最終章五節 六月一四日、傘(前)

文字数 2,987文字

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「これで準備もほぼ完了……どうにか明日の祭りを迎えられそうだな! ところで聞いた話によれば、当日祭りと合わせて、新たに村に来た男と飯田さんの娘で、神前結婚が行われるそうな。お前知っているか?」
「あぁ、その件な。何やら倉さんの方で急遽決定したらしい……しかし話によれば、何でもその男、かつて村を襲った大悪党、清水敦生の関係者だっていうじゃないか」
「何だって! それじゃその男、村に溶け込んで、隙を見て俺たち村のご神体を、再び奪おうって魂胆じゃないのか!?」
「いや……さすがにそれは? あくまで噂話の限りだが……」
 弱い雨がぽつぽつと降りしきる午前のひと時。祭りの最後の準備に精を出す村の男衆の会話を、私はこっそり耳に入れる。よしよし、予定通り噂話は、村人の脳裏に深く浸透している。
 私はそっとその場を離れると、近くの民家に歩み寄り、用意した一枚の告発文をこっそり開け戸に張り付けた。
 後はこれもやつらの耳に届かせ、祭り当日を迎えるだけだ。大丈夫。彼ならきっと私の予想通りに動いてくれるだろう。一抹の不安こそあれ、これはもう一種の賭けに近い。
「いよいよだ、どちらに転んでも、明日でこの村は終わりを迎える」
 雨脚が強まる。前近代的な蓑笠に、冷たい雫が濡れそぼる。それでも私は熱に浮かされたまま、一人興奮した表情で、その場からそっと離れた。

「倉さん、これは一体」
 初音の小さな不安声を耳に、俺は先ほど村人が持参した一枚の濡れ札を眺める。
「懺悔文か。しかし、何とも薄気味悪い文字面だ」
『ハレの日、私はあの時の罪を皆々に告白し、相応の報いを受けるだろう』
 民家の入口に目立つよう張り付けられていたという札には、ミミズが這ったような文字で、こう朱く記されていた。
「ハレの日、明日の祭りのことか……どうせ村人の誰かが騒ぎにかこつけて、失敗談の一つでも語るんだろう。気にすることはない!」
 報いの箇所は避け、何食わぬ顔で初音に答える。
 と同時に脳裏にある種の可能性がよぎった。いやまさか、俺は即座にその見込みを打ち消す。
「もしかして清水敦生の仕業では。彼が私たちに何か仕向けようと!」
 初音がなおも何かに慄くように、考うるべき仮説を告げる。だが俺はそれをおもむろに否定し、
「いや、その可能性は薄い。あの民家には昨夜から見張りを付けているが、あいつが外に出たって報告はまだ聞いていないし」
 重ねて先ほどの出来事を彼女に告げる。
 俺はこの札を確認した瞬間、真っ先にあいつの下へ確認をとりに行った。しかし彼は心底知らないといった表情で、逆に何か情報を得ようと俺に根掘り葉掘り聞き出そうしていた。
「どうせ、誰かのいたずらだろう。おふさげにしては度が過ぎるが、取るに足らない些末だ」
 そう初音を安心させながら、俺は内心地団駄を踏む思いであった。
 村人の信仰不信、ここ数日村に蔓延る噂、そして今日の告発文。何者かが村の秩序を乱しにかかっていることを、ここに至って俺ははっきり確信した。
 明日の祭りを中止するか。いやそれだけは避けたい。外の人間を取り込んでの、村の団結を強固にする儀式。それさえ無事成し遂げれば、村人の口寄女への信心は再びゆるぎないものとなるはず。
 下手人を突き止めるよう初音に命じながら、俺は予定通り婚礼の最終チェックに向かった。
 そう明日の祭りさえ滞りなく済めば。村はまた俺たちの思い通りになるに違いない。
 元の鞘に収まることだけを願い、俺は心をかき乱す札を、視界に入れぬべく、ぎゅっと捻り潰した。

