一章四節 墓参り(前)

文字数 2,854文字

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 気づけば季節は、青葉若葉の芽吹く五月に突入していた。
 千寿がこちらに越してきて丁度一月が経った、GWの明け。彼女は僕たちの学校に通う運びとなった。季節外れの転校生は、狭い田舎では国賓来訪並のビッグニュース。同学年はおろか、一つ上の僕らのクラスも、美人現ると、朝から大盛り上りであった。
「清水―、今日一つ下の学年に越してきた、千寿っつう女の子。お前の親戚なんだって? 一つ屋根の下で暮らしているって聞いたけど、それって本当かよ」
 皐月晴れの、のどかな昼休み。既に確定した島の友人と、食事をとっていた僕は、クラスの盛り上げ役、井上が話しかけてきたことに、多少身構えてしまう。
「うん……まぁ、そんな感じかな。でも家でもあまり会話しないんだ。そもそもこれまで全く会ったことなかったし」
 奇しくも外海は、席を外していた。僕は、嘘は避けながらも、話題の渦中の人にならぬよう、必死で彼女との不仲性をアピールした。
「な~んだ、つまんねえな。まぁお前なら、しょうがねぇか」
 彼はこう呟くと、特段落ち込んだわけでもなく、別のクラスメイトの下へと駆けていった。
「……清水君、これからは大変だね。暫くは周りの人から質問責めの日々だね」
 去年と同じクラスメイトだった鹿野が、曖昧な笑みを浮かべながら、同情の視線を向けた。
「でも正直、清水君が羨ましい感はあるな。転校してきた子、可愛さもさることながら、人あたりも抜群みたいじゃないか」
 都落ちにより、最近僕たちの島に加わった板倉が、羨ましげに窓辺を見つめる。
 人当たり抜群だって? 僕は周りを幸せにするような、彼女の笑み姿を思い浮かべた。だが思いつくのは、どれも明るさとは程遠い、憂いを帯びた表情しかなかった。
 僕は彼らに一言二言愚痴を零すと、残っていた菓子パンを口中に放り込んだ。

 翌々週の日曜、僕は祖父と千寿の三人で、彼女の祖母にあたる文さんのお墓参りに出かけることとなった。
 きっかけは三日前の夕食後。何やら思いつめた表情で煙草を吸っていた祖父は、唐突に千寿にこう尋ねた。
「のう千寿、もし良ければ今度の休み、おばあちゃんのお墓参りに行かないか?」
「えっ!? おばあちゃん……お墓、この近くにあるんですか」
 美味しそうにデザートのさくらんぼを頬張っていた彼女は、突然の祖父の提案に驚き、怪訝な表情を浮かべた。
 あぁ、彼は小さく頷くと、慙愧に満ちた声音で、
「文は、わしと別れた後、二つ隣の町、清川町で家庭をもった。生涯その地に骨を埋め、お墓もそこになる」
 彼はすまなかったと初めて謝罪の語を向けると、黙って頭を垂れた。
 全く予期せぬ展開に彼女は暫し、さくらんぼ片手に黙考していた。なぜ祖父は祖母の居場所を知っていたのか、なぜ今このタイミングで告げるのか。聞きたいことは山ほどあるであろうが、彼女はふぅと吐息を漏らすと、
「わかりました。是非お参りさせてください。でも私とおじいさま、そして敦生さんと三人で行かせてください」
「お、俺も行くのか!?」
 それまで黙って、親用に肉じゃがを移し替えていた僕は、彼女の一言に思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
 だが喜び勇んだ祖父は、そうかそうかと笑みを浮かべると、
「おぉ、それは良かった! なら千寿の都合がつけば、早速日曜にでも行くとしよう。敦生、お前予定空いてるじゃろ!」
 有無を言わさぬ口調で僕に叫んだ。
 こうなると仕方がない。一度決めた提案は梃子でも動かないことを知っている僕は、渋々承諾の意を祖父に告げた。
(日曜は外海と角田屋の予定だったんだけどな)
 翌日僕は彼に、予定の変更と代償のおごり帳消しを泣く泣く打診した。嬉々としてそれを受け入れた外海の笑みが、僕には大層恨めしかった。

 その日は、朝から小雨が降り注いでいた。いつもの登校時間よりも早めに起床した僕は、冴えない天気に小首をかしげながら、のそのそと洗面台へ向かった。
「ちょっとしたお出かけ気分ですね」
 支度をして家を出ると、千寿は随分楽しげな表情で、やや彼女に不釣合いな水玉模様の傘を振り回していた。
「のう。お墓参りを済ませたら、どこか喫茶店に入ろう。美味しいパフェをわしがごちそうしてやる」
 これまたのんきに千寿に微笑み返す祖父を見て、僕は小さくため息をついた。母の作ってくれた三人分のおにぎりが、ずしりとリュック越しに伝わる。親には今回の外出を、千寿への街案内として筋を通している。
「あんた最近、千寿と仲がいいわねぇ……どうでもいいけど、受験勉強だけは疎かにしないでよね」
 夜勤明けから戻ってきた母は、疲れきった表情ながら、おにぎりを準備してくれた。僕はわかってると投げやりな声音で、ラップに包まれたそれをかっさらった。
 後は自由にしていいから、中学卒業後は、必ず隣市の進学高校に通ってもらう。これは中学入学時の僕と両親の取り決めであった。
 良い大学を出て、立派な職業に就いてほしい。幼い頃から母は、何度もこう口酸っぱく僕に告げた。特に地元の政治家として苦悩している父に、母は若干嫌気を示しており、
「ほんと敦生だけが、私の誇りだから。こんなふざけた家や町の人を見返すぐらい、たくましい大人になってちょうだい」
 他県から嫁いできた“ソト”の人間である彼女は、辛いことがある度、酒の吐息を漏らしながら、僕に愚痴を零した。
 僕は、家庭はともかく、決してこの町は嫌いではなかった。それでもどこかネジの外れたこの世界に、無意識の内に逃れたいという思いも、心の奥底に潜んでいるのかもしれない。
「敦生さん、大丈夫ですか? すみません、今日は無理に誘ってしまって」
 ふと視線を前に向けると、いつの間にか千寿が心配そうに顔を覗き込んでいた。黒のワンピースに身を纏った彼女は、幾分妖艶性が漂っていて、不覚にもドキリとさせられてしまう。
「……大丈夫、少し朝が早くてぼーっとしてただけだ。いい服じゃないか、もしかして昨日出かけてたのは、これを買いに行ったのか?」
 僕の言葉に、彼女は照れくさそうな笑みを浮かべ、祖父を見やった。なるほど、そういうことか。
 ふいに鹿野の言葉が思い浮かんだ。「転校してきた子、可愛さもさることながら、人あたりも抜群みたいじゃないか」彼女は本来、純真無垢な明るい子なのだろう。それが過去の生い立ち、そして現在の状況から、彼女を無愛想な存在へと追い込んでしまっている。
 僕に褒められた千寿は余程嬉しかったのか、再び祖父の横に戻り、鼻歌混じりに水玉傘をクルクルと回している。
 この時、僕は思った。何の因果か、僕の家に一個下のはとこが同居することになった。だったら彼女は僕にとっての家族だ。彼女が素の自分を偽り、気を遣っているのなら、それは解消してあげなければならない。
 一月程前に見た、彼女の大きなあざを思い返す。問題は過去よりも現在だ。
「今日は彼女を楽しませなくては」
 僕は頭を覆っている雑多な問題を一度片隅に追いやると、会話を交わす二人の下へと笑顔で駆けていった。
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