三章六節 星空の村が生んだ奇跡(後)

文字数 3,365文字

 千賀の帰還から十五分。山田が未だ戻ってこないことに、僕たちは再び不安の波が押し寄せた。
「社の近くで驚かしてやりましたから、社かどこかで休憩でもしてるんじゃないですか?」
 そう答える千賀であったが、僕の鼓動は一層高鳴りを増した。女子二人を車に乗せ、社へと出発した僕に、罪悪感からか千賀も申し訳なげに附いてきた。
 果たして道中、社にも山田はいなかった。一応石碑に最後の札が無かったことから、彼がここまで辿り着いたことは理解できた。しかしながら事の重大さに気づいた僕は、千賀に指示し、社を結ぶ二つのルートをそれぞれ往復した。
「とりあえず二人だけではどうにもならん!旅館に戻って人手を呼ぼう……真っ暗闇とはいえ小さな山だ。それにこの辺りは鳥獣の被害はないと聞く」
 自分に言い聞かせるように呟き、力ずくで千賀を起こす。道中、既に山田は下山し僕らを待っている。そんな淡い期待を抱くも、車内で動揺する二人を目にし、ものの見事に打ち砕かれた。

 旅館までの道中、まるで彼が死んだとばかりに僕たちは悲嘆にくれた。
 真田と早瀬は大粒の涙を流し、千賀は全部俺のせいだと何度も己の過ちを悔いた。
 大丈夫だ、この後俺が村の人たちと山田を連れ戻す。車内が絶望の絶頂に達する度、何度も声を大に叫んでみたものの、誰もその語に希望を見出してはくれなかった。
 己の無力さを肌で感じ、ついアクセルを加速させてしまう。そんな僕らを嘲笑うかのように、窓辺からはゲコゲコと、繁殖を示す蛙の大合唱が響き渡っていた。

 旅館に着いた僕らは、受付のスタッフが唖然とするほど、憔悴の色を浮かべていた。
 部屋まで向かう気力すらなく、ロビーでうずくまる三人。何事かと慌てたスタッフの一人がこちらへと駆けてくる。
「お客様、一体どうなさいましたか!?」
 僕は今から多くの人に迷惑をかける。その結果が幸であれ不幸であれ、帰京後監督不行き届きとして、相応の処罰を受けることになるだろう。
 しかし事態は、一刻を争う。いまでも山田は、真っ暗な山奥で助けを求めているかもしれないのだ。
 人手を貸してください、まさにそう言わんと口を開きかけた、丁度その時だ。
「もしかして、山田君と同じ、天文部の皆様ですか!? いやー、良かった! 彼、無事ですよ!」
 背後から、喜びに満ちたしゃがれ声が耳に響いた。驚いて振り向くと、懐中電灯を手にした農作業着姿の三人の男性が、ズボンの裂けた山田を引き連れ、玄関に立ち尽くしていた。

