最終章七節 六月一四日、傘(後)

文字数 2,004文字

「勝浦のお上さん、こんにちは。降り出したと思ったら、また急に止んで、何とも気まぐれなお天気ですね……こんなお時間に、庭のお手入れですか! 痛めていた腰は大丈夫なのですか?」
 雨脚の収まったタイミングで、私は兼ねての予定通り、大きな段ボールを持参し、彼女の庭先を通りかかる。
 昨日、彼女の庭の垣根が不揃いなままなのを、私はこの目で確かめている。人一倍周囲の目を気にする彼女だ。祭り前日、さすがに涼しいこの時間帯にでも、多少手入れを施しているだろう。
 果たして私の予想は的中した。庭先につなぎ姿で汗を流す寡婦は、こちらに気づくと、丁度いいところに通りかかったとばかりに、
「あら、こんにちは! そうよ、まだ痛むけど、さすがに目の前を山車も通るしね……良かった、木戸さん。急ぎのところ悪いんだけど、少し頼まれてくれないかい?」
 くしゃりと笑みを零し、村道に佇む私に躊躇うことなく、剪定鋏を手渡してきた。
「あー……わかりましたよ。亡くなったご主人の足元にも及びませんけど、私なんかでよろしければ」
 唇を尖らせながら、私はそれを受け取る。夫の一蔵が急死してから半年、村の取りまとめ役を継承した彼女は、日夜折衝に奔走しながらも、さすがに自宅の管理までは、追いつけていなかったようだ。
 私は慣れない手つきで、脚立に乗り細葉を切り揃える。雨露を帯びた葉の端が、自身の洗いざらしのシャツを瞬く間に濡らす。
「これ全部、祭りの備品かい? 集会所担当も、随分楽な仕事じゃないのねぇ」
 視線を下げると、手持無沙汰そうに、彼女は地べたに置いた箱を覗き込み、その中のいくつかを手にしている。
「いやぁ、それが……倉さんから急に『押し入れに入れてある箱を火葬場まで持ってこい』と言われて。豊穣の祭りを前に、断捨離でもするつもりなんですかね」
「へぇ、それは何とも倉さんらしい……古くなったお膳立てにこれは破れた掛け軸! そして……ん?『口寄女様の真実』……」
「木戸さん、この中身知っているかい?」
 ふと彼女が、箱の中から一枚のカセットテープを掲げる。剪定を中断した私は眉根を寄せて、彼女の下に近寄り、
「さぁ……ねぇ。私は中身の方はさっぱり……『口寄女様の真実』……何とも曰くありげなテープですね」
「内緒でこっそり確認してみます?」
 冗談めかし、彼女の耳元でこっそり囁く。一瞬彼女の目が泳ぐのを、私は見逃さなかった。しかしすぐさま、彼女はとんでもないと首を左右に揺らし、
「これ、木戸さん! 何を罰当たりなことを! 私たちは、口寄女様の私事は絶対に詮索しないという、村の取り決めじゃないかい。祭り前とはいえ、気を緩めすぎるのは、慎みなさい!」
 注意するような目でこちらを諭す。瞬間私はハッと我に返り、同時に彼女に頭を下げ、
「ですよね。すいません、確かに浮かれていました……よし、罪滅ぼしではないですが、もう少し頑張りますよ」
 剪定鋏を手にすると、定位置に戻り、切りかけの伸びた枝葉に、再びその刃を入れた。

「まだまだ中途半端な状態なのですが、もうそろそろ時間でして。早く行かないと、倉さんに叱られてしまいます」
 一〇分程経っただろうか。私は古びた手元の腕時計を確認すると、申し訳なさげに彼女に呟く。
「あら、そう? なんの、こちらこそ忙しい中、手伝ってくれてありがとうねぇ。じゃ、これご褒美。明日はお互い、思う存分楽しみましょう」
 そう言い、彼女は感謝しきった表情で、胸ポケットから飴玉を一つ手渡す。
「わぁ、ありがとうございます! はい、忘れられない、最高のお祭りにしましょう!」
 満面の笑みを彼女に向けると、私は改めて、倉に手渡す段ボールを掲げる。
「それじゃあ、これにて失礼させていただきます」
 再度彼女に一礼し、行きかけの道を急ぐ。雨上がりの地面は、至る所に水たまりが浮かんでいる。目の前の大きなそれを、うまいこと避けようと、端を通ったその時、
「うぉっと!」
 わずかにバランスが崩れ、未剪定の細葉へとぐらり身体を預ける。
「あら、まぁ! 木戸さん、大丈夫かい?」
 驚いてこちらへ駆け寄りかける彼女を、私は問題なしと片手を上げ制す。
「大丈夫です! 油断していました……急ぎながらも、足元にも十分気を付け、向かうこととします」
 体制を整え、今度こそ彼女の下から去って行く。やがてこちらの視線が完全に届かない位置まで来たのを確認すると、私は一つ息を吐き、箱の中身を確認する。
 よし。計画通り、事を進められた。大丈夫、噂好きのあの人なら、明日までにきっちり役目を果たしてくれるだろう。
 それにしても思いのほか、時間を喰ってしまった。夏至間近の空も、さすがに徐々に暗みを帯びてきている。
 あとちょい、もう一仕事だ。途中、村の共用ゴミ捨て場でガラクタを放り投げた私は、彼女から貰った飴玉を頬張る。そしてその足で村唯一電波の繋がる集団墓地へと、急ぎ向かうことにした。
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