最終章最終節 それでも朝顔は今日も咲く

文字数 6,873文字

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 村の雅楽隊が厳かな音を奏でると、周囲の村民はワッと沸き立った。よろしく頼むよ、初音の冷めた笑みに押され、僕たちは全村民の視線注ぐ拝殿へと姿を現した。
「和久さん、香奈さん、おめでとう! 村民総出の祝婚なんて、全く幸せなことですぞ!」
「水木さんも、入村間もなく婚礼なんて。一層この村に尽くしてもらわねばなりませんな」
 既に祝い酒に酔いしれている、陽気な男衆の鼓吹を浴び、僕たちは用意された座敷椅子へと腰掛ける。
 全列席者が揃ったところで、雅楽隊の音色が止む。それに合わさり、一瞬、静寂が殿内を覆ったところで、
「ではこれより、水木清敦と飯田香奈の婚礼を始める!」
 回廊から件の祈祷衣装を着た口寄女が、物々しい雰囲気でゆったりと姿を現した。
 
 口寄女(もとい千寿)が現れると 途端に周囲の空気が一変した。それまでの賑わいが嘘のように消え、代わりに厳粛さが瞬く間に周りを覆った。
「今回の公開婚礼は異例中の異例。規模を考慮し、略式で行わせてもらう――さぁ二方、近うよれ!」
 有無を言わせぬ圧の篭った声音に、僕らは引かれるように、彼女の前に列する。
「汝水木は外の世界、汝飯田は処女喪失と、随分穢れを帯びている。まずはその身を禊がねばならない! はぁーっ! 掛介麻久母畏伎、伊邪那岐大神筑紫乃……!」
 彼女が狂わんばかりに全身を使い大祓を施すと、香奈は大変光栄ですとばかりに、大粒の涙を零した。
 僕も香奈に合わせて、神妙に俯く。どだい彼女に視線を交わせようはずもなかった。
 奇怪な呪文はなおも続く。不意にその口誦 がぴたりと止むと、彼女は乱れた紫衣をすっと正し、
「水木清敦……汝は妻、飯田香奈を、永遠に愛することを我に誓うか」
 冷徹な口寄女としての彼女は、その感情を一切表さず、無機質な目でじっと僕を捉えた。
「……はい、口寄女様の名の下に、私は彼女を――」
 僕は決められた問答を、怯むことなく淡々と言い放つ。
「……生涯愛することを……ここに誓います」
 締めの言葉が少し震えた。わずかに隣の新妻が不審の目を向けたような気がする。それでも僕は、決して彼女への視線を、最後まで外すことは無かった。
「……それを聞いて我も安心じゃ……では飯田香奈! 汝も夫――」
 瞬間、彼女が一瞬素の表情を見せた。それは、これまでの他者の意に沿った仮面ではなく、純粋な祝福の笑みであったような気がする。しかしそれはたちどころに消え、彼女は再び口寄女としての威厳に満ちた態度で、香奈に同様の文句を尋ねる。
「はい……愛することを、ここに誓います」
 香奈も前もって用意された言葉を発すると、口寄女は神妙そうに頷く。相分かった、彼女はそう発すると、片手を挙げ、先程の巫女を殿内へと呼び寄せ、
「それでは両者の誓いが立てられたところで、これより三献の儀を行う! これにて二人は、村神も認める永遠の夫婦となろう!」
 彼女の掛け声と共に、巫女から小杯を受け取る。なみなみと注がれたお神酒を、三度目に口に含みかけたその時だ。

