二章三節 千寿の故郷(前)

文字数 2,655文字

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 その日は夕方から、冷たい小雨が降り注いでいた。厚手のダッフルコートに身を包んだ僕は、三日分の荷物を詰め込んだ旅行ケースを携え、高速バス前待合所に佇んでいた。
 三が日が明け、Uターンラッシュの時期のためか、所内は学生や家族連れで随分賑わっていた。中には、北陸という土地柄か、外国人観光客の姿もちらほらと見受けられる。
 集合時間までまだ時間があるな。スマホを確認した僕は、そのまま先程届いたメッセージを確認した。
『体にだけは気をつけてね。本当無理だけはしないでよ。何か収穫があっても無くても、また元気に戻って来ることを祈っています』
 そこには、可愛い絵文字を交えながら、紗英の心配と励ましの語が綴られていた。
 
 今回の富山行きを彼女に告げたのは、新年初日、初詣の帰りのことである。
 外海の誘いによって久々に三人で集まった僕らは、近所の馴染みの神社へとお参りに向かった。その後外海と別れ、二人になったタイミングで、僕は今回の計画を彼女に打ち明けた。
「この紙片、色焼け具合からも相当前のものだと思う。そもそも千寿は、今はこことは別の、叔母の庇護下で暮らしている。それでも、いやそれを抜きにしても、僕はこの地に一度行ってみたいんだ」
 祖父の紙片を見せた時、それまで正月気分に高揚していた紗英は一気に、顔を曇らせた。
「まだ、忘れきれてなかったんだね」
 そうポツンと呟いた彼女は即座に首を振り、
「でもどうして。千寿ちゃんに会えるわけでも無いのに、極寒の富山なんて。仮に何か情報を得たところで最早どうにもならないし、そもそもその地って、皮剥ぎの――」
 熱の篭った表情で、最後は周りに聞かれぬようそっと、彼女は難色を示した。
 あぁ、やはり外海程では無いとはいえ、彼女も随分〝そこ〟を気にしていたのか。
「……実をいえば今回の旅の目的はそこなんだよ。確かに現地に行って、祖父や千寿の新たな情報も得られればいいかなって思っている。でも、それよりも……なんで千寿は差別されねばならなかったのか。僕たちと彼女との違いは一体なんなのか。そのヒントを、この旅で見つけたいんだ」
「ヒントって。ってか敦生、自分の立場をわきまえ――」
 なおも反論の口を開きかけた彼女ではあるが、咄嗟に口に出した語をまるで恥じ入るかのように、
「……もちろん、全てを考慮した上での、決断なのよね」
「うん……それでも、僕の気持ちは変わらなかった」
 僕の決意の眼差しに、彼女は鋭い視線でじっと見据えた。ややあり、彼女はやれやれと両手を広げ、
「わかったわよ。私がどうこう言う義理でもないし、行ってらっしゃい。でも、何事もなく帰ってきてよ。後困ったことがあったら、いつでも連絡頂戴」
「ああ、ありがとうな」
 何が何でも否定されると思ったから、その内心はさておき、僕の意見をしっかりと聞き入れてくれ、純粋に嬉しかった。僕や千寿のことを一貫して対等に認めてくれて。その上で自分の本音を唯一話せる存在として。富田紗英は、僕にとって心許せる、何にも代え難い大切な幼馴染であった。
 これまでのお礼も兼ねて深々と頭を下げると、彼女はちょっ、こんなところでやめてよと、恥じらうように赤面した。
「あっ、そうそう」
 気持ちを切り替えた彼女は、再び高揚気分を取り戻し、
「お土産、楽しみにしてるからね。オシャレで可愛いやつ、それが条件だから」
 彼女のいたずらっぽい笑みに、僕は渋々頷くしかなかった。

「二一時丁度発、しらさぎ六一号、富山行き……」
 思いに耽っていると、自身が乗るバスの乗車アナウンスが告げられ、慌てて立ち上がる。周りの乗客も、同じバスに乗るのか、続々と乗車方面へと向かう。
「ん?」
 待合所を出た辺りか、不気味な視線を感じて、後ろを振り返る。しかし当然、見知った顔などなく、大学生集団がのんきにおしゃべりを楽しんでいた。
「……気のせいか」
 僕は一つあくびをすると、そのまま気にも留めず、乗車後すぐに熟睡した。
 慣れないシートで寝たせいか、眠りは浅く、後に残る夢を見た。夢の中で、放心の体で、なぜお前がと呟く○○。その前に立ちはだかる、勝ち誇った表情の○○。そんな……まさか……だって僕は。

 定刻六時通り、バスは富山駅へと到着した。暖冬の影響か、イメージした銀世界では無かったものの、暖房の効いた車内から雪積もる外へと出ると、やはり凍えるような寒さであった。
 始発のローカル線に乗った僕は、電車に揺られること小一時間、終点の無人駅へと舞い降りた。
「さて、問題はここからだ」
 件の住所は、スマホのマップによれば、ここから二五キロ北、山合いの集落を指し示している。しかし調べたところ、そこへと向かう公共交通手段はなく、辺りを見回してもタクシーやレンタカー屋の類は無かった。
「打つ手なしか?」
 すっかり朝陽も昇り、一面白に覆われた町を歩いていると、一軒のうどん屋を見つけた。かつお出汁の良い香りに、丁度腹の虫も鳴り、兎にも角にも食事と暖簾を潜る。
「へい……らっしゃい」
 六〇過ぎだろうか。一人で切り盛りする職人気質の大将に、とろろ昆布うどんを注文する。熱々の湯気が舞い上がるうどんは絶品で、冷えた体を芯から温めてくれた。
「あの、少しお尋ねしたいことが」
 会計時、僕は件の住所への行き方を大将に尋ねた。それまで全くの無愛想であった彼の瞳が、ぎょろりと僕を捉える。
「あんた、此処の者じゃないだろ。そこの住所の誰かと、関係者なのか」
「いえ、僕は県外の人間で。後、今そこで暮らしている人とは、全く面識がありません」
 正直に答えると、即座に彼はつっけんどんな態度に戻り、
「お察しの通り、そこへ向かう交通手段は無い。悪いことはいわん、諦めな」
 そう述べ、再び厨房へと戻ろうとする。
 明らかにここの大将は、集落への行き方を知っている。でも余所者の僕には教えてくれない。千載一遇の機会を逃してはならない。僕は無我夢中で、
「美山千寿、美山多江って知っていますか、或いは石井初音。僕はその人たちと、血を分けた親族なのです」
 自分とこの地を繋ぐ、唯一の情報を惜しげもなく披露する。すると大将はぐるんと振り向き、驚愕した声音で、
「石井初音様を知っているのか。血を分けた親族とは本当なのか」
「えぇ、先日私の実家にいらっしゃいまして。今日はそのお礼に」
 血を分けた、にお茶を濁らせながら、虚実交えて報告する。大将は再び舐めるように僕を見定め、
「……九時、道祖神前」
 ぽつりと一言呟き、今度こそ厨房へと姿を消した。
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