三章三節 天文部(後)

文字数 1,886文字

 その翌週、部活動に関する定例の職員会が開かれた。
 春休みの活動方針について。天文部が長野への二泊三日の合宿を検討していると告げると、再設一年足らずで活動実績もないのにか、と一斉に非難の声が上がった。
「ですが、今回の合宿には得るべきものがたくさんあります。それは今後、再設間もない部の発展に、大きく寄与するものなのです!」
 それでも僕は負けじと、この日のために準備した資料を配布し、時間の許す限り熱弁を振るった。最終的にその熱意に気圧されたのか、渋々といった態度ながらも、部会長から承認の一言を頂いた。
「清水先生、おめでとう!」
 退室際、満面の松岡からひっそり肘打ちを喰らう。
「でも、これまでそんなに部活の指導に熱心じゃなかったのに、急にどうしたのよ? 資料を配布した時なんか、周りの先生皆、目を丸くしていたし」
 小首をかしげる彼女に、僕は周りに他の先生がいるのも気にせず、
「別に、生徒の願いに、全力で応えてあげるのが教師の役割だろ。一年経って、俺も何も成長しないままだと思うなよ」
 目の前のライバルに、遅れをとるまいと大きく宣言する。一瞬ぽかんと口を開けながら、即座に彼女はにんまりと子供のような笑みを浮かべ、
「いい兆候じゃん! 私も清水先生に負けないよう、来期も頑張っていこうかな。あっ、もちろんプライベートも。それじゃ、また来月の同期会で!」
 そう告げると、元気よく自身の受け持つクラスの方角へと去っていく。良い仕事仲間に巡り合えた。そう思うのも束の間、清水せんせーいと呼ぶ声が聞こえ、僕は慌てて踵を返した。
 
 その日の夕方、全メンバーの揃う部室にて、春合宿長野に決定の旨を、極めて事務的に報告した。
「ということで、日程は三月の二六~二八日の三日間。詳細は終業式までに決めて伝えるから、お前らもそれまでに事前調査書、しっかり書き上げて提出するように」
 言い終わらないうちに、既に目を輝かせていた彼らは、もう抑えきれないとばかりに歓喜の声を上げる。
「やった。日本一の星空を、皆と観測しに行くことができるんだ!」
「おい、こうなったらもう、新たに天体望遠鏡も買おうぜ! 長野で、ろくぶんぎ座も見える、とっておきのやつ!」
 千賀や早瀬に続き、珍しく山田も拳を振り上げている。天体観測とはいえ、部を挙げての二泊三日長野。高校生にとっては、やはり修学旅行並みのビックイベントともいえる。
 そんな三人の横で、一人まだ夢見心地な表情のまま、
「話半分で終わると思っていたのに……まさか本当に実現するなんて!」 
 今回の長野行きの発起人、真田が顔を紅潮させ、わなわなと呟いた。
「ありがとう、真田。お前が提案してくれたたおかげで、今回の合宿は実現したんだ」
「そうよ、美咲! あの時、口に出してくれたから。そうでなければ、また尾高山で、何の感動もない星空を見ることになっていたんだから」
 僕に続き早瀬も感謝の語を伝えると、感極まり彼女に、ぎゅっと覆いかぶさる。
「ちょっ、澪!? どんだけ、テンション上がってんのよ! ってか、ううっ、ぐるじい、ぐるしい……」
 そう言いながらも漸く、少し瞳を濡らしながら彼女も満面の笑みを浮かべる。
 何の感動もないって、夏合宿で一番感極まっていたのはお前だろ。そう思いながらも今は黙って、二人のスキンシップを温かく見守っていた。
「……それじゃ、俺は職員室に戻るから。また時間を見つけて、顔を出しに来る」
 彼女たちに加え、熱心に、その時見られる星座を語り合っている男子勢にも目を向け、ひっそり扉に手をかける。しかし過去最大の部の盛り上がりように、四人に言葉が届いたかすら不明だ。
 部室の扉を閉め、腕時計を確認する。時刻は午後五時半。しまった、今日中に新クラスの資料を作成するんだった。つい長居をしてしまった。
 慌てて階段を駆け下りようとしたその時、背後から美しいコーラスが聞こえる。女性ソプラノと男性バスの混声。
 そういや隣は何部だっけか。右扉に掲げられたパンフレットから、そこが合唱部であることに数秒後気づく。
 都内合唱コンテスト。そう大々的に記されたタイトルに、思わず腹の底から笑いがこみ上げる。
「ふふっ! おかしなもんだ。これまで隣が何部か知らないほど、部室に顔を出さなかったっていうのに。それが気づけば、なんだこの気持ちは」
 左扉の奥では、うっすらと四人のはしゃぎ声が聞こえる。僕はそこに安堵の気持ちが生じているのを、今ここではっきりと自覚した。急な心情の揺らぎ、そんな変化がなんともおかしい。
僕は小さく笑みを称えると、軽やかな足取りで職員室へと急いだ。
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