試しの折り返し地点である社にて、丁度到着したばかりの千賀と合流する。全身汗だくの彼は、すっかり顔から血の気を失い、
「いや、見つかりません……先生、もしかして山田のやつ、本当に、口無ダムに――」
 地元の怪談のスポットらしい、廃ダムの方角を示し、彼はへなへなと地面にへたり込んだ。
「馬鹿、あれは都市伝説だ! しかし、これだけ探しても見つからないとなると、山頂付近に行った可能性もある」
 社から続く三つの登山道を見やり、僕は無意識に舌打ちを鳴らした。
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