二章五節 千寿の故郷(後)

文字数 3,124文字

 合掌造りの立ち並ぶ中心部を抜け、雪に覆われた畑道を走る。事前に整備された畝畑は、春になれば雪解け水で耕作されるのだろう。同じ外れでも、先程の場所とは佇まいや雰囲気も全く異なった。
 暫くすると、それまでの二三倍程大きな合掌造りの民家が、ポツンと姿を見せた。入口では男の従者が除雪作業を行っている。そんな彼に見つからないよう、僕はこっそり裏庭へと回り込む。
「……ちゃあん? あなた何度も言ってもグズのままね。本当、忌むべき血は、どうやっても清められない!」
 東裏の辺りで、丁度目の前の納屋から、甲高い罵声が聞こえた。あの声は、もしや。僕は運良く、藁積まれた木窓からこっそり中の様子を伺った。
「……すいません、叔母様。私が悪いです、だから――っ!」
 あぁ、そんな、まさか。
 視線の先には追い求めていた、それでいて絶望の光景が広がっていた。そこには紫の装束に身をやつした石井初音が、ぼろ雑巾のような布切れを身にまとう千寿に手を上げる真っ只中であった。
「私はもう、病持ちのお婆さんなのよ!? だからこの由緒ある口寄女を、卑しいあなたに継がせてあげようとしているのに、何の奮闘も見られない! はい、もう一度。もっと声を低くして、人ならざる雰囲気を醸し出し……」
 彼女は、冷たい土床で正座させられる千寿など全く気にせず、日頃の鬱憤を晴らすかのように当たり散らしていた。ややあり、千寿が彼女の口から発せられたのかと思うほど、低く奇妙なうなり声を上げた。やがて何者かに取り憑かれたかのように、お布施だの信仰だのと唱える。
「ふん、いくらかはマシになったか……それじゃ私、行くね。あぁ、今日から、あなたはもう来なくていいわ。散々目の前で見て、同行は十分でしょう」
 そう述べ、この地にふさわしくない、プラチナの腕時計を確認した彼女は、素早く袴へと仕舞い、僕とは真逆の出口へと去って行った。
 僕は急いで納屋の更に裏手へ隠れると、一応念のため、十分程息を潜めていた。手がかじかみ、そろそろ大丈夫かと腰を上げた僕は、再び木窓に顔を突っ込む。
 中では千寿がぐったりしきった表情でソファに腰掛けていた。よく見ると室内は暖房やベッドなど、快適な今時の和洋折衷部屋へリフォームされていた。それでも痛々しい彼女の姿に、僕は暫く声がかけられなかった。
「お、おー千寿……久しぶりだなー、って」
 出来るだけ普段の雰囲気を心がけたつもりが、随分気の抜けた声になってしまった。
 それでも声は室内に届いた。瞬間、彼女が射るような視線を木窓に投げる。その瞳は、警戒の色から困惑の色へと変わる。
「じいさんの残した手紙で、この地に来たんだ。ははっ、でも、お前と会えるなんて、露ほども思っていなかった……久しぶり……大丈夫か」
 僕の、思いとは裏腹の、軽い挨拶に、彼女はぱぁっと救いの眼差しを向けた。でもそれは一瞬、即座に表情を曇らせると険しい顔つきで、
「馬鹿じゃないの、なんでこんな狂った地に来ているのよ! ってか余所者がどうやって……まぁいいや。早く帰りなさい」
「えっ、なんて?」
 彼女とは距離があり、最後のか細い声が届かず、思わず聞き返す。だが彼女はキッと睨み、お前も敵だとばかりに声を荒げ、
「私のことなんか放っておいて、帰れって言ってんのよ! 今なら間に合う。じゃないと、もしあの人たちに知れ渡ったら」
「さっきの状況を見て、お前を放っておける訳ないだろ! 帰るなら一緒だ! 待て、今からそっちへ行くから」
 彼女の熱い拒みに、こちらもついカッとなり、また後半の語を聞き逃してしまう。それでもすかさず藁から降りると、人が通るには小さい木窓から、さっき叔母が出て行った出入口へと向かう。
「くっ、駄目か」
 扉はスライド式の木扉となっているが、柱と共に南京錠がかけられている。外部の人や千寿自身では出入り出来ないのか。千寿を助け出せないことに加え、人間の普遍的権利を奪われている現況に、沸々と怒りが湧いてくる。
