一章二節 あざ (前)

文字数 1,584文字

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 しとしとと雨が降り注ぐ中、葬儀は壇家の寺院で滞りなく行われた。
「なーむあーみだー」
 兼ねてより祖父と親交の深かった大松和尚が、一際大きな声で読経を上げる。額の汗を制服の裾で拭った僕は、ちらりと後ろの席を見やる。
 ざっと百人は超えているだろうか。父の希望通り、極めて親しい人にしか招待を出していなかったにもかかわらず、これだけの人数が集まった。僕は祖父の、いや清水本家の大きさを、改めて痛感した。
「敦生よそ見しない、ほら前向いて」
 感情を押し殺しながら、母が小声で叱責する。
 恐らく母は、僕が千寿を気にしていると勘違いしているのだろう。
 僕は右後ろをちらりと見やり、再び前を向く。彼女は僕の隣はおろか、親戚筋の最後席に一人ぽつんと座らされた。彼女の前後左右は空席で誰も座らない。時折彼女の噂話をする親戚の声が耳に入る。
 葬儀に参加させてあげるだけでも感謝しなさい、開式前、母は千寿にこう告げた。ありがとうございます、こう小さく呟いた彼女は、まだ誰もいない仏前椅子へと早くもちょこんと腰掛けた。
「それでは代表者から順にご焼香を」
 大松和尚の掛け声と共に、先ほど寺に到着したばかりの父が、極めて無愛想に香を上げる。母に続いて僕が香炉へと近づく。
 香炉の後ろで、大好きな青の朝顔に埋め尽くされた祖父の姿が目に入った。朝顔の花言葉はの、儚い恋なんじゃよ。生前しきりに口にしていた祖父の言葉を思い出し、少し体が震えた。
「あばよ、じいさん」
 お棺の中で幸せそうに横たわる祖父を見やると、僕は何の感情も湧かないことに自分でも仰天しつつ、淡々と席へ戻った。

「敦生、お疲れ様―。人って、あっけない者だねぇ。お爺さん、先日元気そうだったから安心してたけど、まさかその翌日、ころっと逝ってしまうなんて」
 葬儀が終わると、片付けの合間を縫って、僕たちは参列してくれた外海と紗英に、労いの一言を添えに向かった。
「芳樹その言い方ってある!? わたし……今でもお祖父様が死んでしまったなんて……本当、信じられない」
 三人揃うのは、中学卒業以来初だ。変わらぬ外海の減らず口に、この時ばかりはさすがに青筋が立つ。しかしその一方、紗英みたいに赤の他人がわんわん泣いているのも、それはそれで対応に困る。
 祖父はうちの親とは対照的に、子供の頃より家に入り浸っていた二人を我が子のように可愛がってくれた。それは僕たちが大きくなっても変わらず。実際、二人は祖父の入院後、度々見舞いに訪れていたが、その度に祖父は大層喜んでいた。
「あぁ、ごめんごめん。ところで千寿ちゃんは、これからどうするの? 確かお祖父さんが亡くなった後は、清水の家を出ていくみたいなこと言っていたけど」
 彼の続いての失言は、僕を激昂させるには十分であった。とっさに彼を突き飛ばすと、彼もカチンときたのか形相を変え僕に詰め寄る。
「二人とも、止めて! そうです。たぶんあの人が言うとおり、私は石井の家に帰されると思います……まぁ、元々祖父のいる間という約束でしたし、それはもう覚悟の上ですけどね!」
 それまで黙っていた千寿が、この場を収めようと空元気に応える。外海もさすがに彼女に遠慮したのか、僕の胸元をそっと離し、居心地悪げにその場を去っていった。
「でも、千寿ちゃん。親戚の叔母さんとは、仲が悪かったのよね。確か過去にもそれで……」
 全てを知っている紗英が心配そうに、声をかける。一瞬千寿は目を伏せたが、すぐに大丈夫ですと力強く答え、
「この一年の間に、叔母もさすがに気持ちを変えているはずでしょう。それにもし何かあった時は、敦生から教えられた方法で、自分の体を守ってみせます」
 屈託の無い笑みを浮かべる彼女だが、僕はその内心が不安で満ち満ちていることを見抜いている。あの時の衝撃、僕は千寿が来て暫く後の晩を、つい昨日のように思い返した。
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