「あすこの近くの田畑の見回りをしていたらよ。若い男もんの声が聞こえるから、驚いて山の方見たら、稜線の岩に人影が見えるじゃねぇか。急いで駆けつけたら、幸いにも元気そうだったから、情報聞いて、ここまで連れてきただよ」
 ロビーに腰掛けた三人のうち、方言のきつい、好々爺そうな初老の男が満足そうに呟く。  
 その横では山田が、先ほどから何度も僕たちにごめんなさいと謝罪を繰り返している。
 聞けば彼は社からの帰り道、林の開けた視界から絶景の展望を見つけたらしい。そしてそれをカメラに収めようと一歩踏み出した矢先、誤って岩場へと転落してしまったそうだ。
「すいません……僕の身勝手な振る舞いで、皆様に大変ご迷惑をかけてしまい」
「いやそんなこと……しかし、無事でよかった。大きな怪我もしていないようだし」
 転落時、木の枝にズボンは引き裂かれたものの、負傷は小さな打撲だけで済んだようだ。
「山田、生きててよかった! 俺たち、本当に心配したんだぞ!」
「そうよ、私……正直あんたと一生会えないかと――」
 山田の謝罪など気にすることなく、彼が再び戻ってきたことに、三人は泣きじゃくりながら熱い抱擁を交わした。
「いやぁ、仲の良い皆さんですね。昨日の天体観測のご一行ですか。差し支えなければ、一体どちらからいらしたんですか?」
 その姿をほほえまし気に眺めながら、しゃがれ声の面長の男性が尋ねる。それが僕には大層意外であった。外から来た人間には興味を示さない。それが、僕が十数年過ごした田舎の人たちの、いわば常識だったからだ。
「えーと、私たちは東京都内の方から。でも昨夜は本当に素晴らしい夜空でした。元々は、今夜はゆっくりするはずだったんですが、部員がどうしても肝試しをやりたいというものですから……」
 そう言い、改めて頭を下げる。村人はなるほどと頷きながら、ふと机上の冊子に視線を向け、
「『伊那風土記』じゃないですか。先生一体どうされたんですか。そんなものを持ち歩かれて」
 親しみやすい雰囲気は堅持しながらも、探るような視線で、じっとこちらの返答を待つ。
「これはこちらの旅館からお借りして。日本史教師なもので、すぐに土地の歴史や風土を調べるのが癖なんです」
 笑いながら、冊子を手元にしまう。すると面長の男性が、それまで積極的に会話に入ってこなかったハンティング帽姿の男性を見やり、
「それなら〝石井さん〟。先日までいた、あなたの村の話を先生にされてはいかがですか。なんでも東北のイタコのような女性が人々を取り仕切る、随分変わった村のようでして。この人はある事件がきっかけでこちらに――」
「これ、そん話は!」
 突然初老の男が声を荒げ、咄嗟に彼が口をつぐむ。失言したとばかりに慌てて彼は立ち上がり、
「あ、あぁ……いや、すいません。何でも……さて、ついつい長居をしてしまいましたね、それじゃ私たちはこれで。山田さんを引き渡せて本当良かったです。それじゃ最後まで、阿多村を満喫してください」
 顔をしかめる二人を促し、いそいそと出口へと向かう。とそれまで感涙に浸っていた四人も、慌てて彼らに、再度謝辞を示す。
 その間、僕の心はすっかり乱れていた。日中否定した思いが、再び僕の胸に去来する。(まさか、だってこの村とあそこでは随分と隔たりが……しかしさっきの言葉がもし真実だとしたら、日中立てた仮説とも一致する)
「先生、私たちも部屋に戻りま……って、先生?」
 村人を見送り終え、近づいてきた真田が、心配げに顔を覗かせる。
「ん……お、おう、そうだな。戻るとするか」
 慌てて我に返り、すっと腰を上げる。それを彼女は多少訝しみつつも、特に気にも留めず三人の下へと戻っていく。
 その姿を見て、僕はゆるゆると首を振る。だからどうしたというんだ、もしそれが正しかったとして、僕にはもう関係のない話ではないか。
 エレベーターへと向かう四人は、未だ山田が戻ってきたことに興奮の色を浮かべている。いい加減夜も遅いし、寝るぞ。そう告げる僕に彼らは、徹夜で山田の戻り祝いしましょうよー、と不満の声を漏らす。
「何が、戻り祝いだ」
 そう言いながら、僕は四人の顔をじっと見見つめる。あれからもう時は経ったのだ。今大切なのは、こいつらの成長。俺はいい加減、過去とは決別しなければならない。
 周りにだけは迷惑かけるなよ、階に着くとそう告げて一足先に自室へと向かう。多少夜更かしをするとはいえ、こいつらが羽目を外すことは恐らくないはずだ。
 灯りを点けると部屋は、既に寝支度が整えられていた。開けっ放しの障子越しには、先ほどと寸分違わぬ日本一の星空が瞬いている。
 僕は一息吐くと障子を閉め、颯爽と浴室へと向かう。長い一日だった、明日の帰りに備えて早く寝よう。すっかり冷え切った身体と心に、もうもうと湯気を上げるシャワーがいつにも増して心地よかった。

 明け方に随分と懐かしい夢を見た。実家の縁側で祖父が夕涼みに煙草をくゆらせている。あれは祖父が体調を崩す直前のことだったか、西瓜片手にワイワイ騒いでいるのは恐らく外海と紗英だろう。
 麦わら帽を被った少女がそれを見て、僕に優しく微笑む。千寿、種落としたよ。拾い上げようと白のレーススカートに手を伸ばすと、いつの間にか白装束に衣装が変わっていて驚いて視線を上げる。
 そこには虚ろな瞳で何やら呪文を唱える彼女の姿。先程まで祖父のいた縁側には彼女の叔母が、それを愉快気に眺めている。
 失った愛すべき人々、戻ることのない故郷。せめて彼女だけでもと僕は手を伸ばすも、真っ黒に覆われた窓が僕たちを遮断する。
 離される直前彼女が何事か呟いた気がする、敦生、〇〇〇〇。しかし聞き耳をそばだてた時、響いたのは無機質なスマホのアラーム音であった。
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