最終章二節 六月一三日夕、祭り前夜の儀式(前)

文字数 2,182文字

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 待ち合わせ場所に到着すると、既に石井初音は一台のワゴン車に乗り、悠然と僕を待ち構えていた。
「敦生君、久しぶりね。七年ぶりかしら? まさかこうして、あなたともう一度会う日がくるなんて」
「こちらこそ、ご無沙汰しています。私も再び、お元気な姿で初音さんにお目にかかることが出来、光栄です」
 ぺこりと頭を下げると、彼女は元気、ね、と自嘲気味に呟き、無言で僕に車に乗るよう促した。
「それで今回、再び私たちの村に訪れる目的は何なの? まさかまた千寿を取り戻しに来ましたなんて、宣うはずじゃないでしょうね」
 車が出発すると同時に、彼女は随分しわの目立ち始めた顔で僕に詰め寄る。
「いえ、そんなことは全くもって。ただ私は今回千寿と……」
 そこで言葉を区切る。隣でハンドルを握る彼女は、長い月日を経て、著しくやせ細っていた。
 体格に加え、すっかり肉の落ちた両腕は、血色もあまり良くなかった。そう長くはないだろう、彼女の醸し出す空気からも、僕はこう直感的に感じざるを得なかった。
「……千寿と結婚を――」
「無理よ」
 そう冷たく言い放つと、彼女はきっとブレーキを踏み、車を停車させる。
「彼女は既に村の男性と結ばれ、子供も儲けている。あなたの望みは当に潰えているわ。どう、今からならまだ、駅には舞い戻れるけど」
「あぁ……そうなのか……そうだったんですね。でしたら……でしたらもう一つ、お願いを聞いてください」
 頭を抱え、声を震わせて絶望に打ちひしがれたふりをする。訝しむ彼女に、僕は既に覚悟は決めたとばかりに、
「それならば、別の村の女性を僕に嫁がせてください。いやそもそも、私を以後、千寿の村で暮らさせていただけないでしょうか」
「……はっ? 何をあなた馬鹿なことを――」
「馬鹿ではありません!」
 そう言い僕は鞄から一枚の封筒を取り出す。
「これが学校への退職届です。もし村の皆様が認可していただければ、私は二日後、一時帰京の折、この届を学校に提出します。
 あと、私は既に肉親との縁は途絶えています。千寿を連れ戻せない以上は、せめて今後は彼女と、彼女の村と共に生活をしていきたいのです!」
 僕は大声で思いのたけを込め、封筒を彼女の手元に押しやった。
 予想だにしなかった事態に、彼女は暫く凍り付く。しかし彼女は厳しい表情に舞い戻り、やがて車を発進させ、
「とりあえず、あなたがこの村になぜ再び訪れたのか、理由は理解したわ。ただその判断は、私の一存では決められない。現在村の村長から、判断を仰がねば」
 そう答えると車は山道へと突入していった。以降僕たちは言葉を交わさないまま、やがていくつかの小道を超えた先、僕にとって二度目となる千寿の村が姿を現した。

 集落の手前、かつて村と町を行き来したバスが停車した村道に、一人の男が姿を現していた。
「初音、ご苦労。どうだ、久々に町に繰り出して。なにか変わったことでもあったかい?」
 道の外れ、数台の旧式の車が並ぶ空き地から下車した僕たちに、彼がニヤニヤ笑みを浮かべながら近づく。
「別に、あの町もこの村と同じ、昔と変わらないままよ……こちらが清水敦生。暫くこちらにご厄介になるそうよ」
 彼女の紹介に、僕はペコリと頭を下げる。
「へぇ、あんたが、件の大悪党、清水敦生か。どんな見てくれかと思ったが、何のことはない。ただのひ弱な若造じゃねぇか」
 ひと際小さい背と丁寧に整えられた顎髭。不敵な笑みと他を寄せ付けない佇まいから、僕は彼が倉義通であると即座に理解した。
「あんたのことは初音から、随分と聞いている。遠路はるばる来たところ悪いが、この数日俺たちは頗る忙しい。あんたの用は今晩、ゆっくり聞かせてもらうよ」
 そう言い、その顔立ちと大分違和感のある白衣姿で、彼は暫く舐めるように僕を見つめる。
「この人が、村唯一のお医者さんで、村長も兼ねている、倉義通さん……先程のあなたの願いを聞き届けるかどうかも、全て彼の一存次第ね」
 後半僕の耳元で囁くように告げる彼女に、僕も目を反らすことなく彼を見返す。と丁度その時、山間からポポン、ポンッと花火の爆ぜる音が聞こえる。
「倉さん、祭りの準備は順調なの? 櫓の設営に遅れが出ているのは、多田さん一家の信仰への疑念って話みたいだけど……」
 彼女が告げると、彼は腫物に触れたかのように顔を歪め、
「あぁ、どうもそんな感じだ……ったく、最近、頓に村人の信仰が薄れている気がする。まるで誰かが、俺たち村の団結を切り崩しているかのようで」
 心細げな顔を浮かべる初音と共に、彼は村へと舞い戻る。
「あぁ、敦生。そんな訳だから、今夜俺たちが呼びに来るまで、指定の場所でおとなしくしていてくれよ。無いと思うけど、もし俺たちがいない間に、少しでも勝手な動きでもしようものなら――」
「命はねぇからな」
 彼の澱みの無い瞳に、僕は黙って頷く。それは脅しでもはったりでもなく、本気で人一人、殺しにかかる顔だ。
 背中にじわりと汗が滲む。それから二人は僕のことなど気にも留めず、熱心に村政の意見を交わしあい始めた。
 村に近づくごとに、祭り前の熱気が伝わる。果たしてその中に、千寿の姿はあるのだろうか。
 やがて一本の古びた橋を越え、僕は綺麗に片づけられた民家の一室に、閉じ込められた。
 施錠された室内に、陽が落ちてもなお、村人の喧騒は否応なく伝わってきた。
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