 その日の午後、僕は監視をたぶらかせ、閉じ込められた民家から抜け出した。
 お前、勝手に自宅から出るな! そう警告する監視に、僕は明日の婚礼の確認に来るよう倉さんから言われてと、まことしやかに嘘をでっち上げた。
 倉が先ほど、こちらに来たのは彼も知っていた。帰りは何時だ! そう問いかける監視に、僕は一時間くらいで戻ると告げると、彼は道を開け、僕は何喰わぬ顔で村へと繰り出した。
「えっと、確かこの道を通って……」
 小雨降りしきる村道を、僕は破れかけの傘を片手に駆ける。この時間帯に彼女が祈りの儀式を行っていることは、会食にて村人の一人から聞き出していた。
「……ここだ」 
 昨日と同じ道を抜けると、昨夜飯田と契りを交わした公民館に辿り着いた。入口付近で数名の高齢の男女が傘を取り合っている。お祈りを既に終えたところか。
「こんにちは」
「……」
 それまで仲睦まじく会話に花を咲かせていた彼らは、僕の顔を見た瞬間、露骨に敵意の視線を向ける。
「えっと、新たに村で暮らすことになった水木です。口寄女様はまだこちらにいらっしゃ……」
「あんた、わしらを騙すつもりじゃってな」
「騙す?」
 彼らは一体何を? 途端に目の前の老人が、手にしていた傘を僕の肩に振り下ろす。ガツンと鈍い音。慌てて僕は後ずさり、
「塗り固めた嘘でわしらの同情を買って、その真相は口寄女様に害をもたらすそうじゃな。お主が大悪党の親族であることぐらい、とうにばれておる!」
 塗り固めた嘘、口寄女に害。なぜ彼らがそんなことを。昨日の友好的雰囲気から一転、彼らの態度が百八十度変わっていることに、僕は開いた口が塞がらなかった。
 何が起こっているんだ。止む無く引き返そうと踵を返しかけた時、館内の階段から柔らかい声で、
「宮本さん。そんな俗説を信じてはいけませんよ。水木さんがそんなはずある訳ないじゃないですか」
 帰り支度を整えた木戸が、老人らを優しく窘める。そうじゃ宮本さん、真偽は定かじゃないから。隣の老婆にも咎められ、彼は小言を吐きつつ、館から去って行く。
「木戸さん、助かりました。しかし、これは一体全体……」
「すみません。なんか昨夜から、変な噂が流れているんですよね。何でもあなたは、口寄女様に害をもたらすためにこの村にきたとか。あの清水敦生の親族だとか。大方、外の人間を良く思わない、村民の誰かのデマですよ」
「そうなんですか」
 予期せぬ事態に、冷や汗がびっしょりと身体を伝う。彼らの憶測は、悲しいかな、ほぼ的中していた。となると僕が彼女に会いにここに来たのは、状況的にかなりアウトに近いのではないか。
 彼が口を開きかけ、僕は咄嗟に身構える。しかし彼はあっけらかんとした口調で、
「で、水木さん。口寄女様なら二階の祈りの間にいますよ。僕は、お祈りは済みましたので、これにて」
「へ?」
 思わず素っ頓狂な声を上げる。同時に彼も首をかしげる。
「えっ、あなたもお祈りでここに来たんじゃないですか……もしや本当に! 彼女に危害を――」
「いやいや、そうです、そうです! すいません。訳の分からないことばかりで、頭が追い付いていませんでした」
 慌てて平謝りすると、顔を強張らせかけた彼はほっと胸をなで下ろし、
「ですよね、びっくりしました。私も噂は信じていませんから安心してください……この村に来てまだ二日目ですものね、あまり周りの目は気にしない方が良いですよ」
 特にこの村の大人たちはね。そう彼は忠告すると、ぺこんと一礼し去って行った。その雰囲気佇まいは、年齢以上に何やら大人びているように見えた。
 僕は気を取り直し、館内へと足を踏み入れる。
 この上に千寿が。八年越しに、動き始める僕らの時間。階段脇の鏡台に映る自分は、いつもより何とも幼く見えた。
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