「ちょっと待ってくれ! やっぱり俺は、こいつの成婚は心から祝えない!」
 拝殿袂にて、少し酩酊状態の農夫が突然不服そうに声を荒げた。
「ちょっ、高田さん!?」
「杯を乾かす前に一つ教えてくれ! 水木さん、あなたは本当に俺たち村の教えに共感して、入村したんだよな。最近、口寄女様を誑かす、清水敦生の身内だって噂が流れているけど、そんなのまやかしだよなぁ?」
『清水敦生の身内!?』
「おい、あの男をこの場からつまみ出せ」
 なおも不安を打ち消さんばかりに、声を荒げ続ける男は、即座に倉配下の者により、巧妙にこの場からかき消される。
 しかしそれまで静粛に式を見守っていた村民は、彼の言葉に途端にざわめき始めた。それは本当なのか、お前は俺たちを騙しているのか!? 手のひらを返したように、方々で真相を尋ねる不満の声に、僕は一刻も早く事態の収束を図るべく、
「あぁ、そんなの出まかせだ……僕はこの村に憧れて、はるばる外の世界からやって来た……」
「お前たち、出所のわからぬ戯言に惑わされるでない! 他者の信念を疑うことは、最も恥ずべきことぞ!」
 凛とした口寄女の声が場内に轟くと、さすがに辺りはしんとした。中断してすまない、再び婚礼の儀を行う。彼女がこう述べ、改めて小杯を手にしかけると、
「口寄女様! 実は私も、この機会に一つだけ確かめておきたい真偽がございます」
 再び静まり返った場内に、一人の老婦人の悲痛が響いた。
「勝浦夫人……?」
「おいおい、今は殿内にいる人々への質問時間じゃないんだぞ。神聖な婚儀の真っ最中だ! 不要な発言は慎め!」
 殿下に姿を現した倉が、厳しい口調で彼女を咎める。その険しい目つきに、彼女はすみませんと、瞬く間に身体を委縮した。
「いや、せっかく勇気を振り絞って、声を上げてくれたのだ。質問ぐらい聞こうではないか……それで勝浦夫人。我に聞きたい真偽とは?」
 そんな彼の発言を制し、口寄女が和らげな表情で彼女に質問を促す。
 一瞬倉が驚いた顔で殿上を眺める。すかさず彼は憎々し気な表情へと変わるが、先程のような強引な幕引きは、村民との協調性もあってか今回は行わなかった。
「ありがとうございます、口寄女様。確かめたいのはこのテープです。果たしてここで話されている内容が真実なのかどうか、もう私昨夜から一睡も出来なくて……」
 青ざめた表情の彼女は、よろよろと殿下へ辿り着くと、震える手で口寄女に一枚のカセットテープを手渡した。
 もしや。それを目にした途端、僕の頭にある種の最悪の可能性がよぎった。まさか、この女性が持っているはずはない。しかし僕の脳裏には、あの時の天地をひっくり返されたような衝撃が、半ば走馬灯のように瞬く間に駆け巡った。
 倉は事の真相に気づいていないのか、早く終われとばかりに殿上の受け渡しを眺めている。
 まずい、止めなきゃ! 僕が咄嗟に彼女たちの下へ駆け出すのと同時だった。誓詞奏上用に設けられた即席の音響マイクに、老婦人の短い詰問がこだました。
「このテープには……口寄女様の出自が……今は無き村外れ出身の美山多江を母とする娘だったって……」
 僕は辛くも彼女からテープを奪い取る。その視界の端に見えたのは、千寿の観念したような寂しい微笑であった。
 村落が沈黙する。殿上から見渡す人々の顔は、皆一様に呆けた表情で、一瞬緊迫した事態も忘れ、思わず吹き出しそうであった。
「はっ、勝浦夫人……何をあなたは口寄女様に……冒涜では済まされませんぞ!」
 沈黙を破ったのは、例のごとく倉であった。彼は狼狽を露にすると、顔中怒りを滾らせ、彼女を殿上から引き下ろしにかかった。
「倉さん! あなたの方からも真相を教えてください! そもそもこのテープでは、あなたが初音様と語……」
 彼女の声が、数名の若衆にかき消される。直前の一言に、倉はこれが彼の男の真の狙いだったのかと臍を嚙む思いであった。
 それでも彼の行動は早かった。自身にも最後まで縋るように応えを求めた夫人を、先程の農夫同様、やや強引に場外へ連れださせると、
「嫌だぜ、倉さん。祭りの余興としてはあまりにも冗談が過ぎる……」
「口寄女様が、美山の家の出なんて嘘だろ! そのテープとやらを、俺たちにも確かめさせてくれよ!」
 漸く騒然とし出した会場を、彼は毅然とした態度でマイクを片手にし、
「皆さん、どうか冷静になって下さい。とんでもない妄言が勝浦夫人の口から放たれましたが、口寄女様が初音様の妹であることは、村民既知の事実じゃございませんか!
 テープとやらが一体何を語られているか定かではありませんが、早々に内容を吟味いたします。ですから今は二人の婚礼を、最後まで温かく見届けましょう!」
 彼らに語り掛けるように、取り急ぎの事態の収束を目論んだ。
「早々に内容を吟味って……おいおい、論より証拠だよ! こんな状況下でめでたい気持ちになんてなれるか!」
「ってか、倉さん。あんたは、今は引っ込んでくんな……口寄女様、どうか嘘だと言ってくださいまし! そのたった二文字で、私たちの心は瞬く間に救われるのです!」