「お前を助け出すことは出来ないのか。何か方法はないのか」
 出入口からの侵入を諦め、四方に渡り中へ入る道を確認するが、出入口と木窓以外、内と外を繋ぐ空間は存在しなかった。
「うん、叔母さんの監視下以外に、誰もここから自由に出入り出来ない。いわば籠の中の鳥、まぁこれは私相応の環境か」
「でももう一度、元気そうな敦生に会えて良かったかな。お願い、早くここから逃げて! じゃないと敦生まで何されるか」
 彼女も偽りの怒りを続けるのは辛かったのか、嘘の無い本心と懇願を僕に向ける。確かに僕の心は、危険が近づいているのを知らせるよう脈打っていた。叔母と接触し、彼女に開けてもらおうか。いや、それは間違った選択。そもそも叔母だけでなく、〝この集落の住民と関わってはならない〟思いが、僕の脳内を半ば本能的に告げていた。
「わかった。お前を助け出すのは日を改め……」
「おし、何者じゃ! そこで何をしちょる!」
 一旦退散し、しっかり対策をしてまた千寿を助けに来よう。そう決意し木窓から顔を戻した僕は、運悪く納屋の様子を見に来た従者と鉢合わせしてしまう。
「あのっ、やっ、僕は!」
「木窓!? おし、もしや口寄女様の秘密――」
「一蔵! その者は我に害を及ぼす者ではない!」
「えっ!」
 彼が僕の肩に手をかけ、南無三。そう思ったまさにその時、納屋の中から有無を言わさぬ、確固としたおどろおどろしい声音が響いた。
「美山……いや、口寄女様?」
「この男は私が遣わした下僕! 初音の手違いで、中に入れず……さぁ扉を開け給え、そして彼を我へ」
「そんな、まさか。だって口寄女様は石井初音様にしか……だけどこの声」
 千寿の先程とは比べるべくもない、本当に憑き物に憑かれたかのような低い声は、人の良さそうな従者を十分震え上がらせた。
「早く開けよ、一蔵! 我の命に背く気か!」
「はっ、はい! 只今!」
 〝背く〟の語に身体をびくんと震え上がらせた従者は、いそいそと出入口へ向かい、懐の鍵を取り出した。
「どうぞ、口寄女様。しかしなにゆえ下――」
 ぎぃと扉が開くと同時に、手元にあった石を、僕は彼の頭にがつんと振り下ろした。瞬間グッと呻き声を漏らし、彼はそのまま地面へと突っ伏した。
「逃げるぞ、千寿! 帰りのバス、まだあるよな!」
「う……うん、大丈夫! 最終が確かこの後」
 一瞬、本当に口寄女が乗り移ったかと恐怖を抱いたが、視線の先には守るべき相手が、一仕事終えたとばかりに放心していた。
 僕は室内に入ると、急いで彼女の手を取り納屋を出た。彼女の手は随分と冷えていたが、それでも久方ぶりに人肌の温もりを感じた。
「しかし全く、住民の姿を見かけないな。さっきまでちらほらといたのに、こちらとしては好都合ではあるが」
「この時間は集落の人たちはほとんど、その先の集会所に集まっている。そこで叔母が礼の儀式を執り行っている」
 僕たちは人っ子一人出会うことなく、中心部から集落の境目へと駆けた。そこにもやはり住民の姿は無く、それでも十分後、千寿の指摘した通り、例のバスが来車した。
 その時、先ほどの老夫婦がいそいそと下車していた。彼らはちらりとこちらを見たが、そのまま集落の方へと向かう。
「千寿、早く。この車に乗ってしまえば」
 慌てて乗車し、千寿に続いて運賃を支払い終えた僕は、そこで漸く一息ついた。
 プシューっと閉まる扉。よし、なんとか逃げ切ったのか。しかし呼応するかのようなエンジン音が聞こえない。
 あれっと振り向きかけ、即座に頭に鈍い音が響いた。と同時に意識が遠のく。視界の端に千寿の驚愕した表情とバールを持つ男たちの姿が、薄れかけた僕の脳内にべたりとこびりついた。
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