三章八節 証言(中)

文字数 3,625文字

「俺は生まれた時から、一年前にここに逃げてくるまで、ずっとあの村で過ごしてきた。あの村が狂っているとは、若い頃は一度も感じたことはなかったな。ふふっ、そりゃそうか。外の世界を知らないんだから、当然といえば当然か。
 村人たちは皆、自給自足の生活をし、困難な事態が生じると村長の下へ伺いに行った。そしてその村長を媒介に姿を現すのが、村と天の橋渡し役、口寄女。彼女が祈りを捧げ、天からの言葉を告げると、事態は必ずと言っていいほど好転したんだ。
 村の転機は八年前、石井初音の一人娘が急死したことだ。その前年、村には原因不明の流行病が襲い、それに罹患したものと噂されたよ。真相は定かではない。直ちに初音が口寄女に復帰し、流行病はある程度落ち着きを見せたものの、現役の口寄女の急死は当時村人たちに少なからぬ動揺をもたらした。
 同じ頃、数名のある若い者らが村に反旗を翻した。彼らはどこから知識を得たのか、村の拠り所口寄女を否定し、これからは他の共同体と同様、数名の有識者による村営を行っていくべきだと熱く豪語した。
 結論から言えば彼らの企ては失敗したよ……その詳細はここでは省かせてもらう。重要なのはそれが周りにもたらした影響だ、ひょっとしたら彼らの言っていたことの一部は正しかったのでは。かの騒動で信仰に揺らぎを見せた俺たち村人に、彼らへの一種の共感が心の奥底にそっと芽生えた。
 それから一年経った頃だったか、初音は一人の少女を村に招き寄せ、暫く後、彼女を口寄女の後継にすると宣言した。  
 彼女はとある事情で村を離れていた私の血を色濃く継いだ妹。初音はそう喧伝したが、『彼女は数年前初音様の従者だった女子では』『出自にも一部不明な箇所がある』などと噂され、村人の目は随分と冷ややかだった。
 そんな折、とある事件が発生する。そう、それがあんた、俗に言う悪党、清水敦生のご神体強奪と言われる事件だ」
 そこで彼がびしっと僕を指さす。ご神体強奪。僕が口を開きかけるも、彼はそれを制し、続けざまに、
「その男は不徳にも私たち村のご神体を奪い、世界を攪乱させようとした。それを千寿様は体を張って奪い返しなさったのだ。
 彼を追い返して程なく、千寿様の神がかりによる製薬で、村の流行病が忽ち終息を迎えた。なおその年の村の作物は、皆どれも豊作だったと記憶している。
 一連の彼女がとった行動に、村人たちは手のひらを返したように褒め称えた。『村の困難に新たな救い主が降臨してくれた!』『慈愛に満ち溢れた口寄女様の再来じゃ!』
 こうして口寄女への相談や儀式も日を追うごとに増えていき、やがて彼女は村にはなくてはならない存在になっていった」
 
 そこで彼は小休止とばかりに茶菓子に手を伸ばす。僕は事実が一八〇度権力者に都合のいいよう歪曲されていることに憤りを通り越し、思わず笑わずにはいられなかった。
「ご神体強奪か」
 と同時に一つの安堵も抱いた。石井初音に渡した百万、彼女はそれを使い恐らく村人の流行病を救う薬を購入したのだろう。それはあくまで、千寿を村人から信頼を得るための一手段に過ぎなかったのかもしれない。
 しかし結果的に多くの人の病を救ったのは事実だ。それは選挙資金として有権者の下にばらまかれるよりはるかに有意義であり、死んだ父も幾分報われたはずだ。

「今のがおよそ七年前の話だ。その後、彼女は初音の勧めで村の有力者と結婚し、一人の男児を設けた。問題はその直後だよ、あのあばずれ野郎が村にやって来たのは」
 そう述べ彼はソファに体を委ねる。千寿が結婚。彼の何気ない一言に、僕の身体は瞬く間に硬直し、掴んでいた湯飲みを危うく落としそうになる。
 彼は一瞬僕の顔をちらりと見る。その真意を読み取ったのか定かではない。しかし彼は気にも留めず、話すことこそが己の義務とばかりに、再び物語を紡いでいった。
「男の名前は倉義通。初音の亡き夫の弟で、村の家業医になるべく、唯一村から出て医学の勉強に励んでいた。それが無事、免許皆伝ってことで村に舞い戻ってきたんだよ。
 倉家は代々村長として、村人と信頼関係を築いていた。当時倉家は老いた両親しかいないのも相まって、彼の帰還は人々に大いに喜ばれた。
 暫くして義通が開いた医院が盛況を迎える中、彼は初音と関係を築くようになる。元々若い時分、二人は互いに愛し合っていたが、彼の出村で初音はやむなくその兄と結婚したという話だが、真偽ははてさて。
 ともかくその一件で、彼らは徐々に、口寄女に引けを取らず、村に影響をもたらすようになっていった。
 やがてそんな折、一人の新婚間もない村の娘が胎児を授かる。新たな村の担い手の誕生に、彼女の夫共々、周りは祝いの空気に包まれたよ。
 だがどうしたことか、彼女は喜びの端々に、どこか暗い翳りの色をひっそりと浮かべる。それを気にした彼女の知己(私の妻の友人でもあった)が、彼女を口寄女の下へ連れて行き、ある衝撃の事実が発覚する」
 そこで彼は一呼吸置き、僕の顔を凝視する。
 それまでの淡々とした無表情から途端に、ある種知りたくもないことを知ってしまった時の、あの憤懣やるかた無い乾いた笑みに変わり、
「彼女の赤子の父は、彼女の夫ではなく、ひっそり夜這いを重ねていた倉義通であったと。
 私の妻が俄かに信じがたいといった顔で、その事実を告げた時、私は一笑に付したよ。まさかあの倉さんが、そんな犯罪をするわけがないと。
 私があの村に違和感を覚えたのはその直後だった。一月後、新妻を口寄女へ相談に行かせた妻の友人が、農作業中にトラクターに巻き込まれ不慮の死を遂げる……更に半年後、かの新妻もお産による感染症が元で、元気な赤子を出産した代償に命を落とす。
 相次ぐ村の貴重な若い女性の死没は、村人たちを狼狽させた。彼らは天からの怒りを鎮めようと、口寄女に祈りを依頼した。彼女は熱心に祈ったよ。やがて天からのお示しと称し、彼女はこう告げた。
『若き女の穢れは、同じ女の血で清められねばならない。来週の新月の夜、村から一名の女子を人柱に捧げよと』」

 彼は再び沈黙する。陽射しが眩しい。気づけば太陽は丁度真上の辺りまで昇り、僕たちに春の陽光を降り注いでいた。彼はおもむろに立ち上がりブラインドを下ろす。
 僕は時計を確認する。時刻は丁度一〇時半だ。それまで黙って聞いていた僕は、ふと気になった思いを口にする。
「しかし千……口寄女は、どうして真実を言わなかったんでしょうか。倉が件の女性に手を出していたことを村人に告げれば、一瞬で彼を失墜することが出来たのに」
「いや、言わなかったんじゃなくて、言えなかったんだよ。あとその対立構造も間違っている」
 そう言い、彼は加熱式タバコを咥える。紙煙草とは異なる鼻につく香り。彼は特にうまそうもなく煙を吐き出し、
「確かに彼女は口寄女就任後、村を第一に考え行動していた。だがしかし初音と倉にだけはどうしても逆らえなかった。恐らく何か弱みを握られていたのだろう。時々彼らに平伏している姿を、何人かの村人が目撃している」
「平伏……」
 瞬間僕の脳裏にあの頃の記憶が蘇る。実家の居間で見た二の腕に隠れた大きなあざ。あの冬、みすぼらしい服装で叔母の暴力に耐え忍ぶ、彼女の苦渋に満ちた表情。
「しかし……彼女が駄目でも、彼女の夫は助けてあげなかったんですか。妻が苦しんでいる姿を見て、彼らに立ち向かおうとはしなかったんですか!」
 勢い余って声を荒げ、慌てて口を押える。
 僕の代わりに千寿を支え守り抜く男性。しかし彼は論外とばかりに薄笑いを浮かべ、
「あのひ弱な夫が倉に盾突く訳ないだろ。そもそもあの男は親と初音の好意で彼女と結婚した。倉達に物申すどころか、彼女を愛していたかどうかすら怪しい」
「なんでも彼女は、夫にも常に顔色を窺っていたという噂だったよ」
 そう言い彼は、憤懣やるかたない顔で吸い滓を灰皿に置いた。
「……フフッ、フハハハハハッ!」
 途端に僕は、腹から言いようのない笑いが、こみ上げてきた。即座に彼がギョッとこちらを見返す。
「あぁ、ごめんなさい……そうか、そうだったんですね」
 なんだ、今でも、七年経った今でも、彼女は変わらず一人ぼっちなんだ。
 それもそうか、彼女は常に自分を押し殺してきた。学校でも、自宅でも、祖父が死んだ時も、叔母が連れ戻しに来た時でさえも。彼女は周りの幸せだけを考え、自分の意思は二の次にしていた。
 いつかの夕方の河川敷、一瞬彼女が見せた本心を思い出す。それに応えるべく、僕はあの冬動き、その結果全てを失った。
 石井がなおも、怪訝な顔で僕を見つめている。いけない。平静な気持ちを取り戻した僕は、今一度詫びを入れ、話の続きをお願いする。
「あっ、あぁ……まぁ、彼女の話はいったん脇におこう……えっと、どこまで話したっけか。あぁ、口寄女の告げた人柱。そう、それに最終的に選ばれたのがうちの女房だったってわけよ」
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