 既に村民の誰一人として、倉に視線など向いていなかった。場内の注目を一心に浴びた彼女が、ゆっくりと拝殿の中央へ躍り出る。
「いいか、お前たちよく聞け……このテープは、不埒な者が我らの結束を揺らがさんと用意した悪物。そんな物にお主ら、簡単に惑わされるでない!」
 有無を言わさぬ口調で、彼女が僕の手元のテープを手にする。と、間髪入れず、彼女はそれを地面へと強引に叩きつけた。
 バラバラになったテープの残骸。毅然とした彼女の一連の態度に、人々は皆揃って歓喜の声を上げた。
「しかし……これを機に、皆様にどうかお話させてください……これ以上隠し通すのは、私にはもう……」
 続けて出た彼女の口寄女らしからぬ口調に、沸き上がった歓声がスーッと止む。
 すっかり人間的な脆さを含んだ声色は、それでも全村民相手にも決して動じることなく、
「私の本名は……〝美山千寿〟です。
 母は、勝浦夫人のご指摘の通り、皮なめしの美山家に嫁いだ、愛知にルーツを持つ、村外れの多江で間違いございません。
 今まで初音叔母さんの妹と喧伝していましたが、あれは全てまやかしです。散々皆様を誑かし、本当にごめんなさい」
 彼女は深々と頭を下げる。
 場内の凍り付き度合いは、先程の比では無かった。やがて千寿がゆっくりと面を上げる。その表情は悲しみに暮れながらも、まるで長年の腫物が取れたような、すっきりと、それでいて覚悟の据わった一人の母の顔であった。 
「口寄女様……あなた何を言って……あぁ、突然の事態に気が動転しているのね。うん、今日の婚礼は中止にしましょう。さっ、奥の方でゆっくり……」
 そんな彼女の背後に、いつしか石井初音が驚きと憤怒の顔を浮かべていた。諭すような口調ながら、そのただならぬ気配で、千寿の衣装の袖を強引に掴む。
 〝口寄女様が肯定したというのか〟〝我々はずっと騙されていたのか〟朝目覚めた直後のような、ぼんやりとした村民の呟きに、もはや婚礼の再開など行うべくも無かった。
 婚儀の中断以降困惑しながらも、その再開を座りながら待ち続ける飯田家親族の間を、初音が平然と通過する。
「えー、皆様。本日の婚儀ですが……」
 入れ替わるように拝殿の中央へと躍り出た倉のマイクを僕は咄嗟に掴んでいた。彼女の勇気ある懺悔に、僕も一つの告白を固めた。
「敦……水木さん。一体どう――」
「私も村民の皆様に、一つの真実をお伝えさせてください!……水木清敦という私の氏名は、偽名です。私の本名は清水敦生。七年前、千寿を救出しようと、この村を訪れたあの清水です!」
「おい!……誰か。こいつを木戸のいる祈祷社脇に連れていけ」
 倉の短い一言と共に、例の若衆が殿上に上がり僕に掴みにかかる。
 だが僕はマイクを手放さなかった。それまで僕の告白も意に介さず、放心状態の村民であったが、清水敦生と発すると、途端に彼らは敵意を剥き出しにし、
「おい、聞いたか。あいつ、今自分のことを清水敦生と宣言したぞ」
「それじゃ口寄女様をあのような状態にさせたのも、きっとご神体を奪うための、あいつの手筈に違いない」
「「「我らの口寄女様に危害を加えた」」」
「「「あいつを殺せ、殺せ、殺せ!」」」
「皆さん! ここにいる倉義通と石井初音こそ、数年前に起きた村の連続女性不審死の真犯人です! 彼らは、ずっと自分たちの都合のいいように……千寿を、皆さんを! 今まで騙してきたのです!」
 袋叩きにされながらマイクを奪い取られるまで、僕はありったけの真実を絶叫した。
 紋付袴がほとばしる血で朱に染まる。地面に倒された僕の視界に映ったのは、怯えた顔で僕を見つめる飯田香奈と、目を血走らせこちらへと駆ける数名の村人の姿であった。
 あぁ僕はここで死ぬのか。ガタンと鈍い音がする。僕が身体を強張らせ、瞳を閉じたその時。
「あー、あー、そこの村民たち、そこの村民たち、動くな! 富山県〇〇町の警察だ!」 
 婚礼直前、回廊にてうっすら耳にした人工的なサイレン音が、今度ははっきりとこだまする。
 やがて石畳から現れた数十名の地元警察官の掛け声に、村民は気勢を削がれたかのように凶行に及びかけたその手を止める。
「倉義通、石井初音、並びに××村、村民一同。お前たちを長年〇〇町に属しながら、その町政に参加せず税を払っていなかった、〝脱税〟の疑いでここに逮捕する」
 地元警察の長らしき男の発言に、村民の顔に忽ち戦慄が走った。さっ、手荒な真似はしたくない。すぐさま数名の警官にほだされる形で、石畳近くにいた多くの村民が、訳も分からずお縄にかかる。
「なぜ今更……あの町とは遥か昔から、一切不干渉の協定が取り決めされていたはず――」
 逃げ出さんとする村人を、瞬く間に警察が抑え込みにかかる。拝殿から眺める、広場の光景はまさに地獄絵図であった。
 それまで僕を抑え襲いかかっていた村の強硬派が、信じられないといった表情の倉の下へと駆ける。
 その隙に僕は、殿上にいた飯田家親族の何名かと共に、急ぎその場を後にした。

「はぁ、はぁ……」
 陽が陰り始めた旧村道を、僕は一人ひた走る。肩から先ほど新たに負傷した血が滴り、すっかり疲労困憊だ。
「千寿……どこにいるんだ」
 拝殿から祈祷社へと彼女を探しに向かった僕であったが、そこには警察に連行される初音の姿だけで、彼女も、彼女の息子智明君も一向に見当たらなかった。
「君、身体中傷だらけじゃないか! 逮捕の前にまずは応急処置を」
 運悪く別の警察官に見つかった僕は、その場にいた数名の飯田家親族共々室外へと連行された。やがて祈祷社裏手にて、救護班に引き渡されにかかったところで、僕は最後の力を振り絞り、目前の山の茂みへと駆けこんだ。

「疲れた……どこかで一休みしよう」
 辛くも警察を振りまいた僕であったが、既に村からのパイプラインは全て封鎖されているという。下から聞こえる村人の阿鼻叫喚を耳に、一つのある場所を目指し、茂みを彷徨い続けた。
 いつしか旧村道へと辿り着いた僕は、小さな橋を越えると、大木下で怪我の手当てを施した。驚くべきことに、周囲には村人も警察すらも、その気配さえ感じられなかった。山の茂みでは、一部村人と警察のデッドヒートに、都度身を隠していたが、今聞こえるのは、夏の夕暮れを告げる、ひぐらしの悲しい音色だけだ。
 一息つけた僕は、その先の荒野へと向かう。それは吸い寄せられるように、半ば無意識に体が動いていた。
「……おぉ」
 辿り着いた荒野の手前で、昨日と変わらない夏草を飽きもせず眺める一組の親子がいた。それはここでこうして会うのが必然であったかのように、彼女はゆっくりとこちらを振り返る。
「遅かったじゃない。あと少しで、諦めて村の方へ帰ろうと思っていたのよ」
「……すまんかった。あの場から逃げ出すのに必死で。でもここに来れば、必ずまた君と会えると思っていた」
 チェックのシャツにトレッキングスカートを着こなした彼女が、呆れたように笑みを浮かべる。
「ねぇねぇ、この人、和服のお姉さんと結婚したんじゃないの? 何でここにいるの?」
 その横でTシャツ姿の智明君が、淡々と疑問を口にする。
「いや、お母さんの勇気のおかげで、それは流れたんだよ……それで、どうする? 君はこのまま村へ引き返すのか?」
 僕の問いかけに彼女はゆるゆると首を振る。わかっている。既にこの場で再会した時点で、答えは一つしかありえなかった。
 僕は彼女の手を取る。じっとりと人間味のある温かさが、この時の僕の心を一層励起してくれた。
「警察は村からの道は全て閉じたと言っていた……でもそれは……石井夫妻が逃げ出したルートも含まれていると思うか?」
「……わかんない。でも本当に村の一部の人しか知らないはずだし、その可能性は随分低いと思う」
 彼女の発言に、僕は小さく頷く。どちらにせよ、選択肢は他にありえないのだ。彼女に促される形で、僕たちは隣町へと繋がる逃亡ルートの山道へ足を向けた。

「あっ!」
 歩を進めること十数分。漸く目的の山へと入山しかけたところで、智明君が驚きの声を漏らし、ある一点に視線をこらした。
「ん、智明君。どうし……」
 僕は彼の視線の先を見つめ、思わず凍り付いた。直後に彼の髪を撫でる彼女もその動きを止める。
 視界の先には、荒畑の跡地に赤、青、紫、色とりどりの朝顔が一面に咲き乱れていた。夕方でも満開を維持しているそれは、まるで僕らの門出を祝福しているかのようであった。
「……じじい。俺もあんたと同じ轍を踏んじまったよ。でも俺たちは大丈夫。どんな逆風があっても、俺が彼女を必ず幸せに暮らして見せる」
 ぽつり呟くと、山間から穏やかな風が僕の頬を撫でた。僕は二人の守るべき相手の手を取り合うと、夕闇の濃さの増すその先へと力強くその一歩を踏み出した。(